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【世界卓球】58年ぶりに中国卓球に風穴を開けた早田ひな その強さの常識外れの理由とは

伊藤条太卓球コラムニスト
早田ひな(写真:アフロ)

2023年5月26日、歴史的な瞬間が訪れた。世界卓球選手権ダーバン大会(南アフリカ)の女子シングルスで、世界10位の早田ひな(日本生命)が、同3位の王芸迪(中国)を4-3の死闘で破り、銅メダル以上を決めた。

メダル獲得以上に価値があるのが、中国選手を破ったことだ。

卓球界では中国選手に勝つことは特別な意味を持つ。平野美宇が2017年アジア選手権で優勝したとき、優勝という成績よりも世界を驚愕させたのは、中国のトップ選手3人を立て続けに破ったことだった。その2ヶ月後に行われた世界選手権デュッセルドルフ大会で、平野は日本選手として1969年ミュンヘン大会優勝の小和田敏子以来48年ぶりに女子シングルスのメダルを獲得したが、中国選手には準決勝で丁寧に破れ、アジア選手権のリベンジを許した。

2017年世界選手権で銅メダルを獲得した平野美宇
2017年世界選手権で銅メダルを獲得した平野美宇写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ

日本卓球界不世出の大選手、水谷隼はリオ五輪で銅メダルを獲ったが、それは「中国選手以外には負けなかった」ことの勲章だった(五輪のシングルス出場枠は各国2人)。

それほどまでに中国の壁は高くて厚い。だから選手はメダルを獲っても「中国選手に勝ったわけではありませんので」と枕詞のように語る。

実際、世界選手権の個人戦のシングルスでは、現役選手の誰も記憶にないほど長い間、日本選手は中国選手に勝っていない。女子シングルスで最後に中国選手に勝ったのは、1995年の佐藤利香(相手は奇しくも張本智和の母・張凌)である。早田が生まれる5年も前のことだ。

中国の主力選手に対する勝利となると、1991年に星野美香(現・強化本部長)が陳子荷に、1989年に内山京子が高軍に勝った試合まで遡らなければならない。しかし、いずれもメダルには届いていない。

中国選手に勝って、なおかつメダルを獲得した大会となると、1965年リュブリアナ大会の決勝で、深津尚子が林慧卿を破って優勝したのが最後である(先述の小和田が優勝した大会には中国は文化大革命のため不参加)。早田の両親でさえ生まれていたかどうかわからない、歴史の狭霧に閉ざされたはるか彼方の「卓球ニッポン黄金時代」のことである。

今回の早田の中国越えは、それ以来の実に58年ぶりのことであり、どんな言葉をもってしても足りない快挙である。

昨年の7月、早田は筆者のインタビューで「中国選手の中で最大の強敵は誰か」との問いに「対戦したことがある選手の中では王芸迪選手です」と答えた。他の選手なら、まだ自分の技術が通用する手応えがあるが、王芸迪には何かができるようになったとしても勝てそうにない、サーブもレシーブも独特で、ラリーになったらピッチが速く、長いラリーでは男子並のボールが来る。「まるでマシンのよう」と語った。そのインタビューから10ヶ月。早田はその強敵に世界選手権という大舞台で勝った。

早田には、中国選手が決して持ちえない長所がある。試合中の笑顔に見られるリラックスだ。それは、負けることが許されない中国選手には決して持ちえない武器だ。中国選手は圧倒的な重圧の下で戦っているから強いのではない。まったく逆に、重圧下で戦う分だけ不利なはずだが、それでも勝つほど圧倒的に強いということなのだ。

卓球では、勝ちたい気持ちは日々の選手生活においては重要だが、こと試合ではマイナスにしかならない。指先まで使い、反応時間の限界で戦う卓球では、勝ちたい気持ちが緊張を生み、判断と動きを狂わし、反応とスイングを遅くする。

それは選手として経験すれば誰でもわかることだが、いざ指導者の立場になると、つい選手にプレッシャーをかけ、頑張っていないわけがない選手に発破をかけ、集中しているのに決まっているトップ選手にまで「集中しろ」と言う。それは中国のベンチコーチを見ても明らかだ。選手が試合中に笑うなど許されるはずもない。

早田ひな
早田ひな写真:YUTAKA/アフロスポーツ

それに対して早田は、マッチポイントを取られてさえ笑顔を見せた。それは王芸迪にとって、理解しがたい姿だっただろう。それもまた彼女へのプレッシャーとして加算されたかもしれない。「笑ってる奴に負けるのか」と。

しかし早田は笑ってるのに強いのではない。笑ってるから強いのだ。そしてそれは、生得的なものではなく努力の結果である。かつて早田は、勝ちたい気持ちが強すぎて勝てない時期があった。3連覇がかかった全国中学生大会で年下の選手に負けたときだ。どうしたら試合で練習のようにプレーができるのか。その殻を打ち破るためにコーチの石田大輔が考えた方法が「どんな状況でも常に笑顔で卓球を楽しむこと」だった。それは簡単なことではなく、そうできるようになったのは、ほんのここ何年かのことだと早田は先のインタビューで語った。

早田の試合中の笑顔は、強すぎる勝ちたい気持ちを抑えるための精神コントロール方法であり、ついもたげてくる緊張と紙一重のものだ。笑っていた早田がその数秒後、勝った瞬間に号泣したのはそのためだ。真似をしようとしても一朝一夕にできることではないし、そもそも笑う方が強いなどという考えは理解さえされないだろう。負ければ「それ見たことか」とむしろ敗因にされるのがオチだ。

しかし早田は勝った。それも58年ぶりの偉業という有無を言わさぬ最高の形で。

最大の敵を倒した早田は、今夜、世界ランク1位の孫頴莎と相まみえる。乗り越えれば、決勝は陳幸同と陳夢の勝者であり、早田にはやりやすい。よって、孫頴莎戦が事実上の決勝戦となるかもしれない。

準決勝でも早田は笑うだろう。勝つために笑うだろう。それは、卓球の常識、スポーツの常識を変えることになるかもしれない。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、一般企業にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、執筆、講演活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。NHK、日本テレビ、TBS等メディア出演多数。

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