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引退迫るキハ143形導入前の「711系」とはどんな電車だったのか 室蘭本線での現役時代 

鉄道乗蔵鉄道ライター

 JR北海道、室蘭本線の苫小牧―東室蘭―室蘭間で活躍しているキハ143形気動車の引退が2023年5月19日に迫っている。

キハ143形については、2023年5月1日付記事(引退迫るJR北海道のキハ143形気動車 「レッドトレイン」と呼ばれた51系客車だった過去)でも詳しく触れたとおりだが、5月20日からは同区間には新型の737系電車が導入され、最高運転速度がキハ143形の110km/hから120km/hに引き上げられることになり、苫小牧―室蘭間の所要時間が平均で9分、最大で17分短縮される。

 キハ143形の室蘭本線への導入は2012年のことだが、それ以前は同区間では「赤電」と呼ばれる国鉄時代に登場した711系電車が運行されていた。711系とはいったいどんな車両だったのか、詳しく紹介したい。

2011年、室蘭本線から引退間近の711系に乗車

東室蘭駅の電光掲示板には「トワイライトエクスプレス大阪行」の表示もある(筆者撮影)
東室蘭駅の電光掲示板には「トワイライトエクスプレス大阪行」の表示もある(筆者撮影)

 筆者は、711系電車の引退が迫った2011年10月23日、室蘭本線の東室蘭―苫小牧間で実際に乗車している。この日は、長万部方面から東室蘭駅へと降り立ち、東室蘭を15時39分に発車する苫小牧行で札幌方面へと向かうという行程だ。

 2011年当時は、まだ北海道と本州方面を結ぶ寝台特急列車が多数運行されており、東室蘭駅改札口の電光掲示板には、函館方面に「寝台特急トワイライトエクスプレス 15:50 大坂」の表示があるのは今となっては懐かしい。

運よく復刻塗装車に乗車できた(筆者撮影)
運よく復刻塗装車に乗車できた(筆者撮影)

 東室蘭駅の3番ホームへと降り立つと、そこにいたのは1968年登場時の姿を再現した復刻塗装車だった。ちょうどこの時期は、室蘭本線からの711系の引退が発表されたタイミングで2編成が復刻塗装車とされており、運よく筆者が乗車することができたのはS110編成の復刻塗装車だった。

車内は2扉デッキ付きでクロスシート主体(写真:221.20 https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16971232)
車内は2扉デッキ付きでクロスシート主体(写真:221.20 https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16971232)

 711系の車内設備は、2扉デッキ付きでクロスシートを主体としていたことから乗り心地は快適だ。これは、導入当初は札幌―旭川間を結ぶ「急行さちかぜ号」や「急行かむい号」などの急行列車に充当されることを考慮して設計されたもので、窓側にはテーブルも備え付けられていたことからお弁当などを食べながら小旅行をするには快適な設備だ。

JNRマーク付きの扇風機も稼働状態(筆者撮影)
JNRマーク付きの扇風機も稼働状態(筆者撮影)

 711系の中にはJR化後に冷房化改造が行われた車両もあったが、復刻塗装車のS110編成は非冷房車のままで、車内は日本国有鉄道のJNR(Japan National Railway)マークの付いた扇風機が稼働状態だったのには感動した。

テーブルがあるのでお弁当も楽に食べることができた(筆者撮影)
テーブルがあるのでお弁当も楽に食べることができた(筆者撮影)

 そして苫小牧駅にはおよそ1時間で到着。長万部で購入した「かにめし」を食べながらちょっとした旅行気分を味わうことのできたのであった。

苫小牧駅に到着した頃には日が沈みかけていた(筆者撮影)
苫小牧駅に到着した頃には日が沈みかけていた(筆者撮影)

1968年、小樽―滝川間の電化開業によって登場した711系電車

2009年冬、苗穂駅付近を走行する711系電車(写真:Tennen-Gas https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5863101)
2009年冬、苗穂駅付近を走行する711系電車(写真:Tennen-Gas https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5863101)

 このようにキハ143形の投入前まで室蘭本線苫小牧ー東室蘭ー室蘭間の主力車両として活躍していた711系電車であるが、この電車はいったいどのような車両であったのだろうか。

 711系電車の登場は国鉄時代の1968年に遡る。函館本線の小樽―滝川間はこの年に電化開業しているが、この電化開業に伴って登場した国内の在来線初の交流専用電車が711系なのだ。

 日本の鉄道電化は、戦前から首都圏や京阪神を中心に直流1500V方式で電化が進められていったが、戦後になり商用電源による鉄道電化技術が実用化されると、一般送電網に流れている交流電気をどこからでも得ることができ、鉄道電化に伴う変電所を従来の3分の1に出来ることから、九州や北陸、そして北海道の鉄道電化は交流20000V方式で進められることになった。

 しかし、九州や北陸での電車については、すでに直流電化により整備が済んでいる京阪神方面への直通運転を行うため、鉄道電化に伴って製造された電車は全て交直両用車両となっていたが、北海道の電化区間は他の直流電化区間と接することのない独立したものとなったことから、711系電車は国内在来線初の交流専用電車として製造された。

 北海道の電化区間は、翌年の1969年に旭川駅まで達し、その11年後の1980年には千歳線・室蘭本線の苗穂―沼ノ端―室蘭間に達した。

711系電車の開発は、函館本線電化事業と並行して行われ1967年には試作車として仕様の異なる2両編成×2本が落成。その後、小樽―滝川間電化開業の1968年には第1次量産車の3両編成×8本と中間電動車1両が、滝川―旭川間電化開業の1969年には第2次量産車の3両編成×10本が製造された。さらに少し時間を置いて1980年の千歳線・室蘭本線電化の際に第3次量産車となる3両編成×17本と先頭車4両が製造され、711系電車は3両編成×38本の114両体制となった。

 その後、1997年の731系電車の投入により、711系電車は徐々に淘汰が始まるが、2012年の室蘭本線に最後まで残ったのは1980年に投入された第3次量産車のグループだった。

711系電車のその後

2015年の引退間近には「さよなら」ヘッドマークも取り付けられた(写真:Rsa https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39291967)
2015年の引退間近には「さよなら」ヘッドマークも取り付けられた(写真:Rsa https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39291967)

 キハ143形によって置き換えられた711系電車は、その後、札沼線(学園都市線)に転属。新型車両の733系電車が出揃うまでの札幌―北海道医療大学間での通勤・通学輸送を担うこととなった。しかし、その活躍も長くはなく、711系電車は2015年3月のダイヤ改正をもって全車両が引退。廃車されることとなった。

 しかしその後、インターンッと上で車両の保存を求める声が高まり、有志で構成される「北海道鉄道観光資源研究会」が車両の保存資金を集めるためのクラウドファンディングを実施。無事に目標金額を達成することができたことから、先頭車の2両のみが岩見沢市栗沢町のファームレストラン「大地のテラス」での保存が決定。2両の先頭車は現在でも「岩見沢赤電保存会」の手により維持・管理が続けられている。

岩見沢市内で静態保存されている2両(写真:Rsa https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=44459630)
岩見沢市内で静態保存されている2両(写真:Rsa https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=44459630)

(了)

鉄道ライター

鉄道に乗りすぎて頭の中が時刻表になりました。日本の鉄道全路線の乗りつぶしに挑戦中です。学生時代はお金がなかったので青春18きっぷで日本列島縦断修行をしてましたが、社会人になってからは新幹線で日本列島縦断修行ができるようになりました。

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