人口8万人の市長が「ジェンダーギャップ」に目覚めた理由~兵庫県豊岡市の持続可能なまちづくり(前編)
それは昨年3月末のことだった。
東京・紀尾井町にあるホテル・ニューオータニの大宴会場、1000名以上入れる部屋で日本政府主催の国際女性会議が開かれた。地方創生と女性のエンパワーメントをテーマにした分科会で、ある人物の前に長い列ができていた。
名刺交換と共に寄せられる感動の声を、驚きと共に受け止めていたのが、中貝宗治(なかがいむねはる)豊岡市長だ。豊岡市は兵庫県北部の自治体で、人口は約8万人。中貝市長の話は人口減少に悩む多くの地方都市関係者と、国会議員の心をつかんだ。
豊岡市は、国内にあるほかの多くの自治体と同様、働く女性や女性管理職を増やそうとしている。他の自治体と大きく異なるのは、こうした取り組みを「女性活躍」ではなく「ジェンダーギャップの解消」と呼んでいることだ。これは、単なることばの問題ではなく、中貝市長の大きな危機感に基づいている。
なぜ「ジェンダー・ギャップ」なのか
話は今から3年前、2017年に遡る。2015年の国勢調査に基づき算出されたある数字に、中貝市長は目を奪われていた。それは「若者回復率」である。
若者回復率とは、20代で転入超過となった人数が10代で転出超過となった人数に占める割合のこと。多くの地方都市で10代は進学のため故郷を離れ、20代で就職や家族形成のため戻ってくる。仮に、100人の10代が進学で町を離れ、20代で就職のために50人が戻ってきたら、若者回復率は50%となる。
豊岡市では、2010~2015年にかけて、この若者回復率の男女差が2倍に開いた。男性52.2%に対し女性26.7%である。
なぜこれが問題なのか。豊岡市の若者回復率は男女合計で見れば、この25年間でゆるやかなV字回復を描いている。1990年~95年に52.6%だったものが49.1%、28.6%と5年ごとに下落し2000年代始めに底を打った後、34.2%。39.5%と徐々に回復している。男女合計の数字だけを見ていたら「Uターン、Iターンの取り組みがうまくいった」と現状を肯定することができたはずだ。
若い女性は男性の半分しか戻らない
けれど、中貝市長は甘い数字ではなく、厳しい現実の方を見つめた。実は、豊岡市の若者回復率を男女計と性別で比較すると、まったく違う風景が見えてくる。先に示した通り、男女計ではゆるやかなV字回復、男性だけを見ると男女計よりシャープなV字を描いている。
つまり、若い男性は以前より豊岡市に戻ってくるようになっている。一方で女性の若者回復率は25年間、減少傾向が続いており、最近5年で男性とのギャップが倍にまで開いたのだ。
なぜ、20代女性は豊岡市に戻ってこなくなったのか。比較として東京都を見ると、何が起きているのか分かる。東京は男女共に若い世代を惹きつけており、特に女性の転入が多い。
息子と娘で異なる親の言葉がけ
「とても恐ろしいことが起きています」と中貝市長は言う。そして、こうなる理由は想像できる、とも言うのである。
「地元で親たちは、長男には『帰ってこい』と言っています。一方で女の子には『どうせお嫁に行くから、好きなようにしていい』と言っている。その結果、女性が豊岡に戻ってこなくなっている。あらためて見ると、市役所にも市内企業にも働く女性が少なくて、リーダー職につく女性はほぼいない。このジェンダーギャップを放置すれば社会・経済的な損失は、とてつもなく大きい」
市長のこの危機意識が、豊岡市をジェンダーギャップ解消に向け、真剣に取り組ませている。
例えば2019年に市が発行した広報媒体は表紙に「脱・男だから 女だから:誰もが自由に生き方を選択できるまちへ」とタイトルをつけ、自転車に子どもを乗せて送迎する父親の写真を掲載した。
そして、戦後すぐから現在までの社会情勢と、そこに対応した人々の働き方・暮らし方を分かりやすく記した。さらに、前出の若者回復率のジェンダーギャップも数字と共に解説し「若い女性が豊岡に暮らす価値を感じていない」と課題を明確に示している。
「厳しい現実から目をそむけず、市民に語り掛けるようにしています」と中貝市長は言う。
女性職員が参加できる研修形態
市長だけではなく、市職員の課題把握も早かった。2012年ころから、明治大学大学院の講師を招き、若手職員向けに研修を続けてきたからだ。ここで戦略的な思考、結果にコミットする働き方を身につける。
当初は、職員が東京などに宿泊して研修を受けていたが、「女性職員が参加しにくい」ことに気つき、近年は講師に豊岡市へ来てもらい、5日間みっちり指導してもらっている。そのおかげで、受講者の半数は女性となった。家事育児等の家庭責任を負うことが多い女性も参加しやすい実施形態を工夫することは、ジェンダーギャップ解消においては重要だ。
豊岡市はジェンダーギャップ解消に向けた重要な方策として「ワークイノベーションの推進」を掲げる。和語にすれば「仕事の変革」。ここには、男女ともに育児や介護などのケアに関わりながら働き続けられる環境をつくろうという意欲が表れている。
とりわけ、雇用主の発想と人材マネジメントを変えることを重視しており、テレワークなどの推進に加え、いったん家庭に入った人が再就職を始めやすくするため、短時間・少日数勤務制度を導入する企業もある。
働き方改革で男女共に変わる
2018年10月、市内21の事業所が集まって「ワークイノベーション推進会議」 をつくった。ここでは、女性が働きたい仕事や職場環境の変革について、課題や解決方法を共有する。また、一事業所では取り組みが難しい施策について協力して取り組んでいく。豊岡市役所も、雇用主としてこの会議に参加している。
既に成果が出始めている。豊岡市内にある事業所、中田工芸では男性社長自身が1カ月の育児休業を取得した。これは男性従業員の育休取得の後押しになり、女性だけが育児をしなくてもよいという意識改革につながっている。
また、この事業所では、海外戦略室を設けて、所属する5人中3人が女性で、彼女たちも海外出張するようになった。
こうした変化の中で、中貝市長はあることに気づいた。
女性職員に対してフェアではなかった
「これまで、市役所で女性が管理職になるのは夢のまた夢だった。かつては、結婚すると女性に退職を促すような雰囲気もありました。
市役所職員へのアンケートに書かれた記述を見て、これまで私たちが知らずに押し付けてきたものに気づきました。
私は、市役所の経営者として、彼女たちにすまなかったと思いました。女性職員に対してフェアではなかった。公正ではなかった、と思っています。
意識して女性を差別していたわけではありませんが、これまで無意識で続けてしまったことについて、考えさせられました」
筆者は、国内外の雇用主による女性活躍やダイバーシティ推進の取り組みを20年以上、取材してきた。女性活躍を前向きなこととして語る経営トップはたくさんいるが、過去を率直に振り返り、反省し女性に詫びるトップを見たのは初めてだ。
経営者の心を動かす「公正さ」
今ではこのように正直な気持ちを語る中貝市長だが、ジェンダーギャップ解消に着手した当初は、経済問題を強調していた。人口減少、労働力不足が経済損失に結び付く、という話なら、経営者が受け入れやすいからだ。一方で「公正や平等といった話は反発を招くのではないか」と危惧していた。
これは杞憂だった。多くの経営者が中貝市長の率直な反省のことばを正面から受け止めたのである。「公正さの欠如」という言葉を重く受け止めた地元商工会議所会頭は、今では「フェアな人事制度」を普及させようと積極的に動いている。「きっと、私と同じような反省を、市内事業所の経営トップも感じたのではないでしょうか」 と中貝市長は話す。
若者回復率を性別の数字で見て
目標は「若者回復率が男女共に50%になること」と中貝市長は述べる。男性は既に達成できており、女性を呼び戻せるような、仕事のある魅力的なまちにしていく。
若年人口、取り分け女性の流出は、地方都市の共通課題だ。悩んでいる自治体や首長に中貝市長はこう呼びかける。「若者回復率を性別で見てください。もし、男性は戻ってきているのに女性は戻らなくなっているとしたら、その数字を正面から見つめて下さい。私たちの取り組みも、厳しい現実を直視することから始まりました」。
後編では、中貝市長が「ジェンダーギャップの解消は、時間がかかっても必ずできる」と信じている理由として、豊岡市のある成功体験を紹介する。