アイビスSDを勝った若きGⅠ騎手・石川裕紀人の怪我と乗り替わりのエピソード
大怪我に見舞われ長期離脱
今年も夏の新潟開催が開幕。オープニングを飾り先週、行われたアイビスサマーダッシュ(GⅢ、以下アイビスSD)を制したのはオールアットワンス(牝5歳、美浦・中舘英二厩舎)。手綱を取ったのは石川裕紀人だった。
1995年9月生まれの同騎手。両親が競馬ファンだったため、幼い頃からよく競馬場で観戦していた。
「2001年(5歳の時)にジャングルポケットが勝ったダービーはハッキリと覚えています」
騎手を目指してからはその両親の全面的なバックアップがあった。美浦トレセンの乗馬苑でジュニアチームに入った石川少年のため、家族でトレセン近郊に引っ越したのだ。
その甲斐あって14年、美浦・相沢郁厩舎からデビュー。1年目こそ12勝に終わったが、2、3年目は40、43勝。4年目にはセダブリランテスでラジオNIKKEI賞(GⅢ)を勝って重賞初制覇。
順風満帆かと思われた17年、初重賞勝ちを記録したのと同じ福島競馬場でアクシデントに見舞われた。落馬をすると「今まで経験した事のない痛み」(石川)という大怪我を負ってしまった。
診断の結果は左下腿骨骨折。
その後、懸命の治療とリハビリで徐々に回復したが、復帰を焦って早目に動き始めたため、再び悪化。結果、復帰まで9カ月以上を要してしまった。
復活してGⅠ制覇
それでも復帰後にはエメラルファイトやブラックホールとのタッグで重賞を勝った。しかし、勝ち星は休養前よりも減少。20年には自己最低の15勝に終わってしまった。
「何故、勝てなくなったのか、悩んだけど、自分としては変わらず、常に一所懸命、頑張りました」
競馬の神様はその姿勢を見てくれていた。翌21年、出合ったのがオールアットワンスだ。
同馬への初騎乗でアイビスSDを制すと、同年は30勝まで勝ち鞍を戻した。
こうして再び軌道を修正してくると、昨年、22年はその数字を35まで伸ばした。
「数字的にはデビュー3年目の43に及ばなかったので残念です」
石川は当時、そう語ったが、その中身は確実に濃い内容になっていた。43勝した時と違い、減量の特典がなくなった上での勝ち鞍であり、その中には自身初のGⅠ制覇も含まれていた。ジュンライトボルトとのタッグで制したチャンピオンズCだ。
「福島で初めてコンビを組んで(ジュライS2着)、その後、新潟でも騎乗(BSN賞1着)させてもらえました。ただ、3戦目は関西圏の中京で、しかも重賞(シリウスS、GⅢ)だったので、乗り替わりもあるかと思ったのですが、また乗せていただけました」
そこで勝利した事で、続くGⅠでもタッグが継承された。
そのGⅠは道中、かなり窮屈な競馬になったかと見えたが、石川は冷静だった。
「元々芝を使っていたせいか、乗っていて凄く瞬発力を感じる馬でした。だから、進路さえ開けば伸びてくれると信じて乗っていました」
そのため焦りはなかったと言う。
「実際、直線で追うと即座に反応してくれました。前にテーオーケインズやクラウンプライドが見えたけど、充分に差し切れる手応えだったし、この馬以上に切れる馬はいないと思ったから差される心配はしませんでした」
つまり、早々に勝利を確信出来たという事だ。
「ゴール後はジワーッと喜びが湧いてきました」
そして、思った。
「子供の頃から『どんな感覚なんだろう?』と思っていた“ウイニングラン”を味わってみたいと考えました。だから、じっくりと時間をかけてやりました。喜びを噛みしめ過ぎて、長過ぎるウイニングランになってしまったかもしれません」
思わぬ形での再タッグ
こうしてGⅠジョッキーとなった石川は、今年のアイビスSDにもオールアットワンスと共に挑む事になった。馬にとっては1年ぶりの出走となった今回は、本来、C・ホーが騎乗を予定していたが、同騎手が前日に落馬負傷したため、急きょお鉢が回ってきたのだ。
「改めて声をかけていただいたので、何とか期待に応えたいと思いました」
すると、このチャンスを活かして見事に優勝。2年ぶり2度目の制覇で、オールアットワンスを改めて千直の女王に導いてみせた。
「ジュンライトボルトの重賞勝ち(シリウスS)がオールアットワンス以来で、オールアットワンスの今回の重賞勝ちがジュンライトボルト以来。久しぶりの重賞勝ちは、やっぱり嬉しいです」
そう言うと、更に続けた。
「ただホー騎手には一日も早い回復をしてほしいです」
落馬により休まなくてはならない時の苦しさを知る石川だからこそのひと言。ホーの復帰を願うと共に、石川の今後の更なる活躍を期待しよう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)