白土三平先生の『サスケ』に描かれた「竜神の術」を実験したときから「空想科学」の道が始まりました。
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。マンガやアニメ、特撮番組などを、空想科学の視点から、楽しく考察しています。さて、今日の研究レポートは……。
亡くなられた白土三平先生の作品には、過酷な階級社会を生きる庶民の苦しみや、厳しい自然に翻弄される人々の儚さなどがリアルに描かれていた。
筆者は読むたびに「人間は弱い!」とか「人は愚かだ!」とか「オレも立ち上がるぞ!」とか、おおいに心を揺さぶられたものだ。が、そう思うようになったのは、大人になって『カムイ伝』などを読むようになってから。
筆者が小学生のときにハマった白土作品は『サスケ』であった。
そこに出てくるさまざまな忍術と、それについての科学的な説明に、心をわしづかみにされたのだ。
なかでも忘れられないエピソードがある。
◆「竜神の術」を実験する
サスケの父・大猿は、ある殿さまに「沼の底に沈む大量のヒスイを取ってこい」との命令を受ける。沼の水には毒が入れられており、潜って取ることは不可能。
そこで大猿が提案したのが「竜神の術」だった。それによって「沼の水を吸い上げる」という。
疑う殿さまに、大猿は実験をしてみせる。
水の入った皿の真ん中に、火のついたロウソクを立てる。そのロウソクの上に、コップを逆さにして被せる大猿。すると、皿の水はすべてコップのなかに吸い寄せられ、皿には一滴の水も残っていない……!
納得した殿さまは、村人たちに巨大な筒を作らせると、いかだを沼に浮かべ、その上で大量の薪を燃やして、それに筒をかぶせた。と、まさに実験と同じ現象が起こって、沼の水は筒に吸い上げられ、大量のヒスイが姿を現したのだった(ただし、この殿さまは圧政を行っていたため、村人たちに一揆を起こされ、計画は失敗に終わる)。
そして、この場面に関して、『サスケ』作中では「竜神の術の原理」として、イラスト図解つきでこう説明されていた。
「ろうそくの火がもえ、コップ内の空気中にふくまれた酸素がなくなるので、コップ内の空気はうすくなる。そのために外の重い空気が水面を押すので、空気のうすいコップ内へ、水は押し上げられるわけである。」
この解説に、小学生だった筆者は心から驚いた。マンガのなかだけの現象ではないのか!
そこで、自分でも皿とコップとロウソクを用意して、大猿がやっていたとおりの方法で実験してみたところ、マンガと同じように水はコップの中に吸い上げられた。
このときの興奮を筆者は忘れない。1年生か2年生だったと思うが、これこそ筆者が初めてやった科学の実験であり、理科を好きになる大きなキッカケとなった。
『サスケ』のなかには、このような解説(図解+文字説明)がいっぱい出てきた。
微塵がくれ、火遁の術、くぐつの術、回転いなずま斬り……。筆者にとって白土先生の作品は、何よりもまず科学ゴコロを揺さぶる魅惑の世界であった。
◆「分身の術」を考える
そしてもう一つ、『サスケ』といえば、忘れられないのが「分身の術」だ。
このワザは忍者モノに限らず、マンガやアニメや特撮ではさまざまな人々が使っている(たとえば『テニスの王子様』の菊丸とか)。
筆者がそれらの行為を扱う際には「『サスケ』によれば……」と紹介したうえで、その原理を元に考察してきた。
『サスケ』において、「影分身」の原理が語られるシーンは、こんな具合だった。
大猿が、木の枝を指すと、そこには絶え間なく枝を飛び移るシジュウカラの姿がある。サスケの目には何羽もいるように見えたが、実際に飛び回っていたのは2羽だけ。
驚くサスケに、大猿は「1秒と同じところにいない だから何匹もいるように見えるのだ」と説明する。
ここから、筆者は、忍者は「残像」を利用しているのでは……と考えた。
大猿は残像という言葉は使っていないが、人間も素早く走り、シジュウカラが枝に止まるようにピタリと止まり、また猛スピードで走ってピタリと止まり……を繰り返せば、残像により分身できるのではないだろうか。
そこで「残像」による分身の術の実態を考えてみると……。
人間の目に残像が残る時間は、0.1秒といわれる。
そして、大猿は「八つ身以上で一人前」と言ってたから、すると一流の忍者は「1つ目の残像が消えないうちに8つ目の残像を見せなければならない」ということになる。
これはすごい。0.1秒のあいだに、ダッシュ&ストップを8回。1回に使える時間は、たったの0.0125秒なのだ。
敵の目にはっきりとした残像を焼きつけるには、できるだけ長く停止したほうがいいから、0.0125秒のうち、0.01秒を停止に割き、残り0.0025秒を移動に費やすとしよう。
半径10mの円に沿って8人に分身するとした場合、分身像の間隔は7m85。これを0.0025秒で移動するための速度とは、なんと秒速3142m=マッハ9.2になる。
分身しようと思ったら、忍者はそれだけのスピードで走れなければならないのだ。
あまりにすごい身体能力であり、ここまですごいと、逆に難点も想像される。
たとえば、分身している最中に、相手が投げた手裏剣が当たったりしたら大変だ。手裏剣が仮に時速150kmで飛んできたとしても、自分がマッハ9.2で走っているために、手裏剣は結局マッハ9.2前後で突き刺さってしまう。
普段なら軽傷で済むようなケースでも、分身の術をやっていたばっかりに、大ケガに……!
――などと、発想を進めていくと、ますます楽しくなるのである。
ただし、マンガとしての『サスケ』は、決して楽しいだけのお話ではなかった。
とくにストーリーの後半は重苦しい。父・大猿は爆死し、周囲の人々はすべて惨殺され、サスケの体にも手裏剣が命中して……という後味の悪いエンディングを迎える。その容赦のない展開も、また白土先生の世界観に他ならない。
しかし、筆者にとっての『サスケ』が、科学の心を刺激し、世界を広げてくれる魅惑のマンガであったことに変わりはない。いまでも『サスケ』のページを開くと、科学者に憧れていた子どもの頃の気持ちを思い出し、胸が熱くなる。
白土先生には、どれほど感謝してもしきれない。
※竜神の原理は、現在では「熱で膨張した空気が、水で冷やされて収縮するため」と理解されています。