北海道新幹線「並行在来線」、密林の中を走る砂原支線は貨物輸送に不可欠! 建設は戦時中だった
筆者はこの8月、「北海道&東日本パス」を利用して長万部駅を16時18分に発車する函館行の普通列車に乗車し、北海道新幹線の「並行在来線」区間となる長万部―函館間を乗り通したことは、2023年8月29日付記事(札幌ー東京間を普通列車だけで移動するとどうなるの!? 実際に35時間かけて乗ってみた【前編】)にも記した通りだが、この列車は森駅から函館本線の砂原支線を経由する列車だった。
8の字ルートの函館本線の謎
札幌方面から函館本線に乗ると、森駅からは西側の駒ケ岳駅経由の本線ルートと、東側ほ渡島砂原駅経由の砂原支線ルートの二手に分かれ、その後、大沼駅で合流。大沼駅からはさらに、新函館北斗駅を経由する西側の本線ルートと、七飯駅に直通する東側の藤城線ルートに再び分かれ七飯駅で合流するという8の字ルートを形成している。
札幌―函館間を結ぶ特急北斗号は上下列車ともに駒ヶ岳駅と新函館北斗駅を経由する本線ルートで運行されているが、この砂原支線と藤城線ルートは貨物列車を運行する上で欠かせないルートとなっている。札幌方面から函館方面に向かう上り貨物列車は、砂原支線と新函館北斗駅を、函館方面から札幌方面に向かう下り貨物列車は藤城線と駒ヶ岳駅経由で運行されており、これは急な上り勾配を避けるための措置である。
戦時中に輸送力増強目的で建設された砂原支線
森駅から駒ヶ岳駅を経由して大沼駅に向かう本線ルートは最大で20‰の上り勾配が存在することから、貨物列車にとってはボトルネックになる区間である。特に蒸気機関車が主力だった戦時中には、この区間を走行するためには補助機関車の連結が必要となり大幅な速度低下を招いていたことなどから、輸送力増強目的に1945年、森―砂原間で営業していた渡島海岸鉄道を戦時買収し国有化した上で駒ケ岳の東側周りの砂原支線を建設。距離はやや遠回りにはなったものの最大勾配が9‰に緩和された。
一方の藤城線は国鉄が1966年に建設
大沼駅から先の七飯駅にかけての藤城線ルートについても、函館方面から札幌方面に向かう場合には、新函館北斗駅経由の本線ルートでは最大20‰となる上り勾配が存在する。こうしたことから国鉄時代の1966年に増大する鉄道輸送量に対応するため最大勾配が9.5‰となる藤城線を七飯―大沼間に建設。現在でも函館方面から札幌方面に向かう下り貨物列車は藤城線経由で運行されている。
しかし、藤城線内には駅がなく、旅客列車については、現在は1日3本の下り普通列車しか設定されていないことから、北海道新幹線の並行在来線としての経営分離にあたって道は藤城線を引き継がないことを想定しており、鉄道貨物の将来的な安定輸送が懸念されている。
砂原支線の旅客列車は1日上下12本
筆者が長万部駅から乗車した函館行普通列車は森駅に17時38分に到着。7分間停車した後、17時45分に発車する。大沼駅までの35.3kmを56分かけて走行する。なお、森駅停車の7分間の間に、函館方面からの貨物列車2本とすれ違い、改めてこの区間が物流幹線ルートであることを実感させられる。
森駅を発車すると線路は左手方向に分岐し、車窓には駒ケ岳がよく見える。ここから渡島砂原駅までの間は、戦前には渡島海岸鉄道という私鉄が列車の運行を行っていたが戦時買収され国有化された上で、急勾配を緩和する函館本線のバイパスルートとして砂原支線が大沼駅まで建設されている。
渡島海岸鉄道時代は森町砂原地区(旧砂原町)の市街地に近い場所に駅が設置されていたそうであるが、砂原支線の渡島砂原駅は市街地からかなり離れた場所に設置されており、この路線がいかに沿線住民の地域利用よりも函館本線のバイパスルートとしての役割に重きを置いて建設されたのかということを物語っている。
線路は、そのほとんどが深い森の中に敷設されており、密林の中を走る鉄道と言っても過言でなないだろう。砂原支線の沿線の集落は、森町砂原地区のほかには鹿部町が立地しており町内には鹿部駅が設置されているが、こちらも鹿部町の市街地からは非常に遠く徒歩でのアクセスは難しいものとなっている。
鹿部駅を発車してしばらく走ると、夕日に照らされた大沼が見えたところで本線側の線路と合流。列車は大沼駅へと到着した。
大沼駅からは新函館北斗駅経由の本線ルートで函館へ
筆者が乗車した函館行普通列車は、大沼駅発車後は新函館北斗駅経由の本線ルートを走行し、函館駅に到着したのはすっかり日が落ちた19時20分となっていた。
(了)