ウクライナ侵攻で問われる国際法の価値とは
100年前に戻ったかのような全面的侵略戦争
ロシアがウクライナに侵攻して2週間あまりが過ぎました。未だに現地では戦闘が続いており、每日悲惨なニュースが届けられています。
21世紀も5分の1を経過してなお、このような国家対国家の全面戦争、それも国連の常任理事国による大規模な侵略が起きるとは果たしてどれだけの人が予想できたでしょうか。
その可能性を示唆するような情報は事前にいくつもありましたが、それでもなお、まさかこのようなことにはなるまいと各国の指導者や専門家たちは思っていたはずです。
かつてないほど凄惨な世界大戦への反省から、国際連盟が作られたのが1921年、そして戦争を違法化したパリ条約が成立したのが1928年。それから約100年の時間が流れ、人類は少しずつではあっても悲惨な戦争が繰り返されないように、戦争の被害を少しでも抑えられるように、国際秩序というものを作り上げてきました。
今回のプーチンの暴挙は、そうしたこれまでの人類の叡智の積み上げを、思い切り蹴飛ばして、19世紀の戦争へと時計の針を100年以上巻き戻そうとしているものです。
戦争のルール
以前にも書きましたが、戦争に関するルールは大きく分けて2つあり、武力行使自体の適法性に関するルールとしての国際法(jus ad bellum)と、武力行使にあたって守るべきルールとしての国際人道法(jus in bello)にわかれます。
前者の問題としては、そもそも武力行使や武力による威嚇は、一部の例外を除いて国連憲章2条4項で禁止されています。今回プーチン大統領は、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国を対象とする集団的自衛権の行使であるという主張をしていますが、両国については多くの国が独立を承認しておらず、またウクライナによる武力攻撃の事実も認定できないため、この主張は法的にも事実的にも正しいものであるとはいえないでしょう。
ロシア軍による国際人道法違反
国際人道法は、戦闘の手段・方法を規制するハーグ法と戦闘により生じる犠牲者を保護・救済するためのジュネーヴ法の系統があります(もっともジュネーヴ諸条約第1追加議定書のように双方の要素を持った条約もあります)。
たとえば、ロシア軍はチェルノブイリやザポリージャなどの原発を攻撃していますが、ジュネーヴ諸条約第1追加議定書56条は「危険な力を内蔵する工作物及び施設、すなわちダム、堤防及び原子力発電所は、これらのものが軍事目標であっても、これらを攻撃することが危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらすときは、攻撃の対象としてはならない」と規定しています。
また、ロシア軍は学校や病院などにも爆撃を行っていますが、ジュネーヴ諸条約第1追加議定書51条4項は無差別攻撃を禁止していますし、同48条、52条2項は攻撃を軍事目標に限定するよう規定しています。特に病院への攻撃は「医療組織は、常に尊重され、かつ、保護されるものとし、また、これを攻撃の対象としてはならない」という同12条1項にも反します。
さらに、ロシア軍兵士がウクライナ軍の制服を着て工作活動をしていた疑惑がありますが、これはハーグ陸戦規則23条ロの背信行為に抵触する可能性があります。
ロシア軍がウクライナ南部のメリトポリとドニプロルドネの市長を拉致したというニュースがありましたが、これは文民保護を規定したジュネーヴ諸条約第1追加議定書62条1項に違反していますし、加えてロシアも締結している人質行為防止条約(1979年)にも違反しています。
戦時において法は無力なのか
こうした国際法、国際人道法に対し、「そもそも戦争にルールがある事自体がおかしい」、「戦争になったら法律もへったくれもないし、相手が法を守ってくれる保証はないではないか」といった主張がなされることはよくあります。
確かに法は万能ではなく、また違反に対して強制力を持たなければ十分に機能しないことはあります。
しかし、だからといって、これまでに積み上げられた法の枠組みすべてを否定することは極端な暴論以外のなにものでもありません。こうした法が存在せず、本当になんでも許されるような状態となってしまったら、状況がより悲惨なものになることは明らかです。法の力が十分でないからといって法そのものが必要ではないということにはならないのです。
このことは決して理想主義的な観点だけで主張しているわけではなく、現実的な利害においても、むき出しの力による現状変更が可能な世界と、法によって秩序が保たれる世界のどちらが大国ではない日本とって望ましいものであるか、日本の国益に資するかということを考えてみればわかることです。
今回の戦争は単にロシアとウクライナという2国間の戦争に留まるものではなく、こうした法の支配によって形成されている国際秩序そのものが維持されるのかそれとも破壊されてしまうのかという、非常に大きな問題そのものに我々自身が直面しているといってよいでしょう。
そう考えれば、「政治的に妥結すべきではないか」などと安易にいえないことがよくわかります。仮にロシアの無法な暴力に屈してしまうようなことがあれば、世界のあり方そのものが変わってしまうおそれがあるのです。こうした中において、日本は国際社会の側に立ち、毅然として法の支配による秩序維持・形成を訴えていくべきでしょう。