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忙しいのになぜ声を上げない? 仕事を休み「平日昼間」のPTAに参加する母親たち

大塚玲子ライター
お話を聞かせてくれたサンドラ・ヘフェリンさん(写真提供:「教職研修」編集部)

 ドイツ人の父と日本人の母をもつ、サンドラ・ヘフェリンさん。ドイツ・ミュンヘンに育ったのち、20年以上日本に暮らしています。

 サンドラさんは「多文化共生」をテーマにたくさんの本を書いており、著作ではたびたび日本のPTAの問題にも言及しています。特に、昨年出版の『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)はPTAや学校の問題に鋭く踏み込み、保護者たちの間でも話題になりました。

 たとえば――PTAはこの時代になお「母親がやることが暗黙の了解」になっており、「上の方のポジション」は男性で埋まり、「下っ端の現場が女ばかり」というアンバランスな状況になっていること。「任意」のはずなのに、退会者の子どもが「村八分」にされたりしていること。「PTAにも良い面があること」は認めつつも、さまざまな問題点を、的確に指摘しています。

 「教職研修」でもサンドラさんに取材をしていたことがわかり、紹介をお願いすることに。2021年5月、同誌編集長・岡本さんとともに、都内のカフェでお話を聞かせてもらいました。

*「地域」と「学校」は関係ない

――日本の学校や教育行政は、「地域」というものを、とても重視しています。ドイツにも、「地域とともにある学校づくり」みたいな考え方は、ありますか?

 いいえ、「保護者が学校や地域と連携して、子どもの教育にたずさわる」といった考え方は、基本的にないです。近所の人が学校にかかわることはなく、いい意味でも悪い意味でも、すごくあっさりしています。

 ドイツは基本的に、「子どもの生活態度や教育については親や家庭の担当、勉強については学校の先生の担当」というふうに、棲み分けができています。ですから生徒の見た目とか、ファッションとか、そういうことに学校はタッチしないんですね。

 たとえば、「中学生がコンビニの前でたむろして、タバコを吸っていました」という場合、日本だとおそらく、近所の人から子どもが通っている学校に苦情がいったりすると思うんですけれど、ドイツの場合は、そういうことで学校に苦情がいく、という発想がそもそもありません。

 学校の中で生徒がタバコを吸っていたら、それは学校の管轄ですが、放課後にそういう苦情がいくとすれば、警察です。次に、警察から親に連絡がいくことになると思います。放課後のことに学校がかかわってくるというのは、ヨーロッパの人、特にドイツの人にとっては、ちょっと謎です。

――言われてみたら、そう考えるほうが自然ですね……。日本だと、未成年の子どもの問題行動は、何でもかんでも学校が対応する、という発想がなぜか定着してしまっています。

 今まで日本は、多文化にふれる機会が少なかったから、といった背景もあるかもしれません。たとえば食べ物に関する教育、食育にしても、一つの価値観での教育が可能だったから。「アレルギーがある人以外は、なるべく好き嫌いなく食べるのが良い」という考えで統一できるので。

 ドイツの場合は、アレルギー以前の問題から、あるわけです。「うちはヒンズー教だから、牛肉は一切食べさせない」とか、「うちはイスラム教だから豚は駄目」とか。もともと違いがあるから、学校は食べることに関して、統一した教育をできません。

 食べ物以外のことも、同様です。「何時に寝起きする」とか、未成年のタバコやお酒など法律にかかわってくることは、「それは親と警察で何とかしてくださいね、学校はノータッチです」という立場です。そこで学校に相談をする、ということは基本的にないのです。

――日本の学校は、地域というか、近隣住民からの苦情に、かなり神経を使っています。

 そうですね。校則が厳しいのも、実はそこに理由があるという説もあります。日本の校則は、近所の人から「あそこの学校の子はスカートが短い」とか「茶髪の子がいる」といった苦情が出る前に、「スカートの長さは決めておこう」「茶髪は禁止にしておこう」「買い食いは禁止しておこう」という、意外とそこが理由だったりする。

 タテマエ上は「子どもたちの健全な育成のため」などと言っているんですが、「実は気になるのは近所の目」、みたいな。苦情があると、校長先生なり、そういう人の責任が問われるから、「苦情が来る前にちゃんとしておこう」ということだと思うんですけれど。逆に、「あそこの学校は本当にみんなお行儀がいいわね」などと、褒められることもないです。

*学校でも「その管轄の人に言う」が当たり前

――ドイツでは、学校がカバーすることと、そうじゃないことについて、線引きがはっきりしているんですね。

 そうですね、こんなこともありました。私が17、18歳くらいのときに通っていたGymnasium(ギムナジウム/大学に行くための高校)で、あるとき体育の授業の間、みんな自分の着ていた上着を教室に残していったんですね。先生が鍵をかけていたんですけれど、戻ってきたら泥棒に入られて、みんなの上着も全部なくなっていた。

 そのとき先生が何と言ったかというと、「あなたのなくなったジャケット代を補償してもらうためには、あなたが警察に行って話をしないといけない。今から授業もないし、ちょっと警察に行って来たら」って。

 それで、みんな集団じゃなく、各自で行ったんですよ。「すみません、何々学校の者ですけど、火曜日の10時から11時までの体育の時間に、私のジャケットがなくなりました」って。すると、警察官が「じゃあ、ここにジャケットの特徴とか、値段、どこで買ったかを書いてね」とか言って、各自で申請書を書く。

 そうして私も、保険会社からジャケット代を振り込んでもらったんです。みんなそれで新しい上着を買ってラッキー、みたいな。別に、後で学校から親に「何月何日泥棒が入りました」って手紙がいくわけでもなく、それで終わりです。

――なんとシンプルな。補償さえされれば、みんな文句はないわけですものね。教室で、担任の先生が犯人探しなんかする必要はないし、そもそも「学校内で何とかしよう」と、誰も思っていない。

 思っていないです。そういうことは、警察と保険会社の出る幕だから。おそらく、全てにおいてそうですよ。何かあったら、警察なりなんなり、「その管轄の人に言ってください」という対応です。

――先生たちも、そんなふうに割り切っているんですね。

 そうですね。ドイツの学校の先生は、そんなに残業もしません。いちおう、緊急のときのために、先生の携帯の番号を各家庭に教えてはいるんですけれど、それは本当に緊急用です。たとえば、事故で何週間か学校に来られないとか、誰かが亡くなったとか。宿題が多いとか少ないとか、うちの子の評価がどうだとか、そういうためのものではないんです。

 先生もそこははっきりしているから、そんなことで電話をしたら、たぶん文句を言われる。「病気とか死亡以外は電話をしないでください、ガシャン」みたいな。日本でやったら大変そうですね、後で「あの先生はなってない」とか言われたりして。

――その線引きを、先生も、保護者も、子どもたちも共有できていると。

 そうそう。だから、ドイツであまり聞いたことがないんですよ。もちろん日本でもすごく少ないことですけれど、たとえばGymnasiumの先生が、自分の生徒と付き合っちゃったとか。それは当たり前ですよね、電話をガシャンと切るような先生が、そんなかかわりをするわけがないじゃないですか。

 「先生、私、悩みがあるんです」なんていうのは、私はあまりよくないことだと思う。そういうかかわりは、変な方向にいくことも多いので。特に男の先生と、中学生の女の子なんて、一番危ないパターン。先生の側も「そういう相談は、(学校の)カウンセラーの先生にしてね」とかのほうが、私は好きですけれどね。

――つなぐべきところにつなぐけれど、それ以上は敢えて踏み込まないのですね。

*日本だって親は忙しいのに、なぜ声を上げないのか

――ドイツにもPTAのようなものは、ありますか?

 あります。Elternbeirat(エルテルンバイラート)といって、訳すと「保護者会」「親会」みたいな感じ。ドイツは州によっていろいろ仕組みが違うんですけれど、私の出身地であるバイエルン州の公立学校のElternbeiratは、10人くらいです。男性もけっこうやっていて、活動は基本、平日の夜です。

――ご本には「学校や子どもの教育について、親が提案したり校長との面談の場を設けたり、教育のある種の改善を図る場となっている」とあります。寄付は、やっていないですか?

 一部でやっています。たとえば「校庭の遊具がちょっと足りない」ということで、Elternbeiratが寄付を募って、遊具をつくったりしている。それは本当に任意でやっているから、全員参加や強制ではない。好きな人が手を挙げて、「やります」って言って、やっています。

――学校に公的な予算はしっかり付いていますか? 校庭のオプショナルな遊具は微妙ですが、たとえば、体育館で使う、来賓用のパイプ椅子やスリッパの購入などは?

 それは税金でやりますよね。あ、ちなみにドイツの学校にスリッパはありません。

――保護者に対し、学校のお手伝いを募ることは?

 基本的にはないですね。私もドイツの学校に行っていましたけれど、そういうことで親が来ることはなかったです。

――先生が足りないとか、そういう状況もなさそうですか?

 それはあります。たとえば学校の先生が病気で長く休んで、代わりが見つからないから授業ができない、というとき。そういうのは、保護者会が代わりをやるわけにもいかないですけれど、そのことを「問題として取り上げる」ということはあります。「ラテン語の授業が6週間もお休みってどういうことですか?」みたいな苦情を言いに行ったり。

――あと、授業参観もないそうですね。保護者は全然学校に行かないんですか?

 ドイツの親は忙しいので、昼間学校に来ることなんて、誰も同意しないですよ。PTAが平日の昼間に会合をやるなら、「お金(日当)を払ってください」と言う人が出るかもしれない(笑)。

 日本だって親は忙しいはずなのに、なぜ誰も声を上げないのか。子どもを人質に取られちゃっている部分があるんですね。たぶん「PTAが素晴らしい」と思っている人は、PTAをやっている人の中でもそんなにはいないんですけれど、子どもだって何十年も同じ学校にいるわけじゃないんだから、あと1、2年を我慢しよう、とたぶん考えて、それを全員がやるから、ずっと何も変わらない。

 私は子どももいないし、PTAにかかわってないのに、なんでそんなにPTAのことを言うのか、というと、やっぱり納得できない部分があるんです。仕事仲間とか、子どもがいる人から、よくそういう話を聞くから。「何月何日は、本当は仕事を入れたいんだけど、PTAの何とかがあるんだ」って。「それってあり得ない」と思ってしまうところがあります。だって、もしPTAがなければその日、仕事に行って、通訳なら通訳で何万円か稼げるでしょう。

――そうなのです…! 父親に対しては、「平日は仕事だから参加できないはず」というのに、母親に対しては、どんな仕事でも「休んでくるのが当たり前」ということが多いです。PTAに限らず、ドイツはもうあまり、性別役割分担がなくなっていますか?

 そうですね、今はそんなにないです。昔はあったんですよ。1962年までは法律で、既婚の女性は夫の許可がないと銀行口座さえつくれなかったんです。1977年まで、「女性の就業は家事に差し障りのない程度」という法律もあって。もちろん今はもう、そういうのはないですが。

 でも日本は、銀行口座に関しても、女性の就業に関しても、法律にそういうことが書いてあったことはないわけです。だから法律でいうと、実は昔から、日本のほうが進んでいるんです。

――法律にないのにやっているっていうのも、問題ですよね……。

 そうそう。日本って、明文化されてないんだけれど、「雰囲気で、そうやらなきゃいけない」ということは、いろんな面ですごく多くて。いい面も悪い面もあるんですけれど。ドイツは、昔は法律で差別があったけれど、それがなくなると、みんなスパッとやめます。それは気持ちいいぐらい、あっさりしていますよね。

(続く)

サンドラ・ヘフェリンさんの『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)
サンドラ・ヘフェリンさんの『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)

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 当インタビューについての筆者の考察は、月刊誌『教職研修』に執筆します。

ライター

主なテーマは「保護者と学校の関係(PTA等)」と「いろんな形の家族」。著書は『さよなら、理不尽PTA!』『ルポ 定形外家族』『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』ほか。共著は『子どもの人権をまもるために』など。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。ohj@ニフティドットコム

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