1泊2日の弾丸帰国、タイリーグ所属の元Jリーガーが故郷で継続する復興支援「子供たちの笑顔が見たい」
「僕のこと知ってる人?意外と少ないね(笑)。僕は今、タイでサッカー選手をやっています。もともとサッカーを始めたのは地元の、ここの岩沼西小学校で、今日はみんなと楽しくサッカーをしたいと思います」
年の瀬も迫る12月20日、「2015大久保剛志被災地支援プロジェクト〜”大久保剛志withソニー仙台FC選手会サッカースクール”」が、大久保剛志が「僕の聖地」と呼ぶ、宮城県岩沼市陸上競技で開催された。大久保の出身チームである岩沼西サッカースポーツ少年団をはじめ、玉浦サッカースポーツ少年団、閖上サッカースポーツ少年団、めでしまFC、レッツいわぬまスポーツネットキッツサッカースクール、バンビーナから約150名の子供たちが参加。12月下旬とは思えない、暖かな日差しの中、子供たち、そして大久保は笑顔でボールを追いかけた。
この日のために1泊2日の強行日程で日本に帰国した大久保に、仙台からの帰りの新幹線で話を聞いた。
――イベントを終えてみて、待ち望んでいた部分もあると思いますが、子供たちと過ごしてみて、あらためていかがでしたか?
想定していた人数よりずっと多くの子供たちが参加してくれたので、来てもらえて本当にうれしかったというのと、元気よく一緒にサッカーができて、最後はみんなが『楽しい』って言ってくれたのが一番でした。その言葉が聞けて、楽しんでもらえて、本当によかったと思いました。
――大久保選手もかつて岩沼西スポーツ少年団に所属していたんですね。ご自身がいたころと違うなというところはありましたか?
基礎的なレベルが上がっているなと感じました。ボールをしっかりパスできるし、DFの選手はDFのポジション、FWの選手はFWのポジションにちゃんといて、普通にサッカーができているというか、僕の頃はもっとボールのところにみんなが集まっていくような感じだったので。
――いわゆる“金魚のフン”状態ですね(笑)。
そうです(笑)。特に高学年の子はしっかりサッカーができていて、進化しているなと感じました。
――昨年(2014年)寄付したボールが、今回のサッカースクールでも使われていましたね。
小学校の体育の授業や少年団で使ってもらえたらと思い、昨年、岩沼市内の小学校と児童館、各サッカー少年団にオリジナルボールを寄付させてもらいました。今年はそのボールを使って子供たちと触れ合いたいなという想いがあり、サッカースクールを開くことにしました。個人としての本格的な復興支援活動は昨年から始めたのですが、継続的に、自分のできることをやらせてもらえればと考えています。
――継続が大切ですね。
2011年から継続的に自分のできることをやらせてもらっていて、チームと協力しながらサッカー教室を開いたり、夢先生という形で学校を回らせてもらったりしていましたが、今は日本にいない状況なので、オフの期間には必ず何かをしたいなと考えています。それは今後も続けていきたいですね。
――東日本大震災のとき、今回サッカースクールの会場になった岩沼市陸上競技のあたりの被害状況はどんなものだったのですか?
あの場所に直接の大きな被害はなかったのですが、あの数キロ近くまでは津波が来ていて、(岩沼市陸上競技のあたりから)少し行けば何もない地域もあります。引越を重ねていたりする人もいて、まだ……いつになったら完全に元通りになるかというのはわからないですし、まだまだ時間はかかるのかなと思います。
――大久保選手自身は震災当時、ベガルタ仙台に所属していましたね。
仙台市泉区にいるときに震災に遭いました。もろ、ですね。まさか津波が来るとは思わなかったですし、僕自身、ただ事じゃないなと感じました。
――震災から間もなく5年、復興はまだまだこれからですが、イベントでの子供たちもそうですし、人々が笑顔で過ごせるようになってきているという印象も受けます。
そうなんです。子供が笑顔でいてくれたら、親も喜ぶし、みんながハッピーになれるんじゃないかなと思います。僕ができることは少ないかもしれませんが、サッカーを通して、笑顔になってもらえる機会を少しでも作れればと思います。
――イベントのスタートで「大久保剛志を知ってる人!」と子供たちに問いかけたとき、手を上げてくれた人数は少なめでしたね。その後の「ソニー仙台を知っている人」に手を上げた子供のほうが多かったと思います(笑)。
ソニー仙台に負けたのは悔しいですけど(笑)。今、ソニー仙台は宮城ではヒーローですからね。JFLで初優勝ですし、仕方ないです。もっとがんばろうと思います(笑)。今日来てくれたソニー仙台のメンバーは、全員、僕が在籍していた時のメンバーなんです。
――連絡は今でも取り合っているんですか?
連絡は取り合っていますけど、でも会える機会は少ないですね。日本に帰ってくることが少ないので。だから、声をかけてこうやって集まってもらえるのは本当にうれしいですね。支援活動なのでボランティアですし、それなのに、シーズンが終わったあとの貴重なオフに来てもらえるっていうのは本当にうれしかったです。ソニー仙台自体も、もろに震災の被害を受けていたんです。あのときは“廃部の危機”の状況で、でも、そのときを乗り越えての今年の優勝だったので、そのメンバーとまた一緒にやれたというのも、今回、僕の中ではすごく良かったなと感じています。
――来年以降のプランについては?
来年以降も、方法はいまから1年かけて考えますが、必ず継続したいです。できれば岩沼以外の場所でもやっていきたいという思いがあります。ただ、そうなると日数が必要ですし、タイリーグでのオフのタイミングがなかなか読めないというのもあって「ほかのところにも行きたいけどなかなか……」というのが現状ですね。どうしても日本での日程が限られていて、今回も1泊2日の弾丸ですし、日数は厳しいところもあります。でも、子供たちの笑顔が見たいですし、地元に何か貢献したいという考えは変わらないですし、形は変わるかもしれないですけど、来年も、再来年も、自分ができることをずっと続けていきたいと思います」
東京駅での別れ際、「来年も子供たちの笑顔が見たい」という彼に「来年は『大久保剛志を知っている人』という投げかけに全員が手を上げるといいですね(笑)」と言葉をかけてみた。
「はい、がんばります(笑)。それが子供たちがもっと喜ぶことでもありますし、期待していてください」
2016年、タイでの3年目を迎える元Jリーガー、大久保剛志の活躍に期待したい。