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やはり? 予想以上に? 「飛ばないバット」に振り回されたセンバツだった! 夏もこの傾向は続くのか?

森本栄浩毎日放送アナウンサー
新基準バットで高校野球が変わったと言われる。夏もこの傾向は続くのか(筆者撮影)

 センバツ終了から10日余り。大会前から話題の中心だった「低反発新基準バット」に、文字通り振り回された大会でもあった。そしてこの新バットで初めてとなる各都道府県の春の公式戦も行われている。ファンの皆さんは、今年のセンバツでどう感じられただろうか。「やはり?」「予想以上に?」。夏も華やかな本塁打は期待薄なのだろうか。

予想通り「飛ばなかった」新バット

 大会前から新バットについては取材を重ねていたので、感想としては概ね予想通りだった。芯を外れると飛ばないのはもちろん、しっかりミートしても高い飛球は大きく失速する。風が強かった日でも、外野手が後方の打球に追いつく場面があったし、大阪桐蔭の境亮陽(3年)のランニング本塁打は、外野手が諦めて見送っていた打球がフェンス直撃となり、処理にもたついてのものだった。柵越え間違いなしと確信して走り出し、フェンス手前で捕られた瞬間、「マジかよ」と口が動いた中軸打者のリアクションも印象的だった。それだけ選手にとっては、厄介なバットだったとも言える。

中継でも守備位置を見せる場面が増加

 現場の選手、監督は同じ条件なのでチームとしての有利不利はあったかもしれないが、ファンや伝える側の我々が戸惑ったのも事実である。とにかく「点が入らない」が、率直な感想である。テレビでは、いつも以上に内外野の守備位置を見せた。銀傘に取り付けたカメラで、球場全体を俯瞰で見せると、飛ばない前提で守っていることがよくわかる。極端な守備位置だと「左中間が広く空いています」「セカンドとショートはマウンドの近くまできています」などとコメントするが、守備位置が当たることもあれば裏目に出ることもある。一つだけ共通していたのは、外野手の頭を越す打球が極めて少なかったことだけだ。

青森山田は主力選手が木のバットを使用

 大会前の取材では、「木のバットを使うかも」と話す指導者もいた。実際に、センバツ前は冬場ということもあり、木や竹のバットで練習しているチームも少なくない。これまでの金属バットは、飛距離や打球速度が木製バットとは比較にならず、試合で木を選択することはなかった。しかし今大会、青森山田の主力2選手が、木のバットで一定の結果を残した。同校は冬場に竹バットで練習していて、実戦でも違和感なく使えたようだ。兜森崇朗監督(44)は「二人とも木の方が合っていると思った。木と金属の違いは折れるかどうか。彼らには(折れないような)丁寧なスイングを心がけるよう、指導している」と話した。

新バットは耐久性に優れる

 京都国際との初戦では、木のバットから生まれた三塁打を足掛かりにサヨナラ勝ちし、敵将の小牧憲継監督(40)をして、「ウチの(金属バットの)打球よりも飛んでいた」と唸らせた。1回戦終了時まで、持ち込んだ木のバットは1本も折っていなかったようだが、2回戦では広陵(広島)の高尾響(3年)の球威に押され、両者ともバットを折られた。新バットは1本が3万5千円以上すると言われ、木や以前の金属バットよりかなり割高になるが、金属面の厚みは増していて、耐久性は優れている。長い目で見れば、決して過度な出費にはならないはずで、選手たちが慣れるまでの先行投資と考えるべきだろう。

本塁打減少の傾向はしばらく続くか

 「慣れる」という言葉を使ったのには訳がある。今大会、1回戦こそ打撃低調な試合が多かったが、2回戦以降は活発に打ち合った試合もあった。大会終盤には明らかに打線が上向いたチームもあったし、短期間で対応する高校生たちの成長力には驚かされた。ということは、夏までの4か月ほどで、見違えるほど新バットを使いこなす選手も増えていることだろう。ただ、本塁打減少の傾向はしばらく続くと思われる。4月入学の1年生は新バットしか知らない世代になるので得手不得手を云々する以前の問題だが、新バット導入以降、持ち前の長打が出ず、打撃を崩した選手は相当数、いると想像できるからだ。

将来、木のバットを使いこなせない選手は高校で淘汰される?

 今後、長く野球を続けようと思えば、限りなく木のバットに近いこの新バットを使いこなせないことには、話にならない。逆に、高校を出て、プロなど、より高いステージで木のバットに対応できない選手は、高校段階で淘汰されるような気がする。3年生世代はこの変革に苦しむ選手も多いだろうが、自身の将来と重ね合わせれば、黄金のバットを手にしたとも言える。すでに夏に向けた春の大会も始まっている。革命的とも言える新バット導入に、試行錯誤の日々は続く。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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