【幕末こぼれ話】新選組の沖田総司は、現在価格2500万円の刀を持っていた?
新選組の沖田総司が所持していたと伝わる刀に、「菊一文字」がある。
総司自身の愛刀は現存していないが、菊一文字は刀剣商によれば現在価格として2500万円で取引される名刀であるという。
また、東京赤坂の日枝神社に奉納されている一振りは、驚くべきことに国宝にまで認定されている。
そんな高級な刀を、新選組の一剣士に過ぎない総司が、本当に所有していたのだろうか。
菊一文字則宗とは
菊一文字というのは俗称で、刀工の名は則宗といった。鎌倉時代の後鳥羽上皇が諸国から名刀工を集めて刀を作らせ、その御番鍛冶の筆頭であったのが則宗である。
当時、備前福岡(岡山県)に福岡一文字派という刀工グループがあり、則宗はその1人だった。この福岡一文字派が作った刀は、刀身に「一」の文字を刻むことで知られ、また後鳥羽上皇は、天皇家を意味する「菊」の紋章を刻むことを御番鍛冶に許可した。
これにより、則宗の作った刀は「菊一文字」と呼ばれるようになったのである。
姿に気品があって斬れ味のいい菊一文字は名刀として評判になったが、なにしろ鎌倉時代の刀工であり、また則宗一代で系譜が途切れてしまったため、作刀数がきわめて少ない。幕末の時点ではすでに実戦刀というよりも、骨董的な貴重品となっていたのだった。
そんな菊一文字が、なぜ沖田総司の佩刀として伝わっているのだろうか。それは総司の実家、沖田家に伝承があったためにほかならない。
沖田家に残る伝承
沖田家の伝承を最初に確認したのは作家の故・森満喜子さんで、昭和38年に沖田家当主の沖田勝芳さんに総司の佩刀について尋ねたところ、次のような返事があったという。
「菊一文字細身の作りであったと父(要)からきいています。その刀は総司の死後、どこかのお寺に奉納したということですが、そのお宮の名も場所も聞き洩らしましたので分かりません」(森満喜子著『沖田総司おもかげ抄』より)
沖田要さんは、総司の姉みつの孫である。沖田家には、確かに総司の刀が菊一文字だと伝わっていたのだ。
よく菊一文字は高価な刀だから、浪人の沖田総司程度の者が入手できるはずがないといわれたりすることがある。確かに総司の経済力では購入することは不可能だろう。
しかし、有名剣士の場合、名刀を他人から贈られることは往々にしてある話である。新選組局長の近藤勇も、名刀虎徹を大坂の豪商から贈られ、自身の愛刀とした。総司の場合もそうであった可能性は十分にあるのだ。
もちろん、総司が菊一文字を持っていたと断定することはできないが、所持していた可能性は決してゼロではない。研究者としての立場からも、私はそう思っているのである。