【幕末こぼれ話】官軍の「トコトンヤレ節」は、とことんやれという意味ではなかった?
明治維新の際に、新政府軍(官軍)が「宮さん宮さん~」と歌い演奏した曲は、広く知られている。正式なタイトルは「都風流トコトンヤレ節」といい、民衆の心が新政府への支持に傾くよう仕向ける意図で作られたものだった。
この曲の歌詞には、何回も「トコトンヤレ」という言葉が登場するので、これは幕府との戦争をとことんまでやれと、士気を高めるために歌っているのだと誰もが思っていた。
ところが先日、NHKのバラエティ番組で、実はそうではないと紹介され、お茶の間に驚きが走った。いったいどういうことなのか。そのあたりを今回は詳しく解説していこう。
トコトンヤレの意味
「トコトンヤレ節」の歌詞は次のようなものである。
一天万乗のみかどに手向かひするやつを トコトンヤレトンヤレナ
ねらひはづさずどんどんうちだす薩長土 トコトンヤレトンヤレナ
宮さま宮さま御馬の前のびらびらするのはなんじゃいな トコトンヤレトンヤレナ
ありゃ朝敵征伐せよとの錦の御はたじゃしらないか トコトンヤレトンヤレナ
全部で五番まであり、ここでは一番と二番を掲げた。宮さまというのは、戊辰戦争時に東征大総督として江戸に進軍した有栖川熾仁親王を指している。
さて、歌詞の間に合いの手のように入っている「トコトンヤレ」だが、この「とことん」という言葉は江戸時代では、現代のように「徹底的に」という意味ではなかった。では当時はどういう意味だったかというと、「おけさ節などの囃し言葉」でしかなかったというのである。
たとえば『東海道中膝栗毛』(十返舎一九著・享和二年初刊)には次のような箇所がある。
「みんなそれからトコトントコトンと、はやしてくれさっしゃい」
まさしく囃し言葉であり、「トコトンヤレ節」と共通した使い方がされている。江戸時代を通じて、「とことん」にはこういう意味しかなく、つまり「トコトンヤレ節」の場合も単なる囃し言葉として使われていたに過ぎないのだった。
作詞者は品川弥二郎
ではその「とことん」が、いつから「徹底的に」という意味を持つようになったのか。
これがなんと、随分と後のことなのである。
「トコトン喧嘩する気か」(昭和十二年・戯曲「北東の風」久板栄二郎)
というのが、確認できる初出記録である。明治どころか、まさか昭和になってから「とことん」の意味が変わったとは、驚くべき事実というほかない。
「トコトンヤレ節」を作詞した長州藩の志士・品川弥二郎は、この曲を民衆の間で流行させて新政府への支持を得ようとした。京都東洞院二条で書店を営業していた田中屋治兵衛方には、次のような話が伝わっている。
「ある日のこと品川がこの店に来て、主人にトコトンヤレ節の原稿を示し、明日までに何百部かを印刷することを依頼した。(略)品川はそれを京都市内の町の辻で読売りに売らせたため、間もなくトコトンヤレ節が一般に流行するようになった」(『品川弥二郎伝』)
品川には戦争をとことんやれと煽ったつもりはなかったが、結果的に新政府軍は旧幕府軍を「トコトン」撃ち破り、倒幕維新はなしとげられたのである。