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殺された26歳のサファ青年は何を訴えようとしていたのか イラク・反政府抗議デモの現場から(2)

伊藤めぐみドキュメンタリー・ディレクター
サファの関係者が集まるテント 筆者撮影

■サファ・アルサライとは誰か

抗議行動のため通行止めになったサドゥーン通りをマスクやスカーフで顔を隠した若者たちの行進が通り過ぎた。リーダー格の男性が歌のような掛け声を唱え、女性たちも大きな声でそれに続く。

サファの死を悼む大学生を中心にした行進 筆者撮影
サファの死を悼む大学生を中心にした行進 筆者撮影

抗議する人々の何人かはある若者の顔写真をプリントしたTシャツを着ていた。行進はその若者の死を悼むものだった。

サファ・アルサライ、26歳

抗議運動の中で、医療品を前線に運んでいる最中に治安部隊に催涙弾で頭を撃たれて殺された人物だ。

10月からの抗議運動でイラク各地で450人以上が亡くなっている。その詳細はわからないが、多くが若い男性であると思われる。タハリール広場に集められた非公式のリストには31人の名前があるそうだが、そのすべてが1993年から2003年生まれの10代から20代の若者なのだ。

亡くなったサファは多くのSNSのフォロワーを持つちょっとした有名人でもあった。彼は2011年、18歳の頃から「1人反政府抗議」として、街頭に立って政治システムを変えることを訴えていたそうだ。

活動家というには気が引けるほど、インスタグラムには今時の若者らしく、自撮りの写真がいくつも並び、本に囲まれたり、友達と楽しそうにしているものもある。5人兄弟、4人姉妹の1人で、両親をすでに亡くしている。

行進した若者のうちの1人で、サファの親戚でもあり、幼い頃からの友達でもあるマフムードが話をしてくれた。

「彼は貧しい家の人だったけれど、教養ある人だった。政治グループに入ることも一度もなかった。何度か捕まったこともあって国を出たこともある。政府は彼が死んで嬉しかったと思う。彼の要求は権利を主張すること。彼はいつも平和的な方法を使っていた」

サファの写真をプリントしたTシャツを着た人も 筆者撮影
サファの写真をプリントしたTシャツを着た人も 筆者撮影

行進を終えた若者たちがたどり着いたテントで、一人、憔悴しきった男性がテントの片隅に座っていた。2013年にあった抗議行動の現場でサファと知り合い、友達となったというアリ。アリはシーア派の貧困層が多いとされるサドル・シティの出身でもある。

「サファはデモの最初の頃、10月初めから参加していた。その時は報道するメディアもあまりなかったから、自分たちで病院に行って治安部隊に攻撃された怪我人を撮影して情報を伝えようとしていたんだ。治安部隊は自分たちのことをよく知っていたと思う」

抗議運動は2つの時期に分けられる。最初の運動は10月上旬。この時は一旦は政府軍によって押さえ込まれたことと、シーア派の宗教行事アシュラで運動が終わった。しかし再び抗議行動が10月25日に計画されそれが現在まで続いている。サファは25日の時点ではイラクのクルド自治区アルビルに逃れていたが、家族が止めるにもかかわらず、27日に再びバグダッドに戻り、抗議行動に参加。医療品を届けようとしたところ治安部隊に撃たれ、病院に運ばれたものの28日の深夜すぎに亡くなったのだ。

抗議運動で中心になる若者は政府の標的になる。友人のアリも何度も治安部隊に誘拐されたことがあるそうだ。

亡くなったサファの顔写真はいたるところで掲げられていた 筆者撮影
亡くなったサファの顔写真はいたるところで掲げられていた 筆者撮影

■サファの死が人々を現場に向かわせた

皮肉なことにというべきか、サファの強い思いのおかげというべきか、結果として彼の死がこの抗議運動参加者たちの間で象徴的な存在となり、多くの人を呼び寄せることとなった

行進していた人々はムスタンシリア大学の学生や賛同する若者たちだった。サファをフェイスブックでフォローしていたという女性がこう言った。

「みんな最初は抗議に行くのを怖がってはいたけれど、サファが死んだ時にたくさんの人がここに来た。彼の死が人々をこの抗議に向かわせたと思う」

別の女性はこう話した。

「私は弁護士の仕事があるけれど、今日その仕事を辞めてこの抗議行動の現場に来た。自分だけの問題じゃないから」

彼女たちは家族にも秘密でここに来て、他の抗議者のために炊き出しなどを手伝っている。

またサファとは近所の仲だというおばあさんはテントの近くに座り、寄付で得た水を無料でデモに来た人たちに配っていた。

「サファは優しい青年でした。生活が苦しい私のためにいろいろとサファが手伝ってくれたり、彼の友達も寄付をくれたりしていたんです」

亡くなったり行方不明の若者のバナー 筆者撮影
亡くなったり行方不明の若者のバナー 筆者撮影

人々は様々な非暴力の形で運動にかかわっていた。

■若者たちにとっての限界

サファの親友、アリがこう言った。

「イラクに住むことは爆弾と生きること。飢餓、爆発、民兵、脅迫、学校にいけなかったりしている。この国は豊かなのに富はすべて奪われる。みんな貧乏だ。10月上旬の最初の抗議行動で首相が運動を辞めさせた時、最後までタハリール広場に残っていたのがサファだった。今回も私たちが最後まで残る」

このデモはどうやって終わることができるのか。

11月29日にイラクの首相、アブドルマハディがシスターニの要請を受けて再度辞任の意向を示したが、具体的なプロセスについてはわからないまま。

非暴力にも限界が来るかもしれない。目的は若者たちの限界を試すことではない。彼らが抱きうる失望や怒りがどう変わるのかが恐ろしくもある。

亡くなったデモ参加者の遺品や写真の展示 筆者撮影
亡くなったデモ参加者の遺品や写真の展示 筆者撮影
ドキュメンタリー・ディレクター

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程に留学中。

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