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【アジア卓球】張本智和 日本勢50年ぶりの快挙、金メダル その真の意味とは

伊藤条太卓球コラムニスト
張本智和(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

張本智和がカザフスタンで行われたアジア選手権の男子シングルスで優勝を果たした。日本勢の同種目の優勝は、1974年の長谷川信彦以来、実に50年ぶりの快挙だ。団体戦は自身も張禹珍(韓国)に敗れてベスト8に終わり、松島輝空と組んだ男子ダブルスも、パン・イエウエン/クエク・アイザーク(シンガポール)に敗れてこちらもベスト8に終わっていた。いずれも勝てない試合ではなかっただけにショックは大きかったはずだが、そこからメンタルを立て直しての快挙は見事と言う他ない。

混合ダブルスにエントリーしていない張本は、結果として体力を温存し、男子シングルスにエネルギーを集中できたとも言える。

1974年アジアチャンピオン 長谷川信彦(向こう側)
1974年アジアチャンピオン 長谷川信彦(向こう側)写真:山田真市/アフロ

一方で、張本とアジア王者をかけて戦った世界ランキング3位(2024年10月8日付)の林詩棟は、直前まで北京で行われていた「WTTチャイナスマッシュ」で、男子シングルス、男子ダブルス、混合ダブルスの3種目で決勝に進み、男子シングルスと混合ダブルスで優勝。今大会でも男子団体、混合ダブルスで優勝と、その試合数は大変なものだっただろう。いかに体力のある19歳とは言え、かなりきつかっただろうことは想像に難くない。

もしもこれが五輪や世界選手権前だったなら、中国はこんな無茶なスケジューリングはしない。アジア選手権は中国にとって重要な大会であることには間違いないが、最重要とは位置付けていなことがこうしたことからわかる。だからといって負けてもよいと思ってるのかと言えばそれも違う。それでも勝てるほど中国は強いということなのだ。下の表は、男子シングルスの歴代優勝者をまとめたものである。黒字が中国選手で、赤字がそれ以外の選手を示している。

筆者作成
筆者作成

アジア選手権を見ると、中国は1976年から2023年まで参加した23大会のうち、22大会で優勝しており、優勝を逃したのは2000年の1回だけである。また、中国選手が優勝した22大会のうち、17回は中国選手同士の決勝だったし、金、銀、銅(2個)の4つのメダルを中国が独占した大会さえ5回もある。

中国の強さはそれだけではない。実は中国は、アジア選手権にはベストメンバーを派遣していないのだ。この表を見ると、同じ選手がまずアジア選手権で優勝し、その後、世界選手権や五輪で優勝する傾向があることがわかる。それは、中国はアジア選手権には世界チャンピオンや五輪チャンピオンを出さず、若手を試す場として使ってきたからだ。たとえば、優勝を逃した2000年には劉国梁と孔令輝という両エースが出ていないし、2003年には孔令輝と王励勤が出ていない。2015年と2019年に馬龍が出ていないことはもちろんだ(出れば優勝している)。調べた限りでは、1998年以降、中国男子はアジア選手権にベストメンバーを出したことは一度もない。それでこの成績なのだ。

日本選手がもっとも優勝に近づいたのは、1998年に偉関晴光が決勝に進んだときだったが、偉関は中国選手時代に五輪で男子ダブルスの金メダルに輝いた帰化選手だった。

偉関晴光 中国から帰化し、日本代表として活躍した
偉関晴光 中国から帰化し、日本代表として活躍した写真:アフロスポーツ

中国はアジア選手権にベストメンバーを出さないし、コンデションもベストとは言い難い。それでもこの50年間、その隙をついて金メダルを獲ることができたのは蔣澎龍(台湾)だけだった。日本人最後の世界チャンピオン小野誠治も、東京五輪混合ダブルス金メダルの水谷隼も獲ることはできなかった。

今回、張本はそのチャンスをつかんだ。それは、世界選手権、五輪の覇者となるためのスタート台に立ったことを意味する。歴代のレジェンドたちがそうだったように。しかし、ここから先に進むことができるのは選ばれし者だけだ。その困難な道を21歳の若者は歩もうとしている。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、一般企業にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、執筆、講演活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。NHK、日本テレビ、TBS等メディア出演多数。

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