残業時間に上限を付ける必要などない理由
現在は事実上の青天井となっている残業時間について、上限をつけようという議論が労使(連合と経団連)の間で続いています。こうしたやりとりをみて「連合がんばれ!悪の経団連をやっつけろ!」と応援している子供たちも多いのではないでしょうか。
ただ、子どもたちの夢を壊すようで申し訳ないですけど、今回の労使のやり取りはほとんど出来レースであり、落としどころは最初から決まっています。そして、そもそも「残業に上限をつける」必要なんてぜんぜんありません。というわけで、今回は日本の“労使”についてまとめておきましょう。彼らの関係を理解すれば、日本が本当に取り組むべき課題がきっと見えてくるはずです。
昔から大企業の過半数では過労死認定基準を超えた協定が結ばれている
さて、きっと読者の中には「今行われている議論が出来レースだって?証拠を出せ!」と思っている人もいることでしょう。たとえばこういうものが証拠です。
就職人気企業の6割が過労死基準超え 225社の36協定で判明
日本の大企業では過労死認定基準を超えて残業のできる枠組みが昔から当たり前のように存在しているということです。月100時間なんて可愛いもので、月200時間、年間1920時間なんて恐ろしい上限まで普通に含まれています。
「悪の経団連が従業員を奴隷のようにコキ使っている証拠だ!」と思う人もいるかもしれませんが、それは違います。上記リストは36協定といって、労使が話し合って取り決めたものであり、労組もGoサインをだしたものです。
これが、筆者が残業上限なんて新しく作る必要はないと考える理由ですね。ちなみに筆者自身は一般労働者は月40時間くらいの残業上限があってよいという考えですが、労組自身がOKしてしまっている以上はわざわざ上限なんて作る必要ないだろうというスタンスです。ちなみに神津連合会長ご出身の新日鐵も、上記リストによれば「残業月100時間、年6回まで」とばっちり明記されています。ご自身の出身企業ではOKしておいて、連合会長としては「月100時間残業案なんてとても容認できない」とおっしゃられる神経が筆者にはぜんぜん理解できません。
なぜ連合は長時間残業を容認してきたのか
では、なぜ連合は上記のような長時間残業の枠組みを維持してきたのでしょうか。理由は以下の2点です。
1.会社のためにたくさん仕事をするため
まず一点目は、仕事をしっかりこなすためです。と書くと「それは経営者や株主の仕事だ、労働者は経営のことなんか考える必要はないんだ」と思う人もいるかもしれません。
筆者自身、そちらの方が世界標準の考え方だと思います。でも、連合の基幹を占める大企業の正社員たちは“終身雇用”であり、人生を会社とともに過ごす人たちです。数年で一線を退くであろう経営者などよりよっぽど長期的視野に立ち、会社の利益に向き合う立場です。いつでも株を売れる株主などより、はるかに経営に近い立場と言えるでしょう。だから彼らは、どうすれば繁忙期にも仕事をこなせるか、そのためには何を協力すべきか、という視点を常に持っています。長時間残業の枠組みはそのためのツールというわけです。
2.自分たちの雇用を維持するため
そして、最も重要なことは、彼ら自身の終身雇用を維持するためです。たとえば残業に月45時間という上限があれば、それを越える繁忙期には新しく人を雇わないといけません。そしてそれは、業務が落ち着いたら誰かがクビになることを意味します。連合としてはそれは避けたいために「我々の終身雇用はしっかり守って欲しい。かわりに、月100時間でも150時間でも残業に協力しましょう」というスタンスをとったわけです。こうして、解雇されるリスクは少ないけれどもやたらと残業の多い日本社会が出来上がったわけです。
連合があっさり政府案や経団連案にOKできないワケ
ここで疑問を持った人もいるでしょう。
「でも、終身雇用なんて維持しているのは大企業だけでしょう。中小企業の従業員はいくら長時間残業したってクビになる時はあっさりクビになるのでは?」
その通りです。いくら残業に協力したところで、体力の無い中小企業ではクビになる時はあっさりクビになります。会社を訴えたって無いものは無いですから仕方ないです。でも「いっしょうけんめい残業すれば、定年まで職が保証される」という暗黙ルールの前半部だけは、ちゃっかり適用されているわけです。
これが、今回の連合がやけに強硬に経団連に対抗している(ように見える)最大の理由です。
彼らは、国民が過労死にカンカンに怒っていることに戸惑っています。そして、その怒りの矛先が、長時間残業できる枠組みを経営側と一緒に作りあげ、なおかつ終身雇用という名のご褒美を独占してきた自分たち大手正社員労組に向かうことを恐れています。そのために、戦う労組をアピールして見せる必要があるというわけです。
おそらく、月100時間前後の残業上限という形でいったん議論は打ち止めとなるでしょう。そして、政府、経団連、連合ともに、それを自分たちの成果だと宣伝して幕引きが図られることでしょう。でも、長時間労働を根底から見直し、同時に、上記のゆがんだダブルスタンダード状態を是正するには、硬直した労働市場を流動化しつつ、大手から中小まで無理なく遵守できる新ルールの導入が不可欠でしょう。