欧州版スペースシャトル「エルメス」チャレンジャー号の失敗により大幅な設計変更、ソ連崩壊により計画凍結
1970年代、アメリカのエンジニアらは、アポロのような使い捨て宇宙船の時代が終わったと判断し、再利用可能な新しいタイプの宇宙船、すなわち「スペースシャトル」を開発しました。その一方で、フランスを始めとしたヨーロッパ宇宙機関 (ESA) でも、1980年代より「エルメス」という宇宙船の開発が進められていました。本記事では、欧州版スペースシャトルをご紹介します。
■スペースシャトルを模倣した「エルメス」
エルメスは当初、4~6名の人間と、約4.5トンを搭載可能な宇宙船を構想していました。このような宇宙船の開発は多額なコストがかかりますが、自国で宇宙飛行士を宇宙へ打ち上げられることは大きな利点となります。
1987年には「エルメス計画」と名付けられ、アメリカのスペースシャトルを模倣した欧州版宇宙船の計画が始まります。この頃には全長は15メートルほどで、打ち上げ用に新たに開発された「アリアン5ロケット」のペイロードに連結して発射するものとなっていました。国際宇宙ステーションにもこれで参加することが視野に入っていたそうです。
エルメスはアリアン5の上部に搭載して2人乗りで円錐状のリソースモジュールを機体の後部に備え、再突入前に切り離す構造でした。スペースプレーンのみが地球大気に再突入して着陸します。
■チャレンジャー号の事故を経て設計が大幅に変更
しかし、ここで事件が起こります。1986年1月28日、スペースシャトル チャレンジャー号は打ち上げ73秒後、 固体ロケットブースターのオーリングの不調のため空中爆発し、7名の飛行士の命が失われてしまったのです。
チャレンジャー号の事故の影響を受け、エルメスの仕様も大幅に変更されていくこととなります。事故の際の脱出システムを備えるために、乗員は最大でも3名に減少となりました。
また、搭載可能なペイロードの重量も約3トンにヘリ、貨物室の配置などを含む船体のデザインも繰り返し変更されることとなります。最終的には、エルメスは全長19メートルになる予定となり、打ち上げ重量はアリアン5が離陸可能な上限である、21トンまで肥大化していきました。その頃の設計では、最高で約800kmの地球周回軌道で宇宙飛行士が、最大3か月間までに及ぶ任務をこなせる宇宙船になる予定でした。
■惜しまれながらも凍結となったエルメス計画
しかし、ここでエルメス計画に更なる追い打ちが加わることとなります。1991年、ソ連が崩壊して東西の対立構造は大きく変化してしまいます。これにより、欧州全体に吹き荒れた不景気によってESAは資金難に陥ります。これを受けて、ヨーロッパ独自の再利用型宇宙船を開発するために多大な予算を費やし続ける必要があるのか、再検討を求める声が出てきたのです。
国際宇宙ステーションの建設に参加を決めたESAは、ロシアのソユーズやNASAのスペースシャトルなど、建設資材や人員の輸送手段がすでに実用化されていることから、エルメスの必要性は絶対的なものではないと判断。惜しまれながらも、1993年にエルメス計画は中止となりました。
しかし、エルメスで培われた技術は無駄になることはなく、国際宇宙ステーションの補給船として欧州が独自に開発した「ATV補給船」や、アメリカと共同で開発した「オリオン」宇宙船のサービスモジュール開発など、多くの場面で貢献することとなりました。
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