なぜユナイテッドはカゼミロ獲得を検討しているのか?モドリッチ、クロースの「盤石の中盤」と過去の失敗
フットボールの世界というのは、決断の連続だ。
現在、欧州では夏の移籍市場が開いている。先日、リーガエスパニョーラが開幕したが、スペインでは8月31日までマーケットが開いており、選手たちにはまだ移籍の可能性がある。
そのような状況で注目を集めているのがマンチェスター・ユナイテッドのカゼミロへの関心だ。ユナイテッド側は移籍金6000万ユーロ(約84億円)、年俸1000万ユーロ(約14億円)という破格のオファーを準備しているという。
■盤石の中盤とカゼミロ
マドリーは2014年夏に移籍金600万ユーロ(約8億円)でカゼミロを獲得した。ポルトへのレンタルを経て、2015−16シーズンからカゼミロがマドリーでレギュラーに定着していった。
カゼミロがポジションをつかみ、マドリーではトニ・クロース、ルカ・モドリッチとの「盤石の中盤」が形成され、ジネディーヌ・ジダン監督の下でチャンピオンズリーグ3連覇が成し遂げられた。昨季、再びビッグイヤーを獲得し、彼らは4度のチャンピオンズリーグ優勝を経験することになった。
無論、マドリーでは、多くの優秀な選手が中盤でプレーしてきた。
1997−98シーズン、セプティマ(クラブ史上7回目のチャンピオンズリーグ制覇)を達成したチームには、フェルナンド・レドンド、クリティアン・カランブー、クラレンス・セードルフがいた。
2001−02シーズン、ジダンの劇的なボレーシュートでビッグイヤーを獲得した際には、ジダン、ルイス・フィーゴ、サンティアゴ・ソラーリ、クロード・マケレレがプレーしていた。
2013−14シーズン、デシマ(クラブ史上10回目のチャンピオンズリーグ制覇)を達成したチームには、アンヘル・ディ・マリア、シャビ・アロンソ、モドリッチがいた。
■銀河系軍団と守備のタスク
カゼミロのケースで思い起こすのは、マケレレだ。
ビセンテ・デル・ボスケ監督のマドリーで、選手たちの役割は明確だった。マケレレにはボール奪取が求められ、それをジダンやフィーゴに渡すのが彼のタスクだった。「ジダンとは視線が合うだけで何がしたいか分かりあえていた」とマケレレ自身が明かしている通り、まさに阿吽の呼吸でプレーしていた。
だがマケレレは2003年夏にマドリーを去った。デイビッド・ベッカムの加入があり、さらには年俸アップの交渉がうまくいかず、彼には移籍の扉が開かれた。最終的には移籍金2000万ユーロ(約28億円)を準備したチェルシーが、マケレレを確保した。
マケレレが残した穴は大きかった。
以降、マドリーは、ボランチの選手を探し続けることになる。トーマス・グラベセン(移籍金350万ユーロ)、パブロ・ガルシア(550万ユーロ)、ハビ・ガルシア(450万ユーロ)、フェルナンド・ガゴ(2000万ユーロ)、エメルソン(1600万ユーロ)、ママドゥ・ディアラ(2600万ユーロ)、ラサナ・ディアラ(2000万ユーロ)、ルベン・デ・ラ・レッド(450万ユーロ)、シャビ・アロンソ(3000万ユーロ)、サミ・ケディラ(1000万ユーロ)、ヌリ・シャヒン(1500万ユーロ)、ルーカス・シウバ(1500万ユーロ)、アシエル・イジャラメンディ(3800万ユーロ)...。カンテラーノの買い戻し、将来が嘱望された若手選手、南米の有望株、そういった選手を引き入れるため、2億1300万ユーロ(約281億円)以上を費やした。
■ペレスの失敗
そう、マドリーには、マケレレを放出して苦労した過去がある。
それは第一次フロレンティーノ・ペレス政権(2000年―2006年)で、最大の失敗と言える出来事だった。2009年に再びマドリーのトップポストに就いたペレス会長が、その経験から学んでいないはずはない。
カゼミロは2025年夏までマドリーと契約を結んでいる。契約期間は十分に残っている。
マドリーは今夏、モナコからオウリエン・チュアメニを獲得した。だがカルロ・アンチェロッティ監督が開幕戦後に「感情の面で若い選手には重荷だった。トレーニングで示しているようなクオリティを見せられなかった。彼らは若いので、それは普通だ。レアル・マドリーのユニフォームには、重みがあるんだ」と語っていたように、すぐにカゼミロの代役を務めるのは難しいだろう。
一方、ユナイテッドは今夏、フレンキー・デ・ヨング(バルセロナ)、アドリアン・ラビオ(ユヴェントス)らを狙っていた。しかし、現時点で彼らを獲得するには至っていない。
プレミアリーグでは、開幕から2連敗を喫した。エリック・テン・ハーグ監督が、何かを変えようとしているのは確かだろう。カゼミロをめぐる議論が、暫くの間、ホットニュースになるかもしれない。