幻の日本版スペースシャトル「HOPE」完成間近で宇宙船計画が凍結となった過去
皆さんは過去に日本版スペースシャトルの研究開発が行われていたことをご存知でしょうか。本記事では、幻の有人宇宙船計画「HOPE」をご紹介します。
■HOPE計画とその実現に向けた様々な実験
まず、スペースシャトルが初めて打ち上げられたのは1981年で、それから2011年の運用終了までに合計135回の飛行ミッションを行いました。しかし、それ以降に世界ではまだ完全再使用型の有人宇宙船は開発されていません。その一方で、実は日本でも「HOPE」の開発が進められていました。日本版スペースシャトルである「HOPE」は、1990年代初めからJAXAの前身である宇宙開発事業団 (NASDA) と航空宇宙技術研究所 (NAL) が研究開発していた、再利用可能な宇宙船です。
そして、HOPEの実現に向けて様々な実験が実施されます。軌道再突入実験「りゅうせい」では日本で初めてとなる大気圏再突入、極超音速飛行実験「HYFLEX」ではロケットから分離された後の滑空飛行、小型自動着陸実験「ALFLEX」では滑空しながら自動的に滑走路へ着陸するなど、HOPEにとって必要となる多くの要素技術の開発において成功を納めました。
■遂にHOPE-Xの製作が開始
1990年代後半にはHOPEの前身となるHOPE-Xの開発が始まります。しかし、バブルが弾け不景気の真っ只中であった日本では、HOPE実用機を直接製作するのでなく、比較的開発費が低く抑えられるHOPE-Xという形で実験機を製作することとなります。HOPE-Xのサイズは全長15.2mで、打ち上げ時の重量が約14tonです。HOPEから実験機として必要のない部分を省略して軽量化をしています。実験終了後は機体を改修し必要な機材を乗せることで、HOPEとしての運用もできる設計でした。
しかしこのころ、国際宇宙ステーション建設(ISS)の現実味が帯びはじめ、日本もISSへの物資補給機である「HTV(コウノトリ)」の研究が1997年にはじまり、HOPEの必要性に疑問を投げかける声もあがり始めました。それでも2000年には、太平洋のキリバス・クリスマス島に土地を借り、帰還用滑走路と追跡施設を備えた宇宙センターを建設するプロジェクトが動き出し、ますますHOPEの実現の期待は高まることとなります。
■ロケットの連続失敗により「HOPE計画」が凍結
一見順調のように見えたHOPEの開発ですが、1998年から暗雲が立ち込めていきます。宇宙開発事業団はH-IIロケット打ち上げに連続で失敗をしてしまい、組織改革に追われ2000年8月、宇宙計画の全面的な見直しを宣言しました。H-IIロケットの打ち上げを停止して、新型のH-IIAロケット開発に全力を注ぐこと、また小型J-Iロケット計画の凍結などです。
そしてHOPE-Xの製作凍結も合わせて発表されてしまいました、本当に残念ですね。もし実物大のHOPE-Xを見てみたい方は、調布航空宇宙センターに強度試験用供試体が展示されておりますので、是非見学してみてください。
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