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生前退位を認めることに関する憲法上の問題について

田上嘉一弁護士/陸上自衛隊二等陸佐(予備)
通常国会にご出席される今上陛下(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

「陛下が生前退位を意向している」との報道

7月13日、激震が走りました。NHK『ニュース7』が、天皇陛下が生前退位の意向を表明されたと伝えたのです。

天皇陛下 「生前退位」の意向示される(NHK NEWS WEB 2016年7月13日)

宮内庁関係者からの情報では、陛下は以前より退位を要望されていたとのことですが、詳細は明らかにされていません。にもかかわらず、14日各紙朝刊はこのニュースを大々的に取り上げていました。

生前退位を定めることは憲法上無理?

すると、続く14日にNNNが伝えたのは、「天皇陛下の生前退位は憲法上無理」という情報でした。

政府関係者「天皇陛下の生前退位は無理」(NNN 2016年7月14日)

天皇と皇族については皇室典範という法律が規定しており、皇位継承についても定めがありますので、皇室典範の改正が必要となることには争いがありません。他方で、生前退位を行うために現行の憲法を改正しないといけないのか、生前退位は現行憲法下では無理なのか、という点について検証してみたいと思います。

現行の日本国憲法では、「第一章 天皇」として、第1条から第7条に天皇に関する規定を置いています。

第1条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第1条はとても有名な象徴天皇制に関する規定です。天皇が天照大神の神勅に基づく主権者であった帝国憲法と異なり、日本国憲法は国民主権をうたっていますので、天皇は「国民の総意に基づく」、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるとされています。

皇位継承に関する憲法の規定

第2条

皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した典範の定めるところにより、これを継承する。

続く第2条で皇位の継承について規定しています。ここで注目すべきは、憲法が規定しているのは、「世襲」ということだけです。それ以外の事項については、「国会の議決した典範」によって定めるとしています。これが皇室典範なのですが、わざわざ「国会の議決した」と定めているのは、帝国憲法下における皇室典範の改正は、皇族会議や枢密顧問の諮詢を経て勅定するものとされており(旧皇室典範第62条)、帝国議会の協賛や議決を必要としていなかったためです(大日本帝国憲法第74条)。

戦前の皇室典範は帝国憲法と同格に位置づけられていましたし、皇室について臣民が口を挟むのは妥当ではないと考えられていたことによります。

仮に、生前退位や譲位を行った場合に「世襲」でなくなるのであれば、憲法第2条の規定に抵触することとなり、これを実現するためには憲法の改正が必要となります。

ここで問題となるのは、「世襲」という言葉の意味ですが、三省堂の大辞林によれば、「その家の地位・財産・職業などを子孫が代々受け継ぐこと」とあります。つまり、皇位とは皇祖神天照大御神、そして神武創業を経て、万世一系によって今日まで伝えられているのですから、まさに「世襲」のものといえます。ここには、先代が亡くなることによって継承が生じるという意味は通常含まれないでしょう。一部の政治家や歌舞伎役者も、一般に世襲という言葉で表現されますが、この場合に先代が死亡しているか否かは関係ないはずです。

また、歴史上初めて譲位を行った皇極天皇以降、歴代天皇のおよそ半数にあたる64名もの天皇が譲位を行っています。仁明天皇のようにすでに死の床についていて、崩御直前に譲位を行ったといえる天皇を除外しても、60名以上の天皇が譲位を行っています。もし仮に世襲が、死亡を契機とする相続のみを意味しているのだとすれば、これらの譲位に基づく皇位継承は世襲でなかったこととなってしまいます。

したがって、憲法第2条が、生前退位を禁じているととらえるのは法解釈上無理があるといえます。

これに対して、皇室典範第4条は、先の天皇が崩御することを、皇位継承の要件として明確に規定しています。

第4条

天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

現行法において生前退位が許されないとするのは、この皇室典範によるものであって、これを認めるのであれば法改正が必要となります。帝国憲法下とは違い、現在の皇室典範は一般の法律と同じですから、国会の議決によって改正することが可能です。

以上より、法的に生前退位を可能とすること自体には、憲法改正は不要であり、皇室典範の改正で足りるということになります。

天皇陛下のご意向に基づくことの憲法上の問題

それでは、今回の件において、憲法上の問題とはどういったことを意味するのでしょうか。上述のNNNの報道では、以下のように書かれています。

陛下の意向があると報じられる中で、皇位継承について定めた皇室典範を変えることが、天皇の国政への関与を禁じた憲法第4条に抵触する可能性を念頭に置いたものとみられる。

出典:政府関係者「天皇陛下の生前退位は無理」(NNN 2016年7月14日)

憲法では、天皇は第7条に定める国事行為のみを行うことができ、国政に関する権能を有していないと第4条で規定されています。

第4条

1 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第7条

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

二  国会を召集すること。

三  衆議院を解散すること。

四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。

五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

七  栄典を授与すること。

八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

九  外国の大使及び公使を接受すること。

十  儀式を行ふこと。

なお、実際には第7条に列挙される国事行為以外にも、私人としての私的行為を行うことができるのはもちろんですし、また、象徴としての地位に基づく公的行為を行うことも解釈上は認められています。

ここで、天皇陛下ご自身が天皇という地位についてご意向を表明されることは、一見至極自然なことのようにも思えます。自分のことについてお話されるのは私的行為ともいえるのではないかということです。

しかし、先にも示したとおり、「天皇とは日本国および日本国民の統合の象徴である」である以上、その地位のあり方について何らかのご意向を正式に発表されるというのは、憲法が禁ずる「国政に関する」行為に該当してしまう可能性があるのです。

このことは、例えば、天皇陛下ご自身が、天皇の権限を拡大・強化するようなご意向を表明され、それを政府が受けてそのような制度改正を行うということを考えれば、わかると思います。また、もし仮に「大御心はこうであるぞ」と天皇の威光を振りかざした政治がなされるとすれば、それは極めて危険なことであることは論を俟たないでしょう。

煎じ詰めて言えば、皇室典範を改正すること自体はなんら憲法上の問題を生じないものの、天皇陛下のご意向に基づいてこれを行うとなると話が少し変わってきてしまうわけです。

今後を見据えた議論を

とはいえ、陛下は御年82歳。過去には、心臓の冠動脈のバイパス手術や前立腺がんの手術も受けられています。引き続き多くの国事行為を続けられることは、心身ともに大きな負担であることは想像に難くありません。生前退位というものを採用するかどうかという議論は行われるべきだと思います。

今回の一連の報道がなされた後、それとはまったく無関係に皇室典範の改正を行うという話、「いやぁ、そろそろ生前退位を認める皇室典範の改正が必要だと思っていたのです。天皇陛下のご意向とは別に」といったような言いっぷりが成立するのかどうか。このことは非常にセンシティブな問題ですし、そのため極めて慎重に事を運ぶ必要があるでしょう。今回、報道直後に、宮内庁が即座に否定したことは、陛下がそのようなご意向を表明することは憲法上の疑義があるため、そのような可能性を否定したということだと理解しています。実際にそのようなご意向を表明されたかどうかが明らかでない以上、あくまで一部メディアの報道があるだけという状況となります。

宮内庁次長は全面否定「報道の事実一切ない」生前退位(朝日新聞 2016年7月13日)

「そうした事実一切ない」=宮内庁次長は報道否定-生前退位(時事通信 2016年7月14日)

天皇陛下といえども一人の人間であることには変わりはありません。病歴もあり、ご高齢の天皇陛下のご負担をなんとかして軽減して差し上げたいという国民の気持ちは現に存在していると思います。その一方で、なぜ江戸時代までは認められた譲位が今は認められていないのか、生前退位を認めることで問題ないのか、といった点については稿をあらためて論じたいと思います。

いずれにせよ、超高齢化社会を迎える日本だからこそ、今上陛下のみならず、これまでの伝統や将来の天皇を含めた天皇と皇室のあり方を見据えた議論がなされるべきでしょう。

弁護士/陸上自衛隊二等陸佐(予備)

弁護士。早稲田大学法学部卒、ロンドン大学クィーン・メアリー校修士課程修了。陸上自衛隊三等陸佐(予備自衛官)。日本安全保障戦略研究所研究員。防衛法学会、戦略法研究会所属。TOKYO MX「モーニングCROSS」、JFN 「Day by Day」などメディア出演多数。近著に『国民を守れない日本の法律』(扶桑社新書)。

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