どうすれば「徹底している」と見られるか? 「徹底できない人」の処方箋
「徹底する」の基準は難しい
私は現場に入ってコンサルティングをしています。そのため現場の方々に、行動を変え、成果を出してもらうための宣言をしていただくことがよくあります。
その際、とりわけ多く耳にするのが「徹底する」という表現です。
「部下への指示を徹底します」
「お客様への配慮を徹底させます」
このような感じです。
「徹底する」というのは、首尾一貫している。中途半端にせず、すみずみまで行き届く。――などという意味です。
しかし、本人が「徹底する」と宣言していても、はたから見ていていると、ちっとも「徹底している」ようには見えないことがあります。
「徹底」の基準が人によって違うことが原因です。
とはいえ「徹底しているかどうか」を客観的に評価するのは難しいかもしれません。
強い干渉・細かい管理は「考える力」を奪っていく
「ロッカーの整理を徹底する」「1階の窓拭きを徹底する」など、徹底する対象の範囲が明確であると、「徹底しているかどうか」はわかりやすいでしょう。しかし、それが不明確な場合、たとえば、
「報告・連絡・相談を徹底します!」
「お客様への迅速な対応を徹底させます」
と宣言されても、どのようになったら徹底したことになるのか、そして、どのような状態だと徹底したことにならないのか、わかりづらいと言えるでしょう。
この場合、行動指標やプロセスを明確にして管理するというやり方も考えられます。
たとえば、「報告・連絡・相談」を徹底するために、1週間に2回は必ず報告する。
顧客対応を徹底させるため、お客様からのメールはすべて上司と共有し、迅速な対応が必要である場合は上司に指示を出してもらう。こうすることではじめて「徹底した」ことになる、など……。
ただ、「徹底」とは、心構えであり、気持ちであり、精神でもあります。徹底しているかどうかまで客観的な指標で管理してしまうと、「不測事態対応能力」が育ちません。
細部にまで強く干渉・管理することを「マイクロマネジメント」と呼びます。本来なら「徹底しろ」と言うだけで済むことまで、数値的な管理をしてしまうと、その場その場で臨機応変に考え、判断する習慣が身につかなくなるものです。
どうすれば「徹底している」ように見られるか?
そこで、もっと簡単に「徹底している」かどうかを他人に理解されるようにするにはどうすればよいか、を考えてみました。
キーワードは「そこまでやるか?」です。
「そこまでやるか?」と、周囲の人に言われるぐらい突き詰めることで、「徹底している」と評価されるのではないかと思っています。
たとえば「報告・連絡・相談を徹底しろ」と上司に言われたら、「そこまでやらなくてもいいよ」と言われるぐらいに実施すればよいのです。「挨拶を徹底しろ」と言われたら、「やり過ぎだ」と言われるまで何度も挨拶し続けるのです。
それぐらいしないと、ちょうどよくならないからです。
そもそも、徹底できない人、つまり「もっと徹底しろ」と周囲の人に言われてばかりの人は、何かが足りなさ過ぎるのです。行動の量であったり、スピード感であったり、発想の幅であったりします。
徹底できない人は、「ちょうどよい加減」の基準が他の人よりも少し足りないのでしょう。ブレーキをかけるタイミングが早すぎると言えます。
「ここまでやったら、やり過ぎだ、と怒られるかもしれない」
というぐらいにすることで、ちょうど「徹底している」と周りから思われるのではないでしょうか。
「自分なりに徹底しているのに、何がおかしいんだ」と不満を覚える前に、周囲が感じる「徹底の基準」を推し量る努力をしてみることが大事です。