コロナ禍の運動会も曲がり角 だれのための運動会?
秋の運動会のシーズンですが、今年は新型コロナの影響で、かなり様相が変わってきています。4月や5月に早々に運動会の中止を決定した自治体、学校もあり、中止も多い一方、9月、10月といったこの時期に開催するところもあります。実施している学校でも、例年どおりではなく
●保護者等の参観の人数を限定(1世帯2人までなど)。
●小学校なら、低(1・2年生)、中(3・4年生)、高(5・6年生)などと分けて、3部構成や2部構成で、児童も保護者も完全入れ替え制で、密を避けるかたちで実施。
●児童生徒が接触することが多い競技(綱引き、騎馬戦など)はやめて、ダンスなど表現活動に変更。
といった工夫をするところもかなりあるようです(長野放送9月21日、南日本新聞9月6日など)。こうした取り組み、いいなと思う点も多々ありますが、「危ういな」と思うところもあります。きょうは、コロナ禍での運動会は「どこに向かおうとしているのか」について、考えてみたいと思います。
■そもそも、感染リスクのあるなかで、運動会はやるべき?
これについては、各地の校長や教育委員会は非常に苦慮しています。萩生田文科相は記者会見で「規模を縮小してでも実施していただけないか」と述べていますが(朝日新聞2020年9月4日など)、国がどう言おうが、判断して責任をもつのは各学校の校長ですし、何かあったとき矢面に立つのも校長です(※)。
(※注)学校行事の開催や内容の決定は、教育課程の編成に関することであり、校長の権限のひとつと考えられます。その意味で、教育委員会が一律に中止を決定するのは、(校長等と相談したうえでの決定ではありましょうが)違和感が残ります。
文科省の集計によると、6月~8月までのあいだ新型コロナの「学校内感染」は計180人、31件発生しています。少子化しているとはいえ、現在も全国には約3万6千校あり、約1,300万人の児童生徒がいます。そのなかで、この数字です。もちろん、油断できるウイルスではないし、学校が非常に気を付けて対策を講じている結果でもありましょうが、今のところのデータを踏まえると、感染予防に努めつつ、運動会などの行事を開催することについて、非常にリスクが高いとは、言い難い状況です(今後ウイルスが変異などすれば、話は別ですが)。
こうした状況のなか、感染対策と子どもたちの学びの充実の両立を図るべく、上記のように、各校でさまざまな工夫がなされているのは、いい動きだと思います。一方で、気になることもあります。この話は保育園・幼稚園などでもほぼ同様です。
■「保護者のための運動会」が加速?
学校によっては、人数制限されるなどして来場できない保護者等のために、動画でのライブ中継を行ったり、DVDを作成して配布したりする例もあるようです。ライブ配信を手がける業者には問い合わせが殺到しているとのこと(まいどなニュース9月10日)。
わたしは、これは少々やり過ぎな気がします。保護者の有志等で行うならまた別ですが(肖像権の問題など承諾が得られるならば)、学校が保護者らに見せるために、そこまで頑張ることが「フツーのこと」とされるのは違和感が残ります。
「保護者目線の努力でいいことじゃないか」、「子どもの成長を見たいと思うのは、親や親戚にとって当たり前だろう」という意見もあると思います。わたしも小中学生の親ですし、そういう気持ちもわかります。
しかし、どんどん運動会などの行事が、「保護者に見せるためのもの」になってきているような気がしてなりません。
昨年は、運動会の徒競走でビデオ判定を導入する学校のことがテレビ番組で紹介されて、そこまでやるのかと話題になりました(ライブドアニュース2019年12月15日)。
ビデオ判定まで行う学校はごく一部かもしれませんが、おそらく、もっと多いのは、保護者等の評価、評判を気にして、運動会のためにダンスなどの表現活動や行進にしつような指導や猛練習を課す学校です。今年は、この点でもコロナの影響で、通常の教科指導の時間が足りない事態ですから、マシになったかもしれません。しかし、今年も、担任の先生の指導が厳しくて運動会の準備が苦痛だ、学校や運動会当日に行きたくないという子の声も聞きます。
似た話は、音楽会や学習発表会などにも言えます。ピアノの伴奏をだれがやるかで保護者からクレームが入るという話はよく聞きますし、それを防ぐため、オーディションをしたり、わざわざ評価基準をつくる学校もあります。何人も上手な子がいると、演奏曲を増やして対応する学校もあるようです。
公立小学校教諭の齋藤浩さんは、近著『教師という接客業』のなかで、学校が、教師が保護者や地域の期待や声に対応しようとする傾向は強まっており、サービス業化している、と述べています。どんどんエスカレートする保護者等の言い分への対応に疲弊している先生たちの様子をレポートしています。
動画配信などは、保護者等への対応として親切ではありますが、保護者らの消費者目線、お客様感を増幅させてしまうように思います。「接客業化」する学校の最大の問題のひとつは、子どもを教育する(あるいは子どもが学ぶ)という本来の学校の機能がそっちのけで、保護者対応等のほうに、教師たちの貴重な時間やエネルギーが割かれてしまうことだと、わたしは思います。
■運動会はだれのため?なんのため?
なにもこうしたことは、最近始まったことではありません。「モンスターペアレント」という言葉が話題になったのは2000年代でしたね。
一方、保護者の意見やクレームも、理不尽なものばかりとも言えません。いじめ問題などでは、あまりにも学校や教育行政が被害者や保護者の気持ちに寄り添えていない事態が多く出ているのも事実ですし、学校の宿題や指導方法などで疑問がつくものがあるのも事実です(拙著『教師崩壊』でも、その背景を含めて書きました)。休校中のICTを活用した学びの継続が低調だったことも、保護者は意見や要望を言って、当然のことだと思います。
とはいえ、運動会の話に戻すと、学校は、主役であるはずの子どもたちへの配慮よりも、保護者等への見栄えを気にしたり、保護者らの要求を「忖度」したりすることのほうが、強くなっているのではないでしょうか?
わたしが心配しているのは、コロナ前からもそうでしたが、運動会はだれのためのものなのか、なんのためにやっているのかが、よくわからない事態になりつつあることです。
運動会はなんのため?いろいろな捉え方があっていいことですが、ひとつは、子どもたちが運動に親しむこと、体力を向上させていくこと、そうした活動の日ごろの成果を出す場、節目であると思います。もうひとつは、運動会をはじめ、学校行事の意義のひとつとして、児童生徒が他の子たちと協力して活動しながら、行事をつくっていく過程に学びがあります。ふだんの教科の授業でもそうした協働的な学びはできる部分はありますが、やはり行事を通じた成長の機会は大きなものがあるでしょう(とりわけ異年齢も交えて)。
同様に、音楽会等も、ピアノ教室に通う子たちの発表会ではないはずですし、一部の保護者の満足や感動のために実施するものでもありません。
コロナ禍のなかで、運動会など学校行事のあり方を、本来の目的やねらいに立ち返りながら、児童生徒や保護者も交えて見つめなおす好機だったにもかかわらず、そうなっていない学校も少なくないように見えます。
たしかに、保護者らの参観や応援はあったほうが喜ぶ子どもたちも多いでしょうが、上記のとおり、子どもたちのための運動会である原点をおさえるなら、保護者等の参観は必須ではない、と思います。コロナ禍のなかで、大規模校等では人数制限や入れ替え制にしたりすることもやむを得ないでしょう。
ライブ配信は、予算と人手に余裕があるなら、やってもいいかもしれませんが、毎年できるとは限らない、ということは保護者に断っておいたほうがよいと思います。学校の予算は、もっと普段の授業でICTを活用できることに使うほうが優先度は高いと、わたしは考えますが・・・。もし先生たちが映像編集してDVDに焼いたりしているなら、そんな時間は、授業準備のほうに充てたほうがよいのではないでしょうか。
今年、運動会を中止したところも、実施した(実施予定の)学校も、保護者等も、いまは改めて、運動会はだれのためのものなのかを確認した上で、どうすれば、感染防止と、そのねらいに応じた学びの充実が両立するかに、知恵を絞るときだと思います。
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○学校の働き方改革、どこ行った? コロナ禍で増える先生たちの負担、ビルド&ビルドをやめよ
○【学校再開後の重要課題(1)】子どもたちの意欲を高める授業ができているか?
(参考文献)
齋藤浩(2020)『教師という接客業』草思社
妹尾昌俊(2019)『こうすれば、学校は変わる! 「忙しいのは当たり前」への挑戦』教育開発研究所
妹尾昌俊(2020)『教師崩壊』PHP新書