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なぜ横浜最強助っ人ロバート・ローズは日本に戻り、独立火の国サラマンダーズの監督に就任したのか

田尻耕太郎スポーツライター
横浜ベイスターズの伝説助っ人が火の国サラマンダーズ監督に!

 プロ野球独立リーグ「ヤマエグループ九州アジアリーグ」の火の国サラマンダーズのロバート・ローズ(愛称ボビー・ローズ)新監督(56)が5日、熊本市内で就任会見を行った。

 前日夕方に来日して東京からすぐに熊本入り。それでも疲れた様子は見せず、笑顔が溢れる会見となった。また、現役時代は「プレーに集中したい」との理由から取材嫌いだったことで知られたが、この日は質問者1人1人の目を見て、柔和な表情で質問に応じていたのが印象的だった。

会見中の様子
会見中の様子

 ローズ監督は1967年3月15日、アメリカカリフォルニア州生まれ。1993年に来日して8年間、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)でプレーした。1998年は「マシンガン打線」の中軸としてリーグ優勝と日本一の立役者となった。

 1999年には打率.369、153打点(NPBシーズン歴代2位の記録)二冠王を獲得。2000年のシーズンを最後に退団した。2年間のブランクを経てロッテに入団するも2003年シーズン前に退団して出場はなし。その後はマイナーリーグのコーチなどを務めていた。

 NPBでの通算成績は1039試合出場、打率.325、1275安打、167本塁打、808打点。首位打者1度、打点王2度、最多安打2度などのタイトルを獲得し、ベストナイン6度とゴールデングラブ賞1度にも輝いている。

 今年6月にはDeNAベイスターズ球団のイベント「GET THE FLAG SERIES 2023」のスペシャルサポーターに就任して来日もしていた。

ローズ新監督に訊く

――目指すチームの方向性は?

「究極の目的は優勝。あとは選手がNPB球団にドラフト指名されるように。1人1人コーチングしていきたい。自信も与えていきたい」

――球団社長は「火の国マシンガン打線」「打のチーム」と期待していたが?

「社長と同感。98年のマシンガン打線を再現したい。その中にスモールベースボールも入れていくが打撃重視。点が入る野球をしたい。野球は点数が入るほど、チームのプレッシャー軽減になるしね」

――最初、オファーをもらった時の気持ちは?

「即決だった。考えることもなかった。家族も日本を愛している。現役を終えて指導者もやりたかったし。だから迷わずサインをした」

――NPB球団ではなく独立リーグ球団の監督就任に驚きの声も上がったが?

「NPBだといろんな制限もある。独立リーグの球団の方が自分らしく指導もできると思った。だからNPBよりも独立を望んでいた」

――引退後の生活は?

「引退は、今振り返ると早かったと思う。引退して20年以上経っているが、その間も日本に戻るための努力をしてきました。それが実現できて嬉しい」

――今年はベイスターズのイベントのために来日するなど、積極的だった。ここにきて日本への思いが強まった?

「(イベントなどで)来日したのはファンと距離を縮めるためだったし、日本とのかかわりも残したかった。今年は3回ほどふれあいの機会を設けられた。当然、その時はサラマンダーズの監督の話はなかったが、いつか日本に戻るための道筋をつくる1つでもあった。そして、急に戻りたいと思ったわけじゃなく、ずっと思っていました。今回は素晴らしい機会を頂いた。頑張りたいし、熊本も横浜のように愛する街にしたい」

――熊本の印象は?

「日本に来てまだ24時間経ってない。昨日の夕方5時ごろ羽田空港に着いた。でも、ホテルの部屋から熊本城が見えた。素晴らしかった。明日ゆっくり街を観光したい」

――呼び名はボビー監督、ローズ監督のどちらが?

「ボビーで」

――監督就任にあたり、当時の横浜ベイスターズのチームメイトと連絡は?

「電話やメールでやりとりしました。場合によっては熊本に呼んで、選手の指導を一緒にできればいいね。谷繁さんとかみんな、自分が監督として日本に戻ろうとしているのは知っていたから」

――球団SNSで日本の美味しい食事の場所を教えてほしい、と。興味のある日本食は?

「熊本は馬刺しが有名だと聞いています。私は食べたいが、妻は苦手だと思う(苦笑)。でも自分1人でも食べに行きたいね。関東では谷繁さんがお店を紹介してくれた。熊本では隣にいる神田社長に聞いてみたい。彼と交渉した時、最初の質問は『馬刺しは食べたことありますか?』だったからね(笑)」

――現役時代は自分のプレーに集中するため取材嫌いだったとも。今回はいかがでしょう?

「たしかに仰る通り。でも、監督になった。できるだけ取材にも協力したい。また楽しみにしています」

(※写真はすべて筆者撮影)

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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