コウノトリを水田に取り戻した体験とジェンダー問題の共通点~兵庫県豊岡市の持続可能なまちづくり(後編)
男性は外で働き、女性は家庭を守る、いわゆる性別役割分担意識は、今も日本社会に残っており、特に地方で根強い。
「仕事に復帰したことを、姑に内緒にしている」、「PTA会長になったら、『女性なのに大丈夫か?』と学校長から電話を受けた」、「保育園のお迎えに来るのは母親ばかりだ」といった声を、筆者は各地で聞いてきた。こうした「意識」を変えることはできるのだろうか。
男/女らしさの意識は変わるか
兵庫県豊岡市は「多様でリベラルなまち」を目指し「ジェンダーギャップの解消」に取り組んでいる。特に力を入れているのは「ワークイノベーション」と称する働き方の行動と意識の変革だ。
市役所を含む市内事業所が一丸となって取り組んでいる。前回の記事では、市長がこの問題を優先課題とするきっかけになった人口問題について書いた。特に「若者回復率」や、これまでの慣習への市長自身の率直な反省の言葉を紹介した。
豊岡市の中貝宗治市長は「時間はかかるが、ジェンダーギャップ解消は、きっとできる」と考えている。理由を尋ねると、意外なものを見せられた。コウノトリだ。
「豊岡市は野生のコウノトリを水田に取り戻すことに成功しました。ジェンダーの問題も、同じように時間をかけて、人々の対話を重ねたら、できる、と思っています」と中貝市長は話す。コウノトリと女性や人口問題は、どう結びつくのだろうか。
学校給食について要望する小学生
話は2007年に遡る。中貝市長のもとに地元の小学生数名が訪れ、中貝市長にこんな要望 をした。
「学校給食にコウノトリ育むお米を使って下さい」
「コウノトリ育むお米の消費が増えれば、生産も増えます」
豊岡市内には水田が広がる地域もあるが、この子ども達は必ずしも農家ではなかった。実は2004年、台風で、豊岡市内は大変な被害 を受けた。市長室を訪れた子ども達が通う小学校では、多くの子どもの自宅が床上浸水したという。
「なぜ、こんなことになってしまったのか」
原因を考えるうちに台風被害から気候変動、生態系の破壊へと、子ども達の学びは進んでいった。そして、気づいたことがある。豊岡市では、かつて、農薬を使わずにお米を作っていた。その頃は、田んぼにコウノトリがたくさん来ていた、ということだ。
「また、コウノトリも戻ってくるような田んぼでお米づくりができたらいいのではないか」
「それは、お米を無農薬で作ることだ」
豊岡市では、この当時、既に合鴨農法のお米を買い支える取り組みをしていた。同じようにして、コウノトリが住めるような無農薬のお米を買い支えたらいいのではないか――。
小学生達はこう考えて、近くのコンビニエンスストアを訪問したのである。
「コンビニのおにぎりに、コウノトリ育むお米を使ってほしい」
店長は自分には販売している製品の原材料を決める権限がないこと、コンビニでは難しくても別のところでコウノトリ育むお米を使うようになれば、生産が増えていくだろう、と経済の仕組みを教えてくれた。
お米をたくさん買っている、身近なところに想像をめぐらせ、子ども達が行きついたのが学校給食だったのである。学校給食の材料調達は市役所に権限があるから、市長のもとを訪れたのだ。
「とても感心しました」と中貝市長は当時を振り返る。「小学生が『消費が増えれば生産が増えます』と言うのですから」。
市長は子ども達の要望を受け入れた
子ども達に心を動かされた中貝市長は、その年の秋には学校給食にコウノトリ育むお米を使い始めた。
コウノトリ野生復帰の取組みが始まった当初から、生きものや自然に優しい農法を進める動きには、少なからず農家の反発はあった。農薬を使い害虫を駆除しコメの生産高を増やすことは、安定供給を求めたかつての国策であり、行政や農協の指導でもあったからだ。
国策に従い農薬を使ってきたが…
戦後、食糧難の時期、農家はこうした指導に従い、順調にコメの生産高を増やし品質も上げてきた。そのおかげで多くの人が飢えずにすんだのである。今になって、農薬を使うなと言われたり、農家が悪者のように言われたりするのは受け入れがたい、という気持ちが根強いのは当然と言える。
中貝市長は「農家と消費者の対立にしてはいけない」と考えた。「農家のこれまでの努力を否定せず、未来に向けた対話を地道に積み上げるようにしました。とにかく辛抱して、相手が自然に変わるのを待ったのです」
農家の心を動かした数字
地域の中で農家との対話を進める中でも、特に有効だったのは、数字だ。食物連鎖の中で農薬がいかに生物濃縮されていくか示したものだ。散布された農薬を水田の虫が吸収し、その虫を他の虫が食べる。この食物連鎖を繰り返していく中で、生態系の頂点にいるコウノトリが食べる。この過程でコウノトリは数万倍に濃縮されるとも言われる農薬を取り込んでいたのである。
ある農家はこの数字を見て、自分の子どもや孫の世代に農薬が与える影響について考え始めた。これまで、親や祖父母たちは国のため、人々のためにお米の生産を増やそうと、懸命に働いてきた。これからは、農薬をやめて生き物が再び戻ってこられるような稲作をすることが、次世代のためになるのではないか。
「子ども達が変えてくれた」
ここまでに至るのは簡単ではなかったが「子ども達が変えてくれた」と中貝市長は言う。「子どもが積極的に動くと大人は嬉しくなって受け入れる。大人の価値観は強固ですが、誰もが孫の話になれば変わります」。
市役所、地元NPO、農家などの協力で人工の湿地をつくり、稲作では減農薬、無農薬を進めていった。今では、その努力が実り、コウノトリ育むお米と呼ばれる米は市価の2~5割高い価格で売れる。コウノトリのいる光景は、自然環境保全の象徴として住民の心に安らぎを与えることに加え、新しい観光資源にもなった。ここに至るには、数多くの市民が参加し協力してきた。
このようにコウノトリの野生復帰に成功した豊岡市なら、ジェンダーギャップ解消も、きっとできる、と中貝市長は言う。そこには同じ構図が見える。
コウノトリとジェンダーの共通点
かつて農薬を活用してお米の生産を増やした。それは、戦後の食糧難を克服するため当時として正しい戦略であり、多くの人を飢えから救った。同じことがジェンダー問題にも当てはまる。かつて性別役割分業に基づき、男性に生活給を払い、女性が家事育児を担った。それは、製造業を中心に経済発展していた時代に、社会が豊かになる効率的なやり方だった。
戦後75年経って、多くのことが変わった。
お米の生産量は充分に確保できるようになり、農業には、食糧生産に加えて自然環境の調和が求められるようになった。人口減少の時代になり、男性も女性も育児や介護をしながら働くことが求められるようになった。変化に対応するためには、これまで正しかったこと、効率的だったことを、見直す必要がある。
長期的な視点を持ち対話を重ねる
コウノトリも住める環境を創るお米作りの新しいやり方と、自然環境保全、気候変動対策はつながっている。男女ともに家庭や地域の活動と仕事を両立できるような、新しい働き方は、魅力的なまちづくりにつながる。
「変化が速い時代は、強いリーダーに頼るのではなく、皆で知恵を出し合い、話し合って多様な意見を取り入れていくような民主主義が大切だと思います」と中貝市長は言う。
コウノトリの時と同様、ジェンダーギャップ解消への取り組みも、市長が本気を見せることに加え、市役所内のキーパーソン 、市民や専門家、そして子ども達と一緒に取り組む。敵を見つけて闘うのではなく、地道な対話で味方を増やしていくスタイルは、持続可能なまちづくりにぴったりだ。