Yahoo!ニュース

領空侵犯とは国家の安全保障における重大な脅威である

田上嘉一弁護士/陸上自衛隊二等陸佐(予備)
26日に領空侵犯した中国軍の「Y-9」情報収集機(防衛省ウェブサイトより)

初の中国軍機による領空侵犯

8月26日午前、中国軍機による領空侵犯が確認されたというニュースが報道されました。

中国軍機による日本の領空侵犯が確認されたのは初めてのことです。

領海には認められる無害通航権

国家主権の及ぶ領域の範囲は、領土と領水(領海と内水)、領空から構成されます。領土とは無論、国の国土となる陸地部分からなっており、さらに陸地から12海里(約22・2km)の範囲で領海を設定することができます(国連海洋法条約3条)。

そして領土と領水の上空が「領空」です。

領海も領空も同じ国家の領域なのですが、これらに対する国際法の取り扱いは大きく異なります。

海の世界では、領海であっても「無害通航権(right of innocent passage)」が認められており、危害を加えない限り沿岸国の許可なく自由に航行することができます(国連海洋法条約17条)。

これは古くから慣習国際法で海の自由な航行が認められてきたことによります。

したがって、相手に危害を加えない限り、領海を航行したとしても沿岸国はこれを妨害することはできませんし、領海を「侵犯」するという表現もミスリーディングなものとなります。

領空侵犯は重大な脅威 - 領海と領空ではまったく度合いが違う

これに対して、領空は無害通航権のようなものはなく、外国の航空機は領域国の許可を受け、かつ、許可の条件に従うことを前提とした場合のみ、領域国の上空を飛行することができます。これを「領空主権の絶対性」といいます。

仮に、外国の航空機が許可なく他国の領空に侵入することは「領空侵犯」に該当し、領域国は属地的管轄権の行使として、直ちにこれを停止するための措置をとることができます。航空機は船や車両などとは比べものにならないほど速いので、あっという間に国の中心部まで入り込むことができます。それだけに安全保障上の脅威としては領海の通航とは比較にならないのです。

領空侵犯に対する措置として国際法で認められていること

本来、国境を守るためには、防衛機能と警察機能の二つが同時に必要とされていますが、領土において活動する警察や領海において活動する水上警察(日本では海上保安庁)が存在しませんから、軍隊(自衛隊)が防衛機能と警察機能の両方の役割を果たすことになります。この点が領土や領海における侵入ともまた違ったポイントです。

対領空侵犯措置というのは原則としては警察権の行使であり、比例の原則に基づいて対応することとなります。

したがって、領空侵犯機に対する国際慣例上の処置としては、要撃機を緊急発進(スクランブル)させ、①領空侵犯しないよう警告し、②すでに領空侵犯が行われた場合には直ちに領空外に退去するよう命令し、③必要な場合には着陸命令を行い、従わない場合には強制着陸させるなどの処置を取ることができます。

しかし、先述の通り航空機の速度というのは圧倒的ですし、上空から爆撃などを行えば甚大な破壊を伴うおそれがあります。

そこで、上記の①〜③に加え、必要に応じて④威嚇射撃を行い、国民の生命・財産に切迫した危険が迫っている場合等には⑤撃墜することもできるとするのが国際法の基本的な考え方となっています。

領空侵犯を行った機体を航空自衛隊は撃墜することはできるのか

自衛隊法84条(領空侵犯に対する措置)
防衛大臣は、外国の航空機が国際法規又は航空法その他の法令の規定に違反してわが国の領域の上空に侵入したときは、自衛隊の部隊に対し、これを着陸させ、又はわが国の領域の上空から退去させるため必要な措置を講じさせることができる。

自衛隊法84条は対領空侵犯措置の条文ですが、この条文では領空侵犯機に対して行うことができる行為として、退去命令又は強制着陸のみのための必要措置を規定していますが、撃墜など危害を加える行動は明文として規定されていません。

つまり上記の国際法の考え方で言えば、①から③までは法律で規定されていますが、④と⑤が明文で規定されていないかたちとなっており、さすがにそれでは厳しいということで、正当防衛・緊急避難の場合には武器を使用することができると解釈されています。

どのような場合に正当防衛・緊急避難が認められるかについての政府見解としては、「領空侵犯機が実力をもって抵抗するような場合とか、あるいは領空侵犯機によって国民の生命及び財産に対して大きな侵害が加えられる危険が間近に緊迫しており、これを排除するためには武器の使用を行うほかない緊急状態もこれに該当する」(平成11年5月11日 第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会第4号における野呂田防衛庁長官答弁)とされていますので、仮に侵犯機が地上に爆弾を落とそうとしているときには撃墜できるというように解釈することができます。

もっとも、この場合には相手方の攻撃が武力行使であり、武力攻撃事態を認定して防衛出動によって撃墜するということが本筋なのでしょうが、あっという間に侵入してくる航空機に対して防衛出動を出すのは現実には極めて難しいでしょう。

日本の法体系において他国と大きく異なる特徴としては、自衛権の発動としての「武力の行使」とあくまで警察権としての「武器の使用」を大きく区別しているためです。国際法ではこの区別が存在しないため、例えば2015年トルコがロシア機を撃墜したような事例もありますが、防衛出動が出ている場合は別として、航空自衛隊がこのような措置を執ることのハードルはかなり高いと思います。

26日に領空侵犯した中国軍の「Y-9」情報収集機(防衛省ウェブサイトより)
26日に領空侵犯した中国軍の「Y-9」情報収集機(防衛省ウェブサイトより)

対領空侵犯措置の見直しが必要ではないか

いずれにせよ、このような切迫した状態での非常に詳細な法的判断を現場の部隊に委ねることは、退去命令や強制着陸を行うことは非常に困難を極めるばかりか、自衛隊のパイロットの生命も危険に晒しており、過度の負担を強いているような状況であるといえるでしょう。

侵略側としては日本の領空に入ったところで攻撃を受ける心配がないとすれば、ある意味で安心して侵犯することができるともいえます。国際慣例にあわせ、警察作用のみならず防衛作用の要素も加味して明文化することも必要かもしれません。

領空侵犯した中国軍機のY-9情報収集機の行動概要(防衛省ウェブサイトより)
領空侵犯した中国軍機のY-9情報収集機の行動概要(防衛省ウェブサイトより)

領空侵犯した中国軍機のY-9情報収集機の行動概要(防衛省ウェブサイトから)
領空侵犯した中国軍機のY-9情報収集機の行動概要(防衛省ウェブサイトから)

今回の報道によれば、Y-9情報収集機が東シナ海上空の日本の防空識別圏に入ったためスクランブル出動した自衛隊機の警告を無視し、午前10時40分ごろから長崎県五島市の男女群島の南東沖上空で旋回を始め、午前11時29分ごろ男女群島の沖合およそ22キロの日本の領空に東側から侵入し、午後1時15分ごろに旋回を終了し大陸方面に向けて飛行したとされています。

深く入り込んだ上で、わざわざ上空を旋回して領空の東側から侵入したあたり、意図的・計画的な行動であると思われますし、軍用機による領空侵犯に対して日本側がどういった対応をするかによって、今後中国側が同様の行動を繰り返すことも想定されます。

防空識別圏とは

ちなみに、領空と似た用語に「防空識別圏」というものがあります。航空機は非常に高速で上空を移動することができますから、すでに領空に入られてしまってからでは手遅れになる可能性があります。そこで多くの国は、領空の外側に「防空識別圏(ADIZ)」を設定し、事前に飛行計画を提出させるなど一定の措置をとっています。ただし、防空識別圏は各国の国内法に基づいて設定されるのが一般的であり、国際法の根拠はありません。日本も防空識別圏を設定していますが、その根拠となっているのは1969年に発せられた防衛庁訓令第36号「防空識別圏における飛行要領に関する訓令」です。

国際法的な根拠はないものの、領空の外側に防空識別圏を設けてお互いに不測の事態から武力衝突にならないように安全マージンを取っているわけですが、このことからも領空侵犯がいかに重大な事態かということがよくわかります。

ことほど左様に、領空侵犯とは安全保障上の重大事態なわけですから、今後の日本側の対応は本当に重要であるといえます。

弁護士/陸上自衛隊二等陸佐(予備)

弁護士。早稲田大学法学部卒、ロンドン大学クィーン・メアリー校修士課程修了。陸上自衛隊三等陸佐(予備自衛官)。日本安全保障戦略研究所研究員。防衛法学会、戦略法研究会所属。TOKYO MX「モーニングCROSS」、JFN 「Day by Day」などメディア出演多数。近著に『国民を守れない日本の法律』(扶桑社新書)。

田上嘉一の最近の記事