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オミクロン株対策で人の出入りを制限すること――その「副作用」はどこまで想像されているか

明戸隆浩社会学者
(写真:ロイター/アフロ)

オミクロン株と日本政府の「対策」

 11月24日に南アフリカなどで発見の報告があった新型コロナウイルスの変異株(「オミクロン株」)をめぐり、日本政府はこの間次々と「対策」を打ち出している。現在進行形の話ではあるが、12月2日午後までの状況をまとめると、次のようになる。

 変異株がWHOによって「オミクロン株」と名付けられたのは11月26日だが、政府はこの日のうちに対策を発表し、27日午前0時から南アフリカ、ナミビア、ジンバブエ、ボツワナ、レソト、エスワティニの6カ国から帰国した日本人らに対し、待機施設で10日間の待機を求めた。また翌28日には、対象国にさらにモザンビーク、マラウイ、ザンビアの3カ国を加えた

 しかしさらに翌29日、政府は全世界を対象に外国人の新規入国を原則禁止する措置を取ることを発表する。外国人の新規入国は今年1月に原則停止されており、それ以降はビジネス目的や留学生、技能実習生の新規入国ができていなかったが、停止解除を求める多くの声を受け、11月8日にようやく再開されたばかりだった。実際には再開されてもすぐに入国できるわけではないので、該当者の多くは入国に向けた(きわめて複雑な)手続きに入った状態だったが、結局1カ月もたたないうちにそうした人々の入国の可能性を再び閉ざしたことになる。

 そして同じ29日には、野党第一党の立憲民主党が、厚生労働省に対して「南アフリカなどからの入国禁止等を求める緊急要請」を行った。これについては要請に参加した早稲田ゆき衆議院議員が、「在留資格のある外国人の再入国も停止する措置を要請」とツイート(現在は削除済み)し、Twitter上などで批判を受けた。実際の要請文では「全世界からの新規入国を禁止したうえ、南アフリカなどオミクロン株の感染が確認された国及びアフリカ南部からの再入国については、再入国の禁止措置をおこなうこと」となっており、要はツイートの際に「すべての国からの再入国を停止」と読める表現を用いてしまったわけだが、これは後に述べるようにたんなる誤解や省略にとどまらない問題を示しているように思われる。

 さらに12月1日、今度は政府が、南アフリカ、ナミビア、エスワティニ、ジンバブエ、ボツワナ、レソト、モザンビーク、マラウイ、ザンビア、アンゴラの10カ国からの入国について、在留資格を持つ外国人の再入国も原則拒否することを発表。実際にはこの再入国拒否の対象からは「特段の事情」として「永住者」「日本人の配偶者等」「永住者の配偶者等」「定住者」は除かれるのだが、新規入国に加えて再入国も拒否の対象に含めた影響は大きい。なおこうした判断に29日の立憲民主党の要請が直接影響したのかどうかは不明だが、少なくともこの点について与野党が足並みを揃えたことは確認しておくべきだろう。

 また同じ12月1日には国土交通省から、日本に到着するすべての国際線について、12月末まで新規予約を停止するよう各社に要請がなされた。この措置については翌2日に撤回され、岸田首相が混乱を招いたことをお詫びする事態となったが、これには国籍等による区別はなく、もし実施されていれば年末年始に帰国しようとする日本国籍保持者もすでにチケットを予約済みでない限り原則入国はできなくなっていた。発表翌日に撤回という事態も含め、この「対応」もまた、今回の一連のオミクロン対応の特徴を示す上で重要な事例である。

オミクロン株対策とその副作用

 さて、当たり前のことをまず確認するならば、コロナ対策が喫緊の課題であることは論をまたない。とくに今回発見されたオミクロン株は、WHOが感染力や重症度については不確定要素が多いとしつつもパンデミックに影響する懸念があると指摘しており、これまで以上に慎重な対策が必要なことそれ自体を否定する論者はほぼいないだろう。

 しかしこれまた当然のことながら、ある問題に対する対策は、それを突き詰めれば突き詰めるほど、別の文脈で別の問題を引き起こす。ある意味つまらない言い方にはなるが、オミクロン株対策といえども政策の一つである以上は他の問題とのバランスの上で成り立っており、そうしたバランスを考えずに「思い切った」政策をとることは、結果として意図しない方面に多大な副作用を及ぼすことがありうる。

 とはいえおそらく政府としては、そうした「一般論」は十分承知しているのだろう。報道によれば、今回岸田首相が早い段階から踏み込んだ政策を打ち出した背景には、菅政権の際の「教訓」があるという。つまり菅政権ではデルタ株の流行の際にとくにビジネスなどへの悪影響を気にして十分の水際対策を行わなかったから支持率を下げたという見方が背後にあり、それゆえ今回こそは「思い切った」対策をとらなければならないというわけだ。

 しかし実際には菅政権期と現在では、ワクチン接種の広がりをはじめコロナをめぐる状況は大きく変化しており、前回と同じ条件での対応力が問われているわけでは決してない。実際、現在の状況はコロナ対策と並行してコロナによって停止していたさまざまな人の流れを再開させるという非常に難しいフェーズに移行しており、対応の難易度は今年の夏以前よりもある意味で上がっている。そうした中で、菅政権の逆を行けばうまくいくだろうというのは、もし報道のとおりだとしたらかなり安易な考えだということになるだろう。

 そしてこうした問題が非常にわかりやすく現れたのが、12月1日から2日にかけての国際線の新規予約停止騒動である。少し距離を置いて考えれば、そんなことをすればすぐに各方面から猛批判があるということはわかりそうなものであるが、少なくとも一度はそうした要請をしたのであり、こうした政策をむしろ支持されるものだと考えて打ち出したのだとしたら、当該の政策そのものに加え、その背後にある現政権内の「空気」もまた、かなり深刻だと言わざるをえない。

過小評価される外国人の入国規制の影響

 しかし、国際線の新規予約停止については、それでも一度出されたものが撤回された。これに対して、その前に打ち出されていた外国人に対する入国規制は、いまだ撤回されていない。もちろんこうした規制についてもTwitterなどでは(筆者のものも含め)多くの批判が出されてはいるが、少なくとも国際線の新規予約停止のような形で、いったん採用された政策を覆すには至っていない。

 なぜこうした違いが生じるのか。おそらく多くの人が想定する答えはこういうものだろう――「だってそっちは外国人の話でしょ」。

 すでに述べたように、いかに重要な問題に対処するためであれ、バランスを考えずに「思い切った」政策をとることは、結果として意図しない方面に多大な副作用を及ぼすことがありうる。しかし実際には、そうした副作用はすべて平等に想像されるわけではない。ある種の副作用は、他の副作用に比べて見えづらく、想像されにくいのだ。そしてそこでそうした違いを生じさせる大きな要素の一つは、「自分がその立場だったら」と考えることができるかどうかである。

 この点で、国際線の新規予約停止は、比較的想像しやすいだろうと思う。もし自分や自分の家族、親しい友人が海外にいて、この年末に日本に帰国するということがあったとき、今回の政策はそうしたことを不可能にする。「いやそんなの困るよ、というか理不尽でしょ」。(ただし実際には、自分は海外に住んだこともないし友人もいない、そういう違う世界に住む人間が帰れなくなろうが知ったことではない、という発想は当然ありうるし、そういう発想が「マジョリティ」になることも当然ありうる。)

 これに対して、自分が外国人として日本に入国するということは、日本に住む多くの人(すべてではない)にとって、あえてこういう言い方をすれば「他人事」である。つまりここで重要なことは、バランスを考えずに思い切った政策をとった場合の副作用が、自分の立場として想像しやすいかどうかの違いによって、実際よりずっと低く見積もられている可能性があるということだ。多くの人が「関係ない」と思うことは、たとえその当事者(この場合は日本における外国人)にとってきわめて深刻な問題であっても、問題として過小評価されたり、あるいは完全に無視されてしまったりする。

地域ではなく人で分けることの不合理

 このように、今回のオミクロン対策のようなケースでは、見えづらい、想像しづらい人々への副作用が、適切に副作用として評価されないという問題がある。が、今回のケースでさらに問題なのは、今回の日本政府の一連のオミクロン対策が、「確かに効果はあるが、しかし一部の人々の権利を不当に制限する点で問題」という話ですらない、ということだ。

 実際今回の日本の対応について、WHOでこの問題を担当するマイケル・ライアン氏は、記者会見で「疫学的に原則が理解困難だ」「ウイルスは国籍や滞在許可証を見るわけではない」「矛盾している」「公衆衛生上の観点からも論理的とは言えない」と指摘している

 このうちとくに重要なのは「国籍や滞在許可証」の部分だが、日本政府の一連の対策は、国際線の新規予約停止の件を除いてすべて「日本人(日本国籍保持者)と外国人」という区分を前提としている。つまり、日本国籍保持者については基本的に待機要請にとどめる一方で、外国人については原則入国禁止とした上で、特例として「再入国は除く」といった例外を認めるというものだ。実際11月29日に新規入国者が入国禁止となったというのも、正確には「原則入国禁止だが再入国は特例で認める」ということであり、また12月1日に南アフリカほか10カ国からの再入国を禁止したのも、これらの国からの再入国を特例から外して原則のほうに入れたということだった。要は「外国人」のカテゴリーを前提にして、その中で中に入れてよい人とそうでない人を分けるという発想である。

 しかし先ほどのライアン氏のコメントにもあるように、コロナはその性質上人を選ばない。感染が広がっている国や地域から移動すれば、誰であろうとウイルスを拡散しうる。もちろん他の国の水際対策でも国籍保持者や(外国人の中の)永住権保持者を例外とすることはあるが、それはあくまでも「特定の国や地域からの」人の移動を制限する場合であって、先に外国人かそうでないかを分けた上で、入れてよい人とそうでない人を区別するというやり方は基本的にとらない。水際対策で重要なのは「どこから来るか」であって、「誰が来るか」ではないのだ。

日本政府の「対策」が踏みつけているもの

 このように、今回の日本政府の外国人の入国規制は、それがもたらす副作用だけでなく、そもそもの目的から考えても合理的とは言い難い。しかし実際には、国際線の新規予約停止とは異なり、こうした規制が撤回される気配はない。そこで最後に、こうした一連の規制が踏みつけているものが何であるかをあらためて示して、今回の記事の締めくくりとしたい。

 まずこの記事でも何度か言及した「再入国」という言葉だが、当事者や専門家を含む一部の関心ある層を除いて、この言葉を聞いて実際の状況が具体的にイメージできる人はあまり多くないのではないかと思う。これは日本で在留資格を付与されている外国籍者が、ビジネスや旅行などでいったん国外に出て、その後再び日本に戻ってくることを指す。在留資格があるということは日本に生活拠点があるということで、住んでいる場所に戻るという点では国籍保持者と何ら変わらない。

 したがって、たとえば冒頭で紹介した早稲田議員のツイートのように「新規入国だけでなく再入国も禁止」ということは、これを聞いた日本に住むすべての外国人に「今日本を離れたらもう日本には入国させませんよ」と宣告するのと同じなのだ。すでに書いたように実際の立憲民主党の要請自体は地域を限定したものではあったが、たとえ文字数が制限されたツイートであっても、そこを「省略」することの問題の大きさについてはあらためて強く認識されるべきである。

 ただし、再入国一般の禁止はよくないが、(立憲民主党の要請にあり、また政府方針としても実際に採用された)地域限定の再入国禁止ならよいのかと言えば、まったくそんなことはない。これが具体的に意味するのは、たとえばこの間南アフリカに2人の社員が出張していて、そのうち1人が日本国籍、もう1人が外国籍だったとして、前者は10日間の待機でよいが、後者はそもそも日本に入国できないという事態である。すでに触れたように今回の再入国禁止は永住者などを除外しているが、ビジネス関連のビザはこうした除外対象には含まれないので、こうした事例は十分に想定できる。これを合理的な対応だと考える人は、ほぼいないだろう。

 これに対して新規入国の禁止については、再入国のように「生活拠点に戻れない」ということではない。しかし、すでに冒頭で参照したこの記事にもあるように、たとえばすでに日本に留学することを決め、いつ入国できるかと落ち着かない日々を送っている人にとっては、これもまた人生にかかわる大きな問題である。実際筆者が大学で今期担当しているゼミにもそうした学生がおり、今はオンラインで教室とつないでゼミをやっているが、ゼミのたびにいつ入国できるようになるんだろうねという話をし、実際先月手続きが再開されたときはやっと日本に来れるねと一緒に喜んだりもした。しかしそんな彼も、今回の措置で再びいつ日本に来られるかわからない状況に逆戻りである。もちろんこれはたまたま身近な一事例でしかないが、同じような状況は、今日本中で起こっているものだ。

 日本政府は、このように多くの人に本来なら負うべきではないコストを負わせ、またそもそも本来の目的に照らしても合理的と言えない政策を、いつまで続けるのか。岸田首相は11月29日に「当面一カ月」という期限に言及しているが、ごく控えめに言っても、この言明はきちんと守ってもらいたい。今回のようなケースでもっとも恐ろしいのは、緊急避難的な政策が導入され、しかしその副作用が必ずしも多くの人にはかかわらないものであるために、それがそのままなんとなく続けられてしまうことだ。少なくともそれだけは、避けなければならないと強く思う。

社会学者

1976年名古屋生まれ。大阪公立大学大学院経済学研究科准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。専門は社会学、社会思想、多文化社会論。近年の関心はヘイトスピーチやレイシズム、とりわけネットやAIとの関連。著書に『テクノロジーと差別』(共著、解放出版、2022年)、『レイシャル・プロファイリング』(共著、大月書店、2023年)など。訳書にエリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』(共訳、明石書店、2014年)、ダニエル・キーツ・シトロン『サイバーハラスメント』(監訳、明石書店、2020年)など。

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