2016年10月、リチャード・アシュクロフト日本公演会場で『NME』誌カヴァー・アート展を開催
2016年10月のリチャード・アシュクロフト日本公演のライヴ会場で、イギリスの音楽雑誌『NME』のカヴァー・アートを展示する『NME Japan Presentation』が開催される。
1990年代、UKロック・シーンを席巻したザ・ヴァーヴを率いたリチャードは現在ソロ・アーティストとして活動中だ。
2010年には『サマーソニック10』に“ユナイテッド・ネイションズ・オブ・サウンド”を率いて来日、2008年の『サマーソニック08』ではザ・ヴァーヴとしても来日しているが、単独日本公演は久々となる。
【訂正】来日年に間違いがありましたので、訂正しました。
ザ・ヴァーヴの「ビタースウィート・シンフォニー」、「ザ・ドラッグス・ドント・ワーク」「ソネット」などの名曲から最新ソロ・アルバム『ジーズ・ピープル』までが披露されるライヴは、UKロックの四半世紀を彩ってきたリチャードの音楽のセレブレーションとなる。
今回の来日は『NME Japan presents』と銘打って行われる。1952年に創刊、イギリスの音楽ジャーナリズムにおいて重要な役割を担ってきた音楽雑誌『NME』が現代UKロックの重要アーティストであるリチャードの来日公演を企画/主催するというのは、きわめて納得のいくコラボレーションだ。
『NME Japan Presentation』では2015年、フリーマガジンとなって以降の『NME』のカヴァー・アートが展示される。
<アコーディオン音楽紙から出発した『NME』>
『NME』の前身である『アコーディオン・タイムズ&ミュージカル・エクスプレス』は1946年にイギリスで創刊。当時のポピュラー音楽で最先端だったアコーディオンを前面に出した紙面だったが、2年後に『ミュージカル・エクスプレス』として刷新。さらに身売りを経て1952年に『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』として新創刊された。
ジャズやダンス・ミュージックを主に扱っていた初期『NME』だが、当時から“ディキシーランドvsビッグバンド”など、2つの相対するジャンルの抗争を煽る紙面を売りにしてきた。このスタイルは1990年代の“オアシスvsブラー”にも受け継がれていく。
現在の『NME』という名称は『New Musical Express』の略で、“エヌ・エム・イー”あるいは“エネミー”と発音されるが、しばしば新譜レコードを大酷評したりするため、アーティスト側からは「『NME』は“エネミー=敵”だ!」と呼ばれることも少なくなかった。
なお『NME』と“エネミー=敵”の関連が意図的か、それとも偶然なのかについて、筆者(山崎)はイギリスの『NME』編集者に直接訊ねてみたことがあるが、相手はキョトンとした表情で「...は?何を言っているの?偶然だと思うよ」とのことであった。
余談ながら『NME』のライバルだった音楽紙『サウンズ』のメタル増刊として創刊された『Kerrang!』は“クルァーン”と発音される(“ケラング”ではない)が、“ギターを破壊したときの擬音”という公式の命名理由と同時に、“メタル・ファンのための聖典”という意図もあったと言われている。ただしこの件について公式コメントは出ておらず、あくまで風説に過ぎない。
話を戻すと、1960年代から1990年代初頭まで、イギリスの音楽ジャーナリズムの中心は新聞形式の週刊音楽紙weekly music paperだった。1926年に創刊された老舗『メロディ・メイカー』や1954年創刊の『レコード・ミラー』、1970年創刊の『サウンズ』、そして『NME』と、駅のキオスクや雑誌スタンドなどでは数多くの音楽紙が売られていた。
<時代と共に生きる音楽紙>
それぞれ個性と独特のクセのある各紙だったが、『NME』はニュースやレビュー、インタビューなどの記事に加えて、米『ビルボード』誌のスタイルを踏襲したヒット・チャートで人気を博していた。現在イギリスではヒット・チャートは『オフィシャル・チャーツ・カンパニー』という機関が集計しているが、1969年の発足以前のチャートについては、『NME』のチャートが“公式”と見做されている。
1970年代に入るとグラム・ロックやパンク、ディスコなど、よりヴィジュアルを重視した音楽の人気が高まっていき、TV番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』が高視聴率を獲得するが、音楽紙と食い合うことはなく、お互いを高め合う形で盛り上がっていく。1978年には『スマッシュ・ヒッツ』、1980年には『フレキシポップ』(毎号ソノシートが付いていた)などグラビアページの多い雑誌が創刊されたが、記事を読ませる音楽紙は変わらぬ人気を誇っていた。ただし『レコード・ミラー』は1982年に新聞スタイルを止め、グラビア雑誌となっている。
1991年に『サウンズ』『レコード・ミラー』 を刊行していたユナイテッド・ニュースペーパー社が雑誌部門を売却したことにより、両紙/誌は廃刊に。『NME』と『メロディ・メイカー』の2大紙のみが生き残ることとなる。
1990年代になるとブリットポップの隆盛でUKロック・シーンが盛り上がるが、“読み物”としての記事は『Q』(1986年創刊)やそのクラシック・ロック部門である『モジョ』(1993年創刊)、『アンカット』(1997年創刊)などにシフトしていき、また1990年代後半のインターネット普及により速報性で劣る週刊紙は劣勢に立たされることになる。その結果2000年、『メロディ・メイカー』は『NME』に吸収合併されることになった。
(この時点では両紙は共にIPCメディア社から刊行されていた)
こうして“一強”となった『NME』だが、時代の流れとの戦いはさらに苛酷なものだった。音楽ソフトのセールス低下や出版不況などにより、部数が激減。英『エコノミスト』誌によると、最盛期の25万部から2015年には1万5千部へと凋落してしまった。『NME』はイギリスの音楽メディアでは最も早くウェブサイトを設立(1996年)していたが、皮肉なことに読者の少なくない割合が「ニュースならウェブで見ればいいや」と紙媒体から離れていったのだ。
<フリー・マガジンへの移行>
そんな状況下で2015年9月、『NME』はフリー・マガジン化するという大胆な決断を下す。そうすることで部数を一気に30万部に増やし、広告収入で収益を得ることになった。
日本ではアルバイト求人雑誌などで有料雑誌からフリー・マガジンへの移行が行われた例があるが、イギリスでは国内最大のタウン情報誌『タイム・アウト』が2012年9月にフリー・マガジン化されるなど、有効なビジネスモデルのひとつとなっている。
“新生”『NME』の特徴は、音楽だけでなく映画やファッション、カルチャー全般にフィールドを拡げていることだ。もちろん、いずれも『NME』的な視点からピックアップされており、いわば『NME』というセレクト・マガジンとして成立している。
実際に読んでみて気付くのは、CD新譜タイトルの広告が減っていること。元々イギリスでは新譜広告は小売店が行うことが少なくなく、『ヴァージン』『タワー・レコーズ』『アワ・プライス』『ザヴィ』などの巨大チェーンがもはや存在しない昨今、広告が減るのは仕方ないことだろう。
ただ、『HMV』『FOPP』など現存するチェーンはしっかり広告を出しており、音楽シーンにおいて『NME』の影響力が今でも強いことを窺わせる。
もうひとつ気付くのは、思い切りの酷評が少ないこと。それもまた『NME』の牙が抜かれてしまったわけではなく、音楽アルバムに加えて映画、ゲーム、アプリなどのレビューも掲載されているため、酷評するようなタイトルをわざわざ掲載するスペースがないのが理由であろう。
日本では2015年7月に日本版ウェブサイト『NME Japan』がスタート。毎日ニュースを発信していくのと同時に、『NME Japan presents』としてライヴ企画も行っていく。2016年2月には第1弾としてジーザス&メリー・チェイン来日公演が行われたが、第2弾となるリチャード・アシュクロフト公演も含め、イギリスのポピュラー音楽と共に歩んできた『NME』ならではのセレクションだ。今後第3弾、第4弾...と、どんなアーティストの来日が企画されるかも楽しみだ。
今回のライヴ会場には少し早めに行って、『NME Japan Presentation』で『NME』の“伝統”と“現在”に触れてみたい。
NME JAPAN presents リチャード・アシュクロフト ジャパン・ツアー2016
大阪
10月4日(火) ZEPP NAMBA
OPEN 18:00/START 19:00
東京
10月6日(木) ZEPP TOKYO
OPEN 18:00/START 19:00
10月7日(金) ZEPP TOKYO
OPEN 18:00/START 19:00
NME Japan