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「不動産の民主化」のミッションを掲げ、大きく変貌する不動産業界に果敢に挑戦する「ヤモリ」とは?(上)

鈴木崇弘政策研究者、PHP総研特任フェロー
変貌する不動産業界の今後は?(写真:つのだよしお/アフロ)

 日本は、少子高齢化等により、急激な人口減少が生じ、特に地域では、駅前シャッター通りや空き家・廃屋などに象徴されるような、多くの土地や建物などの物件が活かされない状態が生まれ、近年不動産業界に大きな変動が起きてきていた。

 そしてまた、昨年2020年初頭から世界的に急速かつ急激に感染拡大した「COVID (コビット) -19(coronavirus disease 2019)」は、世界中の多くの国々や人々に大きく影響し、その日常生活を大きく変貌させた。

 それは、日本も例外ではなかった。特に日本の多くの人々の働き方やライフスタイルを大きく変えた。

 日本では、近年新しい働き方が叫ばれ、リモートワーク、シェアオフィスやコワーキングスペース、サテライトオフィスの必要性、柔軟な勤務体制などが主張され、その変化は、もちろんあったが、コロナ禍が広まるまでは非常に緩慢であり、対面での勤務がベストであるという認識が強かった。

 ところが、そのコロナ禍の急速な世界的感染拡大によるパンデミックにより、中小や現業をはじめとする一部大企業ではいまだ対面勤務が根強いが、他方特に大企業の事務職等では、リモートワークやオンライン会議等が急速に普及してきた。その結果、都内にある企業には、本社や事務所棟を地方に移転したり、都内の業務スペースの縮小化を行うなどの急速な変化が起きている。

 また一部の人々は、地方に移住したり、ワーク地を時に都内から地域(場合により、複数の地域)に移動し、ワークし続けるような新しいライフスタイル等も生まれてきている。

 このような新たなる動きの中、それに呼応するかのように新しい動きが出てきているようである。本記事では、そのような一つの動きを担って、デジタル技術を活用する形で、「地域活性化」「賃貸市場の活性化」さらには「不動産の民主化」を目指す「ヤモリ」という仕組みを開始した、藤澤正太郎氏にインタビューし、今後の不動産業の可能性について、2回にわたって考えていきたい。

<三菱商事ではどのようなお仕事をされていたのですか?>

鈴木(以下、Sと称す):藤澤正太郎さんは、8年間勤めた三菱商事を辞めて、「ヤモリ」を起業したのですよね。三菱商事は、大学生にとって憧れの就職先の一つ。決断には、いろいろな経緯や背景があったかと思います。そこでまず、三菱商事では、どのようなお仕事をされていたのかを教えてください。

藤澤正太郎さん(以下、藤澤さん):水インフラの事業開発に携わっていました。「水資源の確保」というグローバルな社会課題に対してビジネスで解決していく、三菱商事の資本力と与信を武器に長期的な目線で事業を作っていくことができて非常にやりがいを感じていました。

 チリの北部アタカマ砂漠で、海水淡水化プラントと200kmのパイプラインを建設し、周辺の街や鉱山に給水するという日本企業としても初めての事業を担当していました。トラブル続きの案件だったのですが、ど真ん中にあるプラント現場に日本人一人で1年間張り付き、チリ人スタッフと一緒に奔走したのは今となっては忘れられない思い出です。

S:そのようなやりがいのある仕事をされていたのですね。では、そのようにして、8年以上勤めていたにもかかわらず、退職して起業されようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。最近では、大学生の間でも「起業」への関心が高まってきていますので、一流企業を辞めて起業することにした藤澤さんの決断のきっかけやその背景への関心は高いと思います。

株式会社ヤモリ代表取締役藤澤正太郎氏と取締役廣瀬涼哉氏(写真・藤澤氏提供)
株式会社ヤモリ代表取締役藤澤正太郎氏と取締役廣瀬涼哉氏(写真・藤澤氏提供)

藤澤さん:ずっと危機感を持っていたのは、決裁権を持って意思決定する機会が圧倒的に足りていないことでした。そのためには自分自身でリスクを取って挑戦するしかないと気づいていました。それでも目の前の仕事が面白くて、上司や同僚にも恵まれていたので、気がつけば8年間海外を飛び回って時間だけが経ってしまっていたという状況でした。

 チリ駐在から帰国して仕事に区切りがついたタイミングで、何をやるかも全く決まっていませんでしたが、「このままではダメだ」、「一度きりの人生。未来が全く読めない方向に舵を切りたい」と思い切り、先に退職することを決めました。周囲は全員猛反対でしたが、妻だけが応援してくれて、今も頭が上がりません。

<なぜ「ヤモリ」を起業・創業することになったのですか?>

S:ご自分の生き方、人生への思いが、その決断の背景にあったのですね。真摯なお気持ちを伺えて、私も勇気をいただきました。ありがとうございます。

 それでは、そのような決断で憧れの大企業を辞して、自身で決裁権を持てる「起業」を選択されたわけですが、その際にも、産業界や職種等でも多くの選択があったかと思います。そのような中で、特に今の「ヤモリ」を起業・創業することになったのはなぜですか。その経緯を教えてください。

藤澤さん:三菱商事でインフラ・不動産関連の仕事に携わる中で、今後は「既存のリアルアセットをどうやって維持管理していくか」が大きな社会課題になると認識していました。その領域は、まだまだ非常にアナログな領域で、デジタル技術を活用して挑戦できるのではと考えたわけです。その思いは、起業する前のスタート時点から今まで変わっていません。

 退職を決心してから、すぐに事業プランとプロトタイプを自分で作って、ユーザーヒアリングや創業メンバー探しを何度も繰り返してきて、今のヤモリの事業に至っています。

                 …次号に続く…

<藤澤正太郎氏の略歴>

藤澤正太郎氏(写真:本人提供)
藤澤正太郎氏(写真:本人提供)

 慶應大学卒業後、三菱商事株式会社に入社。海外インフラ事業開発とアセットマネジメントに従事。南米チリに4年間駐在し、海水淡水化事業の立ち上げに従事。その後、米国NY本社の不動産ユニコーン企業であるKnotel Inc. のJapan GMを務める。「不動産の民主化」をミッションに株式会社ヤモリを設立、代表取締役を務める。

<参考情報>

・「ヤモリ」会社概要:

会社名:株式会社ヤモリ

設 立:2019年11月22日  所在地:東京都渋谷区

事業内容: 

「ヤモリ」は「不動産の民主化」をミッションに、クラウド・AIを活用して不動産賃貸事業の学習から購入、管理、売却まで、不動産オーナーの経営を支援するサービスを提供。これまで東京大学FoundXや東大IPC 1st Roundに採択されて、不動産事業に特化したクラウドプラットフォームを開発。2020年にサービスを提供開始して以降、登録資産規模100億円超、不動産オーナー400人以上と管理会社が利用中。

政策研究者、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。経済安全保障経営センター研究主幹等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

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