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「中国を含めたTPP」を求める声:米国の退場、日本の袋小路、中国の逡巡

六辻彰二国際政治学者
TPP離脱の大統領令に署名するトランプ氏(2017.1.23)(写真:ロイター/アフロ)

米国トランプ新政権が大統領選挙の公約通り、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)から「永久に」脱退することを表明しました。その趣旨への賛否にかかわらず、米国抜きのTPPがメンバー国間の自由貿易を進める際のスケールメリットに乏しいことは確かです。

このなかで1月24日、オーストラリアとニュージーランドは「中国を含むアジア諸国をメンバーに加えることを検討するべき」という考えを示し、ペルー政府も同様の声明を発表

TPPメンバー国の間で、「中国待望論」が広がりをみせている状況下、日本だけでなく、中国にとってもデリケートな舵取りを余儀なくされているといえます。

米国の退場

TPPに中国が参加していないことは、その設立が日米を中心とする対中包囲網の一環としての性質からすれば、いわば当然です。さらに、もともと中国に対する警戒感には各国ごとに温度差が大きく、日本の一般的な感覚は必ずしも世界標準ではありません「米国抜き」であることがTPPの魅力を大きく損なうことに鑑みれば、習近平体制による貿易障壁の規制緩和や知的所有権保護への取り組みが不十分だと不満があったとしても、他のメンバー国から中国の参加を求める声が大きくなることは、不思議ではありません

トランプ政権に批判的な米国の大手メディアからは、この状況を懸念する論調が噴出。ウォールストリート・ジャーナルは保護主義に向かうトランプ政権を批判し、トランプ氏の就任の前週にダボス会議で習近平主席が自由貿易の重要性を強調したことを踏まえて「どちらがグローバリストか」というタイトルで、米中の立場の逆転を指摘しています。

トランプ氏は選挙キャンペーンで中国の為替操作や貿易障壁などを批判しており、最近では南シナ海での航行の自由や、台湾との「一つの中国」をめぐる問題で、中国政府と確執を深めています。しかし、これら米国の利害に直接関わる問題以外、例えば人権や環境などでは、中国への批判や警戒はほとんどみられません。

超大国とただの大国は、大きく異なります。大国とは政治的発言力、経済力、軍事力などを備えた国で、これは数多くありますが、一方の超大国は飛び抜けて大きな国力をもつだけでなく、世界全体の秩序やルールを作る存在です。もちろん、それは善意からではなく、超大国は世界全体に共通する秩序やルールを作りながら、そのなかで自らが最も利益を得ることを図ります。冷戦期からグローバル時代にかけて、米国は「世界の利益=米国の利益」という国際構造を作り出し、そのためには他国より市場を開放することによる貿易赤字や、基軸通貨ドルを発行し続けることによる慢性的なインフレなどのコストも負担してきました。

しかし、トランプ政権のもとで内向きになる米国は、米国自身の利益を前面に押し出す一方、世界全体の秩序やルールへの関心を薄めています。それはつまり、米国が超大国であることによるコスト負担を嫌い、「飛び抜けて大きいものの普通の大国」になることを意味します。

この観点からすれば、米国自身にとって利害関係のない部分で、中国がどのように活動しようが、トランプ政権にとって大きな問題でないことになります。TPPやNAFTAなど多国間のFTA(自由貿易協定)が米国の利益に適っていないという立場から、トランプ新政権は二国間のFTAを個別に結んでいく方針ですが、自分たちが抜けた後のTPPに中国が加入するか否かに、大きな関心があるかは疑問です。その「退場」がこれほど大きなインパクトを持つことは、とりもなおさず米国の影響力の大きさとともに、それがリーダーでなくなることの不安定さを示します。

日本の袋小路

一方、「米国の退場」により、日本政府は袋小路に陥っているといえます。

安倍総理は「21世紀型の自由貿易のスタンダード」としてTPPの意義を強調し、「米国に翻意を促す」と言い続けています。しかし、選挙中に「貿易不均衡」の是正を前面に掲げ、実際に既に命令を発した以上、トランプ氏がTPP脱退を取り消すことはほとんど考えられません

その場合、トランプ政権が進めようとしている二国間FTAの交渉に臨むことが事実上の既定路線になっていることは想像に難くないとしても、TPPの取り扱いに関して、日本政府には三つの選択肢があるといえます。

第一に、米国に倣ってTPPから脱退することです。しかし、これはいかにも「追従」であるだけでなく、支持基盤であるJAや医師会の慎重姿勢を押し切ってまでTPPの意義を強調してきた手前、政府にとっては国内政治の文脈においても大きなコスト負担を覚悟しなければなりません。

第二に、「米国退場」後のTPPを日本主導で切り回す、言い換えれば日本が自前の自由貿易圏を確立することです。しかし、既にオーストラリアなどから「中国のリクルート」の声が出始めていることは、残った国だけでTPPを存続させることへの悲観的な見方を象徴します。他の国からの期待が薄い以上、日本が単独でTPPを主導することは現実味が薄いといえます。

第三に、他のメンバーの要望に沿って、中国に参加を求めることです。既に日本は、中国を含め、オーストラリア、ニュージーランド、インド、韓国、ASEAN(東南アジア諸国連合)との経済連携を目指すRCEP(東アジア地域包括的経済連携)交渉に臨んできました。したがって、中国との間で貿易・投資を自由化する枠組みは生まれつつありますが、日本政府にとってTPPとRCEPは米中間でバランスのとれた立ち位置を確保する意味があります。TPPにも中国を招き入れることが、アジア太平洋地域におけるその経済的影響力をこれまでになく大きくする以上、日本政府が他のメンバー国からの提案に乗ることは想像しにくいでしょう。

つまり、どの選択肢も日本政府にとってはハードルが高いとみられますが、かといってそれに代わる代替案も見受けられません。戦後、安全保障と経済の両面で米国への依存度を深めてくるなか、そして中国や北朝鮮との対立が深まるにつれ、日本政府には米国の対外政策に付き合うことが「現実的」と捉える傾向が、従来以上に濃厚になってきたといえます。その結果、「超大国としての米国」という「現実」そのものが変容しつつあるなかで、既存の行動パターン以外のものを見出せていないといえるでしょう。

中国の逡巡

ところで、TPPをめぐる混迷は、ラブコールを集める中国にとって、必ずしも浮かれていられる状態ではなく、「痛し痒し」といえます

近代以降の世界では、超大国(覇権国)が国際的な秩序を形成してきました。しかし、超大国には寿命があり、その衰退に合わせて国際的な秩序も変化してきました。英国が「七つの海を支配した」19世紀、植民地主義は合法的でした。英国自身が最大の植民地帝国だったことは、これを支える大きな条件でした。しかし、英国の衰退と入れ違いに超大国の座についた米国が、植民地主義を保護貿易の温床とみなしたことは、植民地主義そのものの衰退に拍車をかけたのです。つまり、超大国が入れ替わることで、世界全体のルールの変更が促されたといえるでしょう。

現代に目を転じると、トランプ政権はTPPやNAFTAなどの貿易協定だけでなく、2015年に結ばれた地球温暖化防止のために結ばれたパリ協定からも脱退しかねませんが、この協定は世界第一、第二の温室効果ガス排出国でありながら、京都議定書のもとで排出削減に取り組んでいなかった米中が結んだ取り決めを下地にしていました。つまり、既に中国は世界全体のルール作りに参画することで自らの立場を確保し始めているのですが、その中国にとって「米国の退場」は、超大国の座に就くチャンスがめぐってきたことを意味します。

実際、1月23日、中国外務省国際経済局長は、「必要とされるなら中国は世界のリーダーシップをとる」と発言。 米紙ウォールストリート・ジャーナルは、その道のりは遠いとしながらも、「中国が米国の後釜を狙っている」と論じていますが、これは超大国でなくなることに対する米国内部の(主にエスタブリッシュメントの間の)警戒を象徴します。

ただし、超大国の座につくには、様々なコストがかかりますが、中国がその覚悟を固めているかは不明確です。

中国の場合、その爆発的な投資と貿易によって相手国の経済を活性化させる力を持ちます。ただし、世界レベルでみたとき、大規模な資源輸出国を除くと、その貿易のほとんどは中国の圧倒的な出超になりがちで、ここが米国との大きな違いです。つまり、中国は自由貿易のルールに基づいて輸出で稼ぐ一方、輸入はそれに見合っていないのです。もし、中国が本当に自由貿易の旗手に名乗りをあげ、米国から超大国の座を引き継ぐのであれば、自らの市場をもっと開放しなければならず、そうしなければ他国から「米国に代わるリーダー」として認知を得ることは困難です。しかし、中国企業に与える打撃を考えると、それは決して安くないコストといえます。

また、中国は主に開発途上国の間で「人権や環境などの問題でやかましいことを言う欧米諸国に代わる存在」として支持を広げてきました。いわば、「面倒な取締役」がいるからこそ、「物分りのいい中間管理職」を演じることで人気を得たともいえます。しかし、二番手が一番手になれば、自らがルール作成で大きな力を振るう以上、これまでのような支持の集め方は困難になります。また、曲がりなりにも「自由」や「民主主義」を普及させてきた米国と異なり、中国には市民レベルで普及させる価値観はほとんどありません。

これらに鑑みれば、安易に超大国の座を引き継げば、むしろ中国に対する不満や不信を増幅させかねないといえます。先述の局長レベルの威勢のいい発言はともかく、最高指導部の間から「世界のリーダーシップ」に関して公式の声明が出ていないことからは、「米国の退場」後の立ち位置に関する中国政府の逡巡を見出せるでしょう

こうしてみたとき、「米国の退場」にともなうゲームのルールが変化するなか、それぞれのプレイヤーは、新時代における方向性を模索しているといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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