ハンドボールへの恩返しを。宮﨑大輔41歳、アースフレンズBM監督兼選手での新たな挑戦
フィールドゴールの歴代最多得点(JHL)、日本人プレーヤーとして初のスペイン1部リーグ移籍、さらにはメディア活動を通じたハンドボールの認知度アップへの貢献など、ハンドボールプレーヤーとして輝かしい功績を誇る宮崎大輔さん。
しかし一方で、ここ1、2年は新型コロナウイルス感染の後遺症や右肩の手術など、苦しい時期を過ごしてきた。
そんな彼が今、アースフレンズBM監督兼選手として、新たな挑戦の時を迎える。アースフレンズBMの初戦は7月9日。宮崎大輔さんに話を聞いた。
――4シーズンぶりのリーグ復帰となりますが、率直な今のお気持ちを教えてください。
【宮﨑大輔】監督兼選手という立場で、選手としてはまだ通算得点ランキング(歴代)一位なので、試合に出場すれば記録更新の可能性もあったのですが、肩の状態もよくないので当面は監督として臨みます。こうして4シーズンぶりに日本リーグに帰ってこられたことは、本当にうれしく思っています。今は、ただただ開幕が待ち遠しいですね。待ち遠しさが上回っていて、緊張はありません。
――選手の皆さんはいかがですか?
【宮﨑大輔】うちのチームメートは、19人中7人しかJHL(日本ハンドボールリーグ)で戦った経験がありません。トライアウトで獲得しているので、半分以上はクラブチームなどから来た選手です。そういう意味で、もしかしたら緊張する選手もいるかもしれませんが、それ以上に選手も楽しみにしていると思うし、僕自身はその中で、どういう戦い方をするか、もちろん勝ち負けにはこだわらなければいけませんが、これまでのプロセスを大切にして、ここからどう戦っていくかという姿勢を示す、その意味ではすごく楽しみですね。
――2018-2019シーズン後、日本体育大に再入学されました。当時の決断の際の心境は?
【宮﨑大輔】あのときはまだ全日本にも入っていて、2019年1月の世界選手権に参加して、そこで感じたことがありました。土井(レミイ)杏利選手と同じポジションで、前後半30分、計60分のゲームの中で、お互いに15分程度、だいたい半分ずつ出場する形だったのですが、僕自身、得点という記録は出せたものの、彼と比べると体力面での課題を感じました。分析してみると、速攻で走るときも彼のほうが倍以上走っていたんです。僕は本来のポジションであるセンタープレーヤーとしての出場ではなく、監督から「君はサイドだ」という指示を受け、30年間ハンドボールをやっていて初めてサイドでのプレーを求められたということもあり、いろいろ学ぶ意味でも、体力面の改善・向上という観点からも、もう一度、日体大(日本体育大学)に行こうと考えました。(当時所属していた)大崎電気では、サイドのポジションではなかったので、練習の環境という点でも日体大行きを決断しました。
――練習する環境として日体大を選んだということですね。
【宮﨑大輔】はい、新しい環境でやろうと考えました。韓国に行く選択や、もう一度ヨーロッパでプレーすることも考えましたが、体力面で見ると日体大って、すごくきついんですよ。今となってはもうやりたくないくらいに、とにかくめちゃくちゃきつかった(苦笑)。我ながら、あの年齢で、よくできたと思います。子供と同い年くらいの選手と練習をしていました。最初はコミュニケーションなども大変でしたが、僕がかっちりした性格じゃないことも幸いして、逆に大学生から「子供見たいですね」と言われていたくらいなので、ちょうどよかったのかもしれません(笑)。
――世代の違うプレーヤーと取り組むことで、リフレッシュした点もありましたか?
【宮﨑大輔】それはありますね。今と昔では考え方がかなり変わっているので、上下関係の厳しさなどもほぼなく、先輩後輩関係なく選手同士でフラットに言い合えたり、それから、練習中に水も飲めるし、体育館にクーラーもついている。あと感じたこととしては、今の学生って、みんな、すごく素直。僕のように40年くらい生きると、裏の裏の、そのまた裏くらいまで読んでしまうというか(苦笑)。そんな僕でも徐々に素直さが戻りました(笑)。
――いわゆる“昔の部活”とは環境が違いますよね。
【宮﨑大輔】まったく違いますね。僕らの頃は、練習中に水が飲めなかったり、体育館にクーラーなんてついていなかったし、1年生はとにかく先輩の言うことを何でも聞く存在だったし。でも、いまはジャニーズさんと一緒で「○〇くん」って呼ぶんです。「あっ、○〇くん」でいいんだ、と(笑)。僕らの頃は街中で先輩に出会ったら必ず手を上げて挨拶をするというルールまであったので、変わったなと感じました。あと驚いたのが、選手たちの技術の高さです。プレースタイルや、テクニックであったりスキルであったり、昔と違ってSNSで海外のプレー集などを見られるので、技術がすごく上がっていて驚きました。「えっ、そんなプレーできるの!」って、これは本当に驚きでしたね。僕らの頃はまだVHS、ビデオの世界。先生に借りて、すり減るまで見る。そんな感じでしたからね(苦笑)。
――今はYouTubeで見られますしね。
【宮﨑大輔】投げ方も、昔と違って、こう、“しなって投げる”んです。今の選手はヨーロッパの選手と同じ投げ方になっているんです。
――スポーツの進化としていい点ですね。
【宮﨑大輔】そうですね。今、ヨーロッパに行っている選手などは、僕が行っていた2009年のころよりも、正直、うまいと思います。ボールスピードもパスもレベルが高い。安平光佑という選手がいて、彼は世界学生選手権でアシスト世界一位。今、ヨーロッパでプレーしていますが、彼に「どうしてそんなプレーできるの?」って聞いたことがあって、彼も「YouTubeを見ています。まねているだけです」と言っていました。
――逆にそういった環境ではない時代、宮﨑さんらパイオニア時代の人もまたすごいということでもありますね。
【宮﨑大輔】いえいえ、僕らの頃は、気合いと根性、そして空回りの“3K”です(笑)。
――2021年3月大学卒業後、アースフレンズBMの立ち上げに合わせて監督兼選手
での契約へ。どういう経緯で声がけがあったのですか?また、そのオファーを受けた際のお気持ちを教えてください。
【宮﨑大輔】昨年(2021)の1月にアースフレンズの山野(勝行)代表と知人の紹介でお会いすることができて、食事会の場で話をさせていただいたのがきっかけです。山野代表はバスケットボールのチーム、Bリーグのアースフレンズ東京Zを運営されている方なのですが、もともとハンドボールをやっていた方で、「いずれはハンドボールチームを作りたい」ということをそのときにおっしゃっていました。そのとき僕はまだ日体大の学生で、就職をどうしようかと悩んでいて、肩の手術もしていたのでトライアウトを受けられなかったんですよ。そんな中、いろいろな問題もありまして…。どこにもいけない状態が続いていて、そんなときに、山野代表から「もう一度ハンドボールでがんばってみないか」という言葉をいただいて、「よろしくお願いします!」と。本当は選手だけでという話だったのですが、立ち上がりでもあるので、監督兼選手という立場でトライアウトを受けたりして、6月から始動しました。するとその年にJHA参入が決まったので、正直、かなり驚きの展開でした。チームが出来上がって半年なので…そこから、もう来月(7月)が開幕なので、本当に急ピッチです。ポスターやユニフォームもギリギリで(苦笑)。
――監督兼選手、難しさや気をつけていることがあれば教えてください。
【宮﨑大輔】中途半端、どっちつかずになるのがよくないので、選手として出るときは、昔、大崎電気で一緒にやっていた猪妻正活にコーチに入ってもらっていて、僕が選手として出ているときは、彼が指示を出す、お互いコミュニケーションを取りながら、昨年のチャレンジディビジョンは出ていました。今回もそうしようと考えていたのですが、肩の調子が良くなくて、まだ投げられないので、しばらくは監督に専念しようと考えています。手術は毎回うまくいっているのですが、肩のバランスってかなり難しいんですよ。肩甲骨の動かし方とか、それでまたバランスが崩れてしまって…また手術をすべきかリハビリを通して治していくのか、でも「また選手を」と思って手術をしたので、もう一度コートに立ちたいという思いでやっています。自分が納得するまで、これでダメだなと思うまで、選手という立場は最後までやり通したいというのが今の本音ですね。
――監督専念とはいえ、プレーしたいという気持ちが強くなることは?
【宮﨑大輔】「こうやってやるんだよ」という指導が実際にプレーで示せないので、エアで見せてアドバイスをしています。175センチの身長の僕が世界で戦うとき、相手は2メートル級の選手もいるので、普通にいくと簡単にブロックされてしまう。それを交わすために当時やっていた練習の仕方から教えたりしています。ただ、指導力というか、僕自身が学ぶことのほうが多いですね。どう伝えれば相手に伝わるか、自分の具体的な経験談を話しながら取り組んでいます。監督をやってみると、選手のほうが楽だと感じますね(苦笑)。自分で足りないところを鍛えて、フィジカルを鍛えて、あとはゴールをどう取るか、味方にいいパスをどう出すか、それだけを考えればいいので。
――そこはシンプルですよね。
【宮﨑大輔】監督となると、全体的に見て、バランスを取って、相手の分析を行って、戦術、戦略をどう立てて、相手がやっていないことをどうやるか、それから、毎回の練習の意味を選手たちにしっかり伝えないといけない。練習をただやっているだけではうまくならないですから。「たかがパス、されどパス」だと僕は思っていて、日頃から一つひとつのプレーに対する意識、意図を持つことが大切で、普段の練習から「絶対にいいパスを投げる」という意識でやっていないと、試合で相手がいるときになんて絶対にできない。試合のときって“無意識”なんですよ。つまり、一番、自分が出る。普段の自分が出る、ということです。パスひとつにしても、シュートひとつにしても、みんなに注意しているのは「なにか具体的な考えを持ってやっているか」ということ。我々の方針としては、当たり前のことを当たり前にただ漠然とやるのではなく、なんでもないような当たり前のことを徹底して意識して行うこと、これを方針として選手に伝えています。練習で、意識して、考えて、判断する。この3つができないと、ただ単にやっていたら1日たった2時間しかない練習では何も覚えないし、何も身につかない。気持ちの部分かもしれませんが、それを伝えています。もちろんテクニックの部分でいえばたくさんありますが、まずはこの心掛けが大切だと考えています。
――試合では練習でやっているものが出る、それはそういうことですよね。
【宮﨑大輔】試合って漢字で書くと「試し合い」なので、練習のときこそ頼むからミスしてほしいと考えています。ミスをしてようやく意識するからです。「もっとこうしたほうがよかった」と。ネガティブなミスはしかりますけど、ポジティブなミスはウェルカムです。たとえば、きっかけの声出しがないままスカイプレーを跳ばれて、ボールを出せなかったとします。でも、2回目、3回目と繰り返して跳ぶと、ボールを出す側が必然的に気づくので、そこに出せるようになる。そうすると、そのミスは、自然とできるようなプレーになってきます。この積み重ねが重要で、投げる人は跳ぶ人がいなければ投げられないし、跳ぶ人は投げる人がいなければ次のプレーにつなげられない。互いにWin-Winになるためには、いつもチャレンジすることが大切で、他のチームがやっていないことをやるしかないと思います。そのヒントをみんなに出して、「僕はこういうハンドボールがやりたい」ということをみんなに伝えて、あとはそこに対して必要なテクニックを教える。試合は相手がいることなので、その繰り返しがスキルに変わってきます。
――ご自身が選手専念だったころ、当時、監督と向き合っていたときは?
【宮﨑大輔】向き合っていなかったんですよ(苦笑)。今、自分が選手に対して言っていることが「あっ、これ言われていたことだ」とようやく気づいています。日頃から言っていることも、すべて言われていたことだなと。当時はつんけんしていたので、素直さがなかったんでしょうね。「面倒くさい」から始まっているから言われても覚えない。ただやらされている。そのときに「あっ、これやってみよう」とか「チームの方針だし」と積極的にチャレンジして、「もっとこうしたら自分らしくなるな」とか「もっとこうしておけば良かった」というのは監督の立場になってはじめて思いますね。テクニックの面でも、センターのポジションでパッと見るときに、当時の監督から「向こうサイドのユニフォームの色は何色だ」とか「練習着の色は何色だ」とか聞かれて、僕は「わかりません」と。「おまえは真ん中でどう把握するか、ここを動かさないといけないのはおまえで、おまえがまず指示を出すんだ」とか、「どこが弱いか、左右差はどうか、誰が味方で入って誰がどんなシュートが得意なのかを把握するように」といったことを言われていて、指導者として僕もそこから始めました。
――立場が変わって初めてわかる“ありがたさ”ですね。
【宮﨑大輔】山野さんに呼んでいただいた今もそうですけど、周りの人たちに支えされているということを実感しています。今まで一人でもかけていたら途中でやめていましたね。中学のときも一度やめているので。
――そうなんですね?
【宮﨑大輔】『スラムダンク』が流行ったじゃないですか。宮城(リョータ)になりたくて(笑)。かっこいいし、やっぱり、バスケットボール部がモテるんですよ。当時、バスケ部は体育館、ハンド部は運動場のホントにすみっこで、『北斗の拳』でいうと荒野みたいなところに追いやられていました(苦笑)。そのとき一度、ハンドボールをやめたんですけど、他の部活に入ろうとしてもなぜか先生たちが入部届を受け取ってくれなかったんです。後に知ったのですが、それは当時のハンドボール部の顧問の先生の行動によるものだったんです。その先生が職員会議で他の先生たちに「宮崎大輔というハンドボールが絶対的にうまい選手がいます。彼を他の部活に入らせないでください」と話していたそうで、僕、他の部活に入れなかったんですよ。しばらくは外に出て、ストリートバスケ、3on3をやっていたんですけど、やはり物足りなさがあって、ハンド部の友達も家まで「戻ってこいよ。ハンドボールしようよ」と言いに来てくれていて…少ししてバスケをやめて、もう一度ハンドボールに戻ることができたんです。
――すごい話ですね。
【宮﨑大輔】学生時代、先生に恵まれていました。高校のときもハンドボールをやめる予定だったんですよ。うちは片親ですごく貧乏で、妹も15歳離れていたので、就職しなければということで左官工事の職場も受けて、仕事ができる準備をしていた状態だったのですが、日本体育大学の監督が大分の田舎までわざわざ来てくれて「私が(学費を)全部出します」と言ってくれて、親も最初は反対したものの、最終的に承諾してくれました。監督が来てくれていなかったら、今ごろはハンドボールのプロではなく、左官工事のプロになっていたと思います。
――恩師ふたりとの出会いは大きいですね。
【宮﨑大輔】かなり大きいです。海外に挑戦した際に出会った監督もプロとしての考え方の違いを教えてくれて、その教えがあって僕はプロになりました。
――出会いを引き寄せていますね。
【宮﨑大輔】そういう人たちが助けてくれているので、本当に感謝しています。今回の山野さんもそうで、たまたま出会って、「大輔、もう一回ハンドボールでやってみせようぜ」と言ってくれて。でなければ、僕はチームが決まっていなかったので。
――出会いと縁、大きいですね。
【宮﨑大輔】芸能面というかメディア活動もそうなんです。僕が所属している事務所も、いまではサッカー選手や野球選手をはじめアスリートがたくさん所属していますが、最初は僕ひとりからのスタートでした。(2010年に)スペインから帰ってきて、大崎電気でプレーさせていただいていたのですが、かなり調子に乗っていて…プロとして海外から帰ってきたことで天狗になっていたんですね。「子供たちの講習会に来てほしい」と言われても、最初のころは「なぜ休日に講習会へ?休めるときは休みたい」くらいの態度で行かなかったんです。最低ですよね(苦笑)。でも、あるとき半ば強引に連れていかれたことがあって、そこで、子供たちがとても環境の悪い中でプレーしている姿を見ました。ボールの皮が剥がれてしまい、中の黒いゴムが出ているような状態のボールを使っていて、「こんな環境でやっているんだ」と衝撃を受けました。そんな子供たちから手紙をもらったり、「ハンドボールを教えてください」と声をかけてもらったりしたときに、「この環境を絶対に変えてやろう」と考え、「ハンドボールメジャー化宣言」というブログを立ち上げて、そこからハンドボールを広める活動をスタートさせました。
――そういった動機があったんですね。
【宮﨑大輔】でも、ハンドボールがメジャーじゃなさすぎて、どこも取り上げてくれませんでした。メディア活動に必要だと考えて、事務所もたくさん回ったのですが、まったく相手にされなくて、すべて断られました。そんなとき、あるエイベックスの方との食事会の席で、ハンドボールの話ばかりをしていた僕に、その方が「それ本気で考えているの?」と言ってきて、その後、その方はエイベックスをやめて、新しく事務所をつくり、僕と一対一からのスタートを切ったんです。「目標はどこだ?」と聞かれて「ジャンクスポーツです」と答えた僕に、「何年後のジャンクスポーツ?」と。僕が「2年後です」と答えると、「では逆算して、やれることをやっていこう」と。それからふたりで一緒に営業に回り、僕はそれまでにもらったことのある名刺の宛先にすべて連絡して、そうしたら2通だけ返事があり、そのうちのひとつが富山のラジオ番組だったので、社長とふたりで会いに行きました。するとその方がまた次の人を紹介してくれて…そういう繰り返しで、運良く1年くらいでジャンクスポーツにたどり着いたんです。それから『スポーツマンNO・1決定戦』にも出演させていただくことができて、3回優勝することができました。
――ここからはアースフレンズBMについて、どんなチームか教えてください。
【宮﨑大輔】19名中7人がJHL経験者で、それ以外の選手はJHLを経験していないチームになります。初年度ということで、選手たちには「“戦いざま”を見せよう」と言っています。もちろん最初は緊張すると思いますし、ましてや初戦の相手は昨年の優勝チームである豊田合成。選手の緊張はより高まるでしょうし、こわいだろうし、でも、試合を見に来てくれた人が一つひとつのプレーをどう感じるか、それを考えようと伝えています。たとえばシュートを外して落ち込んでゆっくり戻る、そんな姿を見たら楽しい気分にはならないじゃないですか。チームの本拠地である大田区にはハンドボールを知らない人がたくさんいると思います。でも、それはある意味、チャンスでもあると考えていて、勝つことももちろん大事ですが、仮にどれだけ大差で負けようが、最後まであきらめずに戦い抜く。点差が離れていても点が決まったらガッツポーズで盛り上げるとか、普段練習でやっていることをしっかり出して、見に来てくれた方が「がんばってるな、応援しよう」と思ってくれるような“戦いざま”を示したいですね。我々の方針は、あたりまえのことを徹底してやること。そうすれば、自然と“戦うさま”が出てくるのではないかと思っています。
――選手たちの準備はいかがですか?
【宮﨑大輔】すごくがんばってくれています。環境面でいえば、昼間は仕事をしているので練習時間は限られますし、体育館がなくて練習自体ができない時期もありました。それこそ、体育館を転々としたりしました。実は僕自身、ハンドボールコートのラインを初めて引けるようになったんです。体育館にハンドのコートがないので、自分たちで引く必要があり…。恥ずかしい話ですよね、ハンドボールのプロがハンドボールのコートを引けなかったんです。コートの引き方を知っている選手に教えてもらい、自分で引けるようになりました。恥ずかしい話ですが、こういうことがなければ知ることもできなかったので、ハンドボールをより深く知るという意味で、僕にとってもいいチャンスだと思っています。この挑戦は、我々にとっていいチャンスです。初参戦でチャンスを勝ち取るのか、それともチャンスを逃すのか、我々の戦いざまに注目してほしいと思います。
――地域密着もテーマになりそうですね。
【宮﨑大輔】街のゴミ拾いであったり、ハンドボール教室であったり、ハンドボール体験会であったり、地域密着の活動についても、今後何ができるか、選手たちと一緒に考えていきたいと思います。選手たちには、意識の改革、ハンドボールができることの尊さを伝えていきたいですし、チームづくりとしては、ハンドボールを初めて見に来た人にもハンドボールの魅力を伝えられるような戦いをしていきたいと思います。
――新規参入する今シーズン、チームとしての目標を教えてください。
【宮﨑大輔】繰り返しになりますが、“戦いざま”を伝えていく。そして、まずは一勝です。正直、勝つことはすごく難しいと思っています。選手たちはまだ勝ち方を知らないし、緊張もあるでしょうし。そのなかで、まずは1勝を目標にして、そこから最終的に「いい結果だった」と振り返れるシーズンにしたいです。我々のようなチームは、まず近い目標を立てたほうがいいと考えているので、5年後に優勝というよりは、まず1勝をどう手にするか、長いチャレンジになるかもしれませんが、そこへのプロセス、選手一人ひとりのプロセスを大切にしたいと思います。
――次に、ハンドボール全体についての質問です。日本ではまだメジャースポーツとは言えない状況でもあるかと思いますが、ほかのスポーツに比べて違いとして感じていること、また、今後のハンドボール業界全体の更なる成長に向けて期待していることを教えてください。
【宮﨑大輔】まずは、やっぱり選手一人ひとりがハンドボールに対してどれくらいしっかり向き合えているのかが大事だと思います。ただプレーするだけなら誰でもできる。誰でもできることって、それまでのことでしかない。自分で限界を決めてしまうことがあると思うので、ハンドボールに対してやれることを一人ひとりが探さなければいけないし、広めるための活動も必要になる。もちろん、僕自身も行っていきたいと考えています。それから、2024年に新リーグが始まるので、ここが大きな分岐点になると思います。ハンドボール業界が全体としてまとまれるか、まとまれないか。おそらく、いろいろな意見や主張が出てくると思います。ひょっとしたら、バラバラになる可能性もあるかと思いますが、その修正をいかに早くやるか、どううまく一つの軸にみんながなれるか、ここがカギだと思います。バスケットボールもBリーグ開幕に向けてはいろいろありましたけど、今では会場にあれだけたくさんの人を集めています。チームや選手個々の地域密着の動きであったり、メディア活動であったり、選手やフロントの動き方もどんどん変わってくると思います。ひとりでできることは限られるので、ハンドボール業界全体で一丸になれれば大きなチャンスが開けると思いますし、2024年を見据えると、我々にとっても、今年の参入以上に、来期、2023年シーズンが大切になってくると思います。
――宮﨑さんのシゴト観、ハンドボールに向き合ううえで大切にしていることを教えてください。
【宮﨑大輔】僕はプロとしてハンドボールをやらせていただいています。ただ、ひとりのプロというより、「宮崎大輔=ハンドボール」でもあると僕自身、考えています。ハンドボールにどれだけ恩返しできるか、それが僕の仕事でもあり、今後も携わっていきたいモチベーションでもあります。これまでずっとその思いでやってきましたが、やっぱりひとりではできないので、みんなと一緒に取り組んでいきたい。いまはひとつのチームの監督として、このアースフレンズから、名前のとおり“地球”なので、小さく言うと、うちのチームから世界へ、大きく言うと、日本ハンドボールから世界へ、チャンピオンズリーグの舞台に立てる選手が出てきてほしいです。日本のハンドボールをよりメジャーな存在に高めていきたい、ハンドボールへの恩返しとして、その思いは強くあります。
――最後に選手として、監督として、宮﨑大輔さん個人の今後の野望を教えてください。
【宮﨑大輔】ハンドボールというと、やはりマイナーなイメージが強いと思います。あまり「マイナー」という言葉を使いたくないので、いつも「メジャーじゃない競技」という言い方をするのですが、そこを払拭するために、なにをしなければいけないのかというと、先ほどの練習の話にも通じるテーマで、あたりまえの、誰もがやっていることを無自覚にやるのではなく、しっかり考えること。「ハンドボールってこんなこともやっているのか」と思ってもらえるような競技づくりであったり、もちろんそれはひとりではできないし、だとすると僕はいまここ、アースフレンズにいるので、この場所から活動、発信を続けて、「アースフレンズを見に行きたい」と思ってもらえるような、少しでも興味を持ってもらえるような存在になりたいと思っています。アースフレンズから世界へ、全日本の選手を出したい、そう考えています。チームとしての経験は浅いかもしれませんが、僕はハンドボールだけは自信があるので、期待していてください。アースフレンズ全体として世界にいけるようなチームに、そして世界を巻き込んでハンドボールをもっともっと大きな存在にしたい、それが僕の野望です。
――アースフレンズの“戦いざま”、注目させていただきます。
【宮﨑大輔】日本ハンドボールリーグは7月2日に開幕。アースフレンズBMは、7月9日(土)に立川立飛アリーナで豊田合成と対戦予定です。