Yahoo!ニュース

インターハイやウィンターカップには興味なし。全米No.1の高校で挑戦の日々を過ごした少年とは?

青木崇Basketball Writer
取材協力/フットサルステージ (C)Takashi Aoki

 7月のある日、アメリカのAAU(アマチュア・アスレティック・ユニオン)に所属するクラブ、東京サムライを率いるクリス・ティーセンコーチからメッセージが届いた。「現在チームに所属する高校生、OB、大学生を集めて試合をやるので、興味があればぜひ」というもの。参加する選手のリストを見せてもらった結果、15歳から20代前半のおもしろそうな子たちばかりということもあり、川崎市内の体育館まで足を運ぶことにした。

 メンバーのリストを見てまず驚いたのは、現在アメリカの高校バスケットボール界で最強と評価されているモントバード・アカデミー(フロリダ州)でプレーする日本人がいたこと。彼の名前は高橋昌也。中学卒業後に渡米した178cmのポイントガードで、試合後に少し話をしてみると、サンロッカーズ渋谷のU15に在籍していたことを教えてくれた。高橋のプレーを見た印象は、得点機会のクリエイトを重視するタイプのポイントガード。即席チームであっても、積極的にコミュニケーションを図るところは、英語で不自由していないとすぐにわかったし、ティーセンコーチの「恐れを知らないし、常に学びたいと思っている」という評価も、コート上での姿勢を見て納得した。

 中学卒業後にバスケットボールの本場に留学することは、相当の覚悟と強い思いが必要。それも、ニューヨーク・ニックスのローワン・バレット・ジュニアら数多くのタレントを輩出しているモントバード・アカデミーに行くことができたのかなど、高橋に対する興味は尽きなかったこともあり、8月上旬に改めて話を聞く機会をもらった。

小4でアメリカに行くという目標を設定

 高橋は元々身長があまり高くなかったこともあり、ミニバスのころからポイントガードとしてプレー。自宅の近くにバスケットのゴールがなかったため、ボールさえあればできるハンドリングの練習を一生懸命に取り組み続けた結果、チームのだれよりもうまくなるなど、大きな自信を手にした。小学校4年生のころ、高橋は映像を見ながら“NBA選手になりたい”という思いを持ち始める。実現するためにはどうしたらいいのかを考えると、高校で渡米したほうがいいという結論に至ったという。

「小学校の時からバスケを始めていて、NBAを見たら“NBAに行きたい”ってなるじゃないですか? それで行きたいとお父さんに言って、どうしたらなれるのかを逆算して考えたら、NBAに入る人はディビジョン1(D1)の大学に行っています。D1の大学に入るのならば、アメリカの高校にいたほうがいいということです。今となれば八村選手が日本の高校からD1に行きましたけど、アメリカの高校に行ったほうがチャンスは多い。だから、小学生の時からアメリカの高校に留学してチャレンジしようということになりました」

 そんな思いを持った高橋が中学生になると、部活動に対して物足りなさを感じた。bjアカデミーと掛け持ちする時期もあったが、自分がレベルアップできる環境がないという理由で中学のバスケットボール部を退部。その後、bjアカデミーのコーチから紹介された東京サムライでプレーする機会を得たことは、留学に向けての準備という点で高橋にとって最高の環境だった。

「サムライは留学のことを考えると英語もできるし、アメリカと日本はバスケが違うじゃないですか。そういうアメリカ人の長さとかバネというのを日本にいるころから感じることができたのは、すごく大きかったです。サムライに初めて行った時は結構ショックでした。15、16、17と3カテゴリーあるけど、僕が行った時は13歳だったから、普通にみんな大きかった。今も大きいですけど、学年も下だったから本当にビックリしました」

 部活動にもやもやしていた時期、高橋はbjアカデミーで一人の同級生と出会う。アメリカ人の父と日本人の母を持つ介川アンソニー翔(*)だ。現在アメリカの高校に通っているスコットは、東京で10年以上生活していたこともあり、英語も日本語も堪能。アメリカのバスケットボールに対する強い興味をお互いに持っていたこともあり、高橋はすぐに仲良くなった。アメリカへの強い思いとは対照的に、インターハイやウィンターカップへの興味が薄いことは、次の言葉からでも理解できよう。

「遊び感覚から違うなと思うのが、日本の子だったらYouTubeとかでBリーグやインターハイ、ウィンターカップというところを見ているところ、僕たちは小さいころから(アメリカの)ハイスクール・バスケットボールでこいつやばいとか、ESPNの1位(のだれ)とか、だれに言っても話が合わないのにアンソニーだけは話が合った。そういった話ができるからすごく仲良くなれたと思う」

 大親友となった介川が先に渡米し、中学校から高校へと進学する過程を知った高橋は、中学3年生になると本格的な学校探しに動き始めた。そのころからサンロッカーズ渋谷のU15チームでプレーするようになったが、アメリカとのネットワークを持つ松岡亮太の存在は、高橋の留学実現に大きな助けとなる。

サンディエゴの高校に通う介川は中学の時から大親友 (C)Takashi Aoki
サンディエゴの高校に通う介川は中学の時から大親友 (C)Takashi Aoki

全米No.1の高校でのチャレンジ

 現在サンロッカーズ渋谷の強化・育成部主任を務める松岡は、トップチームに在籍していた時に外国籍選手の通訳をこなすなど、日常的に仕事で英語を使っていた。アメリカのバスケットボール界とのつながりを持つなど、高橋の相談相手としては最高の人物。松岡とサンロッカーズ渋谷に縁のある人を通じて、高橋はモントバード・アカデミーを紹介してもらったのである。

「アドバイザーの人からモントバードという学校があるということで調べ始めたら、とんでもなく強かった。すごく格好いいチームだからすごく興味を持つようになりました。言われた時は知らなかったんです」

 アメリカの高校の多くは、トライアウトで勝ち残った選手がメンバーに入ることができる。ただし、モントバード・アカデミーの場合は7年生から12年生(中1から高3)、高校卒業後のプレップスクール生を対象にしたプログラム、Center for Basketball Development(CBD)があり、チームを9つ持つなど受け入れの幅が広い。留学生としてバスケットボールのチームに受け入れてもらったとはいえ、無名の日本人で身長が低いということもあり、入学当初レベルの低いカテゴリーのチームに入れられた高橋。「1軍(バーシティ)のフィジカルを見た時はビックリしました」と語ったが、バーシティのメンバーになりたいという強い思いから気持をすぐに切り替えて努力し、所属したCBDグレーでアワードをもらえるくらい質の高いプレーをし続けた結果、シーズン途中から1軍の練習に参加できるになった。

「グレーの中で賞をもらえました。チームごとで一番活躍した選手がもらえて、グレーの中でも自分はもっと上のチームに入りたかった。チームメイトも”俺たちならあのチームに入れるよ”と話すくらい負けたくない気持が強くて、紅白戦とかで上の上のチームを倒したりしていました。その時はうれしかったですね」

 東京サムライで英語を話す習慣がついていた高橋だが、授業についていけるかという点で一抹の不安はあった。しかし、レポートなどの提出物の期限をしっかり守ると、先生が“よくやった”と褒めてくれる環境だったことや、授業内容が日本より少し簡単だったこともプラスに働き、上々の評定を残せた。アメリカでプレーするための絶対条件、学業との両立をしっかりできたことは自信になったが、不運にも新型コロナウィルスの影響でシーズンが途中で終わってしまう。

モントバード・アカデミーで充実した1年を過ごした高橋 (C)Takashi Aoki
モントバード・アカデミーで充実した1年を過ごした高橋 (C)Takashi Aoki

先行き不透明も目指すところにブレはなし

 バスケットボールがプレーできないだけでなく、学校に通えない状況になった高橋は3月に一時帰国を強いられた。庭にゴールがある介川の自宅、近所にあるフットサルステージのコートを借りての自主練を行うことで、プレーの感覚を失わないために最善を尽くしている。アメリカでは9月に新年度を迎えるが、日本を発つ目処が立ってない。仮に渡米すると決断したとしても、高橋自身はモントバード・アカデミーに戻るかを決めていないという。全米ランキングでトップ10に入る他校から“うちならバーシティだよ”と勧誘されていることもあり、今後の進路に迷いがあることを否定しない。

「本当ならソフォモア(10年生=日本の高1)のシーズンもアメリカでやりたいけど、行ってオファーとかスカラシップをもらったところで、留学は飛行機代とか(費用が)いろいろかかります。僕には兄と弟がいますし、行っても今年みたいに途中で返されるとか、シーズンがなくなった場合のリスクを考えます。シニアだったら行きましたけど、今年は日本に残ろうかなと…。3、4年目が勝負ですから」

 日本に残ると決断すれば、高橋は通信教育でアメリカの高校で必要な単位を取得しながらバスケットボールの練習をし、ジュニア(11年生=日本の高2)となる来年からの2年間で、NCAAディビジョン1の大学からスカラシップをもらえる選手を目指すつもりだ。高橋がモントバード・アカデミーの1軍メンバーになれれば、数多くのカレッジ・コーチから見てもらえる。

 しかし、アメリカ人ならばトップ100レベル、留学生であればアンダーカテゴリー代表で国際大会を経験している選手たちとの競争を勝ち抜いて、まずは試合に出なければ意味がない。3、4年目が勝負という高橋の言葉からすれば、他校への転校は十分考えられる。ただし、どんな決断を下そうとも、目指す方向にブレはない。NCAAディビジョン1の大学でスカラシップをもらえる選手となり、その先の大きな夢の実現に近づくためにも…。

(*)本人とご家族の要望により、名前を変更いたしました。

 

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

青木崇の最近の記事