デボラ・ボーナム&ピーター・ブリック/レッド・ツェッペリンの血統を受け継ぐ者【前編】
デボラ・ボーナム(ヴォーカル)とピーター・ブリック(ギター)の夫婦バンド、ボーナム=ブリックがアルバム『Bonham-Bullick』を発表した。
レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムの妹として知られるデボラは、長いキャリアを持つシンガーである。そのブルージーでソウルフルな歌唱は、ヴィンテージな味わいと新鮮な斬れ味を兼ね備えたものだ。
ピーターは正調ブリティッシュ・ブルース・ロックのスタイルを受け継ぐギタリストだ。ポール・ロジャースが伝説のバンド、フリーの楽曲を歌う“フリー・スピリット”ツアーで彼を起用、ポール・コゾフのパートを務めたことからも、その“本格派”ぶりが窺えるだろう。
これまでオリジナル・アルバムも発表してきた2人だが、『Bonham-Bullick』は初のカヴァー・アルバム。アルバート・キング、ジョニーテイラー、サム・クック、O.V.ライト、マーク・ラネガンなど、ブルース、ソウル、ロックのクラシックスに新たな生命を吹き込み、彼ら流に生まれ変わらせている。
全2回のインタビュー、前編ではデボラとピーターに新作アルバムとそのキャリア、そしてデボラの偉大な兄ジョン・ボーナムについて語ってもらった。
<カヴァー曲は根底にあるエモーションを深く掘り下げる必要がある>
●ボーナム=ブリックの音楽性をどのように説明しますか?
デボラ:ブルースとロックをルーツにして、ソウルを込めたサウンドね。レッド・ツェッペリンやフリー、ハンブル・パイなどが好きだったら、きっと気に入ってくれるわ。私は兄のバンドを聴いて育ったし、それが血に流れている。レッド・ツェッペリンに似せようと思わなくても、どこか共通点があるのよ。
ピーター:ジョー・コッカーのグリース・バンドを好きな人も、ピンと来るものがあるだろうね。
●デボラとピーターはいつ、どのように知り合ったのですか?
デボラ:30年ぐらい前、友人の結婚パーティーで知り合ったのよ。私は花婿の、ピーターは花嫁の友達だった。ピーターは当時北アイルランドからロンドンに移り住んで、バー・バンドでレッド・ツェッペリンやトム・ペティ、ジョージア・サテライツなどの曲をプレイしていて、私が彼のバンドをバックに歌うことになったのよ。だから第一印象は彼の顔よりも彼のギター・サウンドだった。フリーのポール・コゾフみたいだと思ったのを覚えているわ。それで親しくなって、すぐ一緒にバンドを始めた。結婚したのは21年前で、子供はいないけど、迷い犬や迷い馬、迷いロバなどを保護して育てているわ。
●ニュー・アルバム『Bonham-Bullick』はどんな性質のアルバムですか?
デボラ:これまでも『Duchess』(2008)『Spirit』(2013)などのオリジナル・アルバムを発表してきた。自分は基本的にソングライターだから、他のアーティストの曲を歌うのは表現の幅を拡げるチャレンジだったわ。自分が書いた曲だったら、どう歌えばいいか最初から判っている。カヴァー曲だと、曲の根底にあるエモーションを深く掘り下げる必要があるのよ。
●アルバムの曲はどのように選んだのですか?
デボラ:私も選曲したし、友人や知り合いから提案もされた。100曲ぐらい候補があって、その中から自分なりの味わいを加えることが出来る曲をピックアップしたのよ。
ピーター:実は俺は1曲も提案していないんだ。自分で曲を選ぶよりも、みんなが選んだ曲をプレイする方が面白いチャレンジだと思ったからね。
デボラ:ロバート・プラントにこのアルバムのことを話して、「何か良い曲はない?」って訊いたのよ。パティ・グリフィンの「When it Don’t Come Easy」、それからベティ・ハリスの「What Did I Do Wrong」を提案してくれたわ。
●ファースト・シングルとなったアルバート・キングの「Can’t You See What You’re Doing to Me」について教えて下さい。
デボラ:アルバート・キングはブルースとソウルの最上の部分を持ち備えたアーティストだから、ピーターのブルース・ギターをじっくり聴かせることが出来るし、私もソウル・ヴォーカルの表現の限界まで迫ることが出来る。ただ、アルバートのコピーではなく、自分たちのエモーションを込めるように気を付けたわ。
ピーター:アルバートからは多大な影響を受けてきたし、似たように弾くことは自然なことなんだ。でも、それは意図して避けた。彼のように弾くのでなく、それでいて自分らしく弾くという難問に取り組まねばならなかったよ。アルバートのテイストを生かしながら、彼ほど簡素でなくアタックの効いたプレイを志したんだ。
デボラ:ジョニー・テイラーの「I Had A Dream」もブルース・ギターとソウル・ヴォーカルをフィーチュアした曲だった。ピーターはソウルフルなギターを弾いているけどね。
●「It Ain't Easy」はデヴィッド・ボウイやスリー・ドッグ・ナイトがプレイしていますが、あなた達は誰のヴァージョンを基にしたのですか?
デボラ:ロン・デイヴィスのオリジナル・ヴァージョンがずっと好きだったのよ。マンドリンやブギウギ・ピアノを入れて、オリジナルに近いアレンジになったと思う。私が理想とする女性シンガーのマギー・ベルも歌っていて、彼女からの影響もあるわ。彼女はレッド・ツェッペリンの“スワン・ソング”レーベルからもアルバムを出していたのよ。面白かったのは、ピーターが「It Ain't Easy」をボウイのオリジナル曲だと思い込んでいたことだった。その逆に、私はボウイのヴァージョンを知らなかったのよ(笑)。
ピーター:俺にとって、「It Ain't Easy」はボウイのヴァージョンにあるミック・ロンソンのギターのイメージがあったんだ。だからデボラとイメージが違いすぎて、顔を見合わせて「...ん?」ってなったよ。
●「Bleeding Muddy Water」を書いたマーク・ラネガンは今年2月22日に亡くなってしまいましたが、彼のことは知っていましたか?
デボラ:直接の面識はなかったわ。マークのアルバム『Blues Funeral』(2012)で聴いて、一瞬で恋に落ちたのよ。彼はスクリーミング・トゥリーズで有名だけど、ソロのシンガー・ソングライターとしてもっと評価されるべきだと思う。「Bleeding Muddy Water」にはレッド・ツェッペリンの「ノー・クォーター」にも通じるフィーリングがあるけど、彼がジョン・ポール・ジョーンズと一緒にやったことがあることを考えると奇妙な縁を感じるわね。ぜひマーク本人に私たちのヴァージョンを聴いてもらいたかったけど、亡くなってしまって本当に残念よ。
●アルバムの制作は“ボーナム=ブリック・バンド”として行ったのですか?
デボラ:そう、バンド編成でレコーディングしたのよ。私とピーターに加えて、ベーシストのイアン・ラウリーとも長い付き合いで、息がピッタリ合うわ。ドラマーのリチャード・ニューマンは、デヴィッド・ボウイやジェフ・ベックとプレイしてきたトニー・ニューマンの息子なのよ。もちろんリチャードも凄腕で、ジョンやジェイソンと似たタイプのドラマーかも知れない。数曲でマルコ・ジオヴィーノも叩いている。彼はロバート・プラントの『バンド・オブ・ジョイ』(2010)でもプレイしていたドラマーよ。
ピーター:ポール・ロジャースと奥さんのシンシアが主催したチャリティ・ライヴで俺たちがバックを務めて、それで気に入られて2017年に彼の“フリー・スピリット”ツアーに同行したんだ(ライヴ・アルバム『Free Spirit』で聴くことが可能)。その後2018年、ジェフ・ベックやアン・ウィルソンとの“スターズ・アライン”北米ツアーでもポールのバックを務めた。フリー時代の曲を主にプレイしたけど、特にイアン・ラウリーもアンディ・フレイザーから影響を受けているし、特に指示する必要がないと思ったのかもね。
<ジョン・ボーナムは家族を大事にしていた>
●デボラはお兄さんのジョンと一緒に育ったのですか?
デボラ:そう、映画『レッド・ツェッペリン 狂熱のライヴ』(1976)にも出てくる農場で育ったのよ。バーミンガムの都市部から40分ぐらいで、建物は祖父と父が建てて、ジョンも手伝ったわ。ジョンは14歳年上、次兄のマイケル(=ミック)は12歳年上だから、兄であるのと同時に保護者でもあった。私が学校をサボったりせず、宿題もやるように何度も言っていたわ。ロックンロール・ライフスタイルなんてとんでもない!って感じだった(笑)。ジョンは家族をとても大事にしていた。ステージでの演奏や、ツアー中にホテルで物を壊したりで有名だけど、自宅ではいつもハッピーで、みんなを笑わせていたわ。家族みんながダンスして、彼がドラム・キットを叩いて、ジェイソンにも叩かせたりして... 2人の兄はいつもジョークを言って笑っていた。彼らがいないのは寂しいわ。
(ジョンは1980年に32歳、マイケルは2000年に49歳で亡くなった)
●どのようにして音楽に目覚めたのですか?
デボラ:私が音楽を意識したのは4、5歳のとき、両親が聴いていたグレン・ミラーやベニー・グッドマンなどのビッグ・バンドだった。ジョンがジーン・クルーパのドラミングを好きになったのも、親からの影響だった筈よ。家ではいつも音楽が流れていた。父と母はビリー・ホリデイも好きだったし、ジョンとマイケルはモータウン・ソウルやジェイムズ・ブラウン、ザ・スピナーズを聴いていた。ジョンはエヴァリー・ブラザーズやビー・ジーズも好きだったし、私は学校でオペラを歌っていたけど、すぐにいろんな音楽に興味を持つようになったわ。キャロル・キングやジョニ・ミッチェルみたく歌いたかったし、イアン・デューリーやXTCも好きだった。そうして自分もシンガーを志すようになったのよ。
●レッド・ツェッペリンのライヴを見たことはありますか?
デボラ:何度も見たわ。最初に見たのはバス・フェスティバル(1970年)の筈だけど、まだ小さかったし、よく覚えていないのよ。その後、バーミンガムでショーをやるたびに招待された。いつもエキサイティングな経験だったわ。...私は15歳ぐらいのとき、親や兄たちでなく自分が発見した音楽を聴きたくて、プログレッシヴ・ロックを聴き込んでいた時期もあったのよ。ゴングの『カマンベール・エレクトリック』やスティーヴ・ヒレッジが大好きだった。ジョンとマイケルは「うーん...」という感じだったけどね(笑)。ジェネシスの『セリング・イングランド・バイ・ザ・パウンド』は2人とも好きだったわ。
●あなたの初のアルバム『For You And The Moon』(1985)はプログレッシヴ・ロックとはまったく異なる、1980年代風のポップ/ロックでしたが...。
デボラ:うん、あのアルバムは当時のレコード会社がドイツのスタジオを予約して、私にレコーディングさせたのよ。初めて自分のアルバムを作ることが出来たのは嬉しかったけど、英語が通じなくてスタッフと意思疎通が出来なかったし、音楽性にはほとんど関わっていないのよ。私の代表作ではないし、あまり聴き返すこともないけど、今でもたまに「あのアルバム好きですよ」と言われたりするから、気に入ってくれる人はいるみたいね。...その後、日本のレコード会社からの契約オファーもあったのよ。
●それはいつの話ですか?
デボラ:1990年代の初め、確かサム・コーポレーションという会社だった。ロンドンにある日本資本の“マスター・ロック・スタジオ”でデモをレコーディングしたのよ。ただ、オーヴァープロデュースなサウンドで、私の音楽性を反映しているとは言えなかった。洗練されたソフトなロックで、エッジが足りなかったのよ。結局3、4曲のデモを録っただけでアルバムは発売されなかった。そのアルバムにはピーターも参加しているのよ。
後編記事ではデボラにレッド・ツェッペリンの今後などを訊いてみた。
【デボラ・ボーナム公式サイト】
https://www.deborahbonham.com/
【最新アルバム】
Bonham-Bullick『Bonham-Bullick』
Quarto Valley Records