世界の流れに逆行する日本―なぜいま水道民営化か
- 臨時国会では水道事業に民間企業の参入を可能にする水道法改正案が成立する見込みだが、これは一旦民営化されたものが再び公営化される世界の潮流に逆行する。
- さらに、浜松市では今年度から既にフランス企業が下水道の運営を担っており、厚生労働省はこれを事実上のモデルケースと位置づけている。
- しかし、浜松市でのそれはいまだ「テストケース」であることから、これで一気に水道法改正に持っていくのは勇み足以外の何物でもない。
臨時国会は外国人労働者の受け入れや日米通商交渉など重要テーマが目白押しだが、そのなかで政府が成立を目指す水道法改正案は埋もれた感が強い。水道事業に民間企業の参入を認める政府の方針は、世界の流れに完全に逆行するだけでなく、先行事例の検討も不十分な見切り発車と言わざるを得ない。
水道の「民営化」とは
まず、政府が目指す水道法改正案の内容についてみていこう。
現状では多くの自治体で料金徴収など一部の業務に限って民間企業が参入しているが、この改正案では水道施設の更新、保守管理、災害時の応急給水などを含む、水道事業そのものの経営を民間企業に委ねることを目指している。
そこでは「水道施設などの所有権は地方自治体がもち続けるが、その経営権を民間企業に任せる」ことになる。これはコンセッション方式と呼ばれ、これまでにも空港などで用いられてきた手法だ。
JRやNTTなどの民営化は「所有権も経営権も民間企業に任せる」もので、これと異なりコンセッション方式では所有権をもつ地方自治体が民間企業への監督権をもつ。
火の車の水道事業
なぜ、政府は民間企業の参入を促そうというのか。政府の説明によると、その最大の理由は深刻な赤字を克服するためという。
少子高齢化・人口減少にともなって水道水の消費量は減少しており、厚生労働省によるとピークだった2000年の一日3900万立法メートルから、2014年には3600万立法メートルに減少しており、このペースでいけば2060年には2200万立法メートルにまで落ち込むと推計される。
これは水道料金の収益の減少を意味する。水道事業は独立採算制が原則で、基本的に水道料金で運営されているからだ。その結果、水道水の消費量が減れば減るほど水道料金が上がるという構図があり、既に筆者が暮らす横浜を含め、多くの自治体では水道料金の引き上げが実施、あるいは検討されている。
それでも、ますます老朽化する水道施設の更新や自然災害の多発などで多くの資金が必要になっているため、料金引き上げだけでは追い付かない。平成10年に1兆8000億円を超えていた水道事業への投資額は、平成25年には約1兆円にまで下落した。おまけに、団塊世代の退職で水道職員は30年前と比べて約30パーセント減少している(いずれも厚生労働省)。
こうして火の車になっている水道事業を救う一手として政府が提案しているのがコンセッション方式で、民間企業の資金、人材、ノウハウを投入することにより、効率的な経営と財政赤字の圧縮が期待されているのだ。
逆行?それとも周回遅れ?
こうしてみれば、水道の「民営化」に問題はないどころか、必要不可欠にもみえる。JRやNTTの「成功」は、これを後押しするかもしれない。
ただし、水道民営化は世界の潮流に完全に逆行するものだ。
トランスナショナル研究所と国際公務労連の調査によると、2000年から2014年までの間に、世界35ヵ国で民営化されていた水道事業が再び公営化された事例は180件にのぼり、このうち136件は高所得国でのもので、44件が中低所得国だった。
そもそも水道民営化は、世界レベルでみて新しいテーマではない。
イギリスやフランスでは財政赤字が深刻化した1980年代に水道民営化が始まり、東西冷戦終結後の1990年代にこれは各国に普及した。とりわけ、開発途上国への融資を通じて影響力をもつ世界銀行がこれに熱心で、「民間の活力を注入することで、効率的かつ持続的に水道事業を提供できる」ことを強調してきた。
そのプロジェクトの多くで、日本政府が今強調している、所有権を民間企業に譲渡しないコンセッション方式や官民パートナーシップ(PPP)なども採用されている。
つまり、この点で日本は周回遅れとさえいえるが、問題は一旦民営化されていた水道が再び公営に戻されるケースがむしろ目立つことで、そこには水道民営化が抱える問題がある。
「民間の活力を取り入れればうまくいく」か?
まず、コスト削減優先の民営化は、安全対策の手抜きを生んだ。イギリスでは1990年代に赤痢患者が増え、フランスでも未殺菌のままでは飲めない水が提供されるなどの問題が頻発した。
これに加えて、水道料金の高騰も各地で確認された。民間企業である以上、採算がとれなければ話にならないので、公営以上に水道料金の引き上げは簡単に行われるため、例えばパリでは1985年から2009年までに265パーセント上昇した【Asanga Gunawansa, Lovleen Bhullar, Water Governance, p.378】。
それだけでなく、民間企業による不正も目立ち、例えば世界に先駆けた事例の一つであるパリでは、2002年の監査で経済的に正当化される水準より25~30パーセント割高の料金に設定されていることが発覚した。
こうした問題を受け、一旦民営化されたものが、契約期間が切れるのと同時に再公営化される、あるいは契約をうちきっても再公営化されるケースが後を絶たないのだ。パリの場合、2010年に水道大手ヴェオリアとスエズの二社との契約が切れた後、再公営化された。
イギリスのシンクタンク、スモール・プラネット・インスティテュートによると、民営化された事業が行き詰って再公営化される割合は、エネルギーで6パーセント、通信で3パーセント、輸送で7パーセントだったのに対して、水道の場合は34パーセントにのぼる。
食い荒らされる開発途上国
とはいえ、先進国はまだましともいえる。
先述のように、開発途上国での水道民営化は世界銀行によって旗が振られたが、この機関は先進国の影響力が強いことで有名だ。そのため、世界銀行の勧告に従って水道事業を民営化した開発途上国に欧米の巨大企業が進出し、その国の水道事業がほぼ独占されることも稀ではなかった。
フランスのヴェオリアとスエズ、イギリスのテムズ・ウォーターの三社は「ウォーター・バロン」と呼ばれ、水道事業で大きなシェアをもつが、これ以外にもアメリカのベクテルなど、欧米には「水メジャー」とでも呼べる巨大企業が軒を連ねている。
このうち、例えばベクテルは1999年、南米ボリビアが世界銀行の勧告に沿って水道を民営化した後、コチャバンバ地方の水道事業を事実上買収した。その結果、1カ月の最低賃金が100ドルに満たない町の水道料金が1カ月20ドルになった【ヴァンダナ・シヴァ『ウォーター・ウォーズ』緑風出版】。
住民の激しい抗議デモを受け、ベクテルは撤退に追い込まれたが、その後ボリビア政府に損害賠償請求を行っている。2006年、ボリビア大統領選挙では反米左派のモラレス氏が当選したが、こうした行き過ぎたグローバル化にさらされた経緯に鑑みれば、無理のない反応といえる。
こうした事例は、後を絶たない。
フィリピンの首都マニラでコンセッション方式によって進められた水道民営化は、水道普及や下痢発生の低下などで成果がみられたため、世界銀行はこれを「成功例」と位置づけている。
しかし、マニラの水道事業はマイニラッドとマニラ・ウォーターの2社にほぼ握られ、現地の消費者団体によると、民営化以来の20年間で、両社の水道料金はそれぞれ973パーセント、583パーセント上昇した。度重なる値上げに、現地ではやはり、しばしば抗議デモが発生している。
水メジャーの日本上陸
こうした水メジャーの一部は、国会で水道法改正案が成立する前の段階で、既に日本に上陸している。
静岡県浜松市では今年4月、他の自治体に先駆けてコンセッション方式が導入され、水メジャーの一角を占めるヴェオリアが参加する企業連合による下水処理施設2カ所の運営を開始。事業期間は20年間で、浜松市はこれによって86億5600万円のコスト削減を見込んでいる。
この事業は水道法改正案に関する厚生労働省の資料でも紹介されており、事実上一つのモデルケースと位置付けられている。コンセッション方式はこの他、大阪市、宮城県などでも検討されている。
ただし、各国での失敗事例の多さに鑑みれば、見切り発車のようなコンセッション方式の導入には懸念が大きい。
これに対して、推進派からは「他国の事例は参考にしかならない」、「そもそも水道民営化に行き詰ったのが全体の34パーセントなら、過半数はうまくいったのではないか」といった批判もあり得るかもしれない。
確かに、民営化は万能薬でないとしても、絶対悪とまで断定することは難しい。浜松の場合、水道料金や下水道使用料は市条例で定められるし、反対の声があがったことを受けて市が事前に当該地域の住民に対して「請求金額に変更はない」と通知しており、少なくともいきなり料金引き上げには至っていない。
見切り発車はなぜか
ただし、それでも「民営化の事案で成功例の方が多いのだから大丈夫」「浜松で問題がないなら大丈夫」と判断するには時期尚早である。
これまで世界で生まれた再公営化の波は主に先進国のもので、開発途上国でこれが少ないのは、発言力の弱さや、あるいは逆に政府が水メジャーと癒着していることにも原因がある。契約を途中で打ち切れば多額の違約金を請求されるため、水メジャーとの契約終了が相次ぐこの数年で、再公営化の波が加速する公算は大きい。
また、浜松市に目を向けると、「初回限定」や「お試しキャンペーン」が企業の常套手段であることを、多くの消費者は承知している。つまり、日本全土を視野に入れたヴェオリアが最初から水道料金を引き上げなかったとしても不思議ではないし、市当局としてもいきなり引き上げはできないだろう。
しかし、ヴェオリアは、例えば2002年からアメリカのインディアナポリス市で水道事業を請け負い、(例によって)水質汚濁を招いたという住民の批判を受け、インディアナポリス市が違約金2900万ドルを支払って20年契約を10年で打ち切ったという経歴をもつ。
浜松市は「インディアナポリス市より上手くヴェオリアを操縦できる」と踏んでいるのかもしれないが、仮に今後ヴェオリアが様々な理由をつけて価格引き上げを要求してきた場合、浜松市はこれを拒絶できるのだろうか。また、水道という電力や通信以上に人間の生命に直結しやすいサービスを手掛ける以上、安全性に関しても確認する必要があるが、開始から1年も経っていないものをモデルケースと位置づけること自体、コンセッション方式の導入ありきの議論に他ならない。
もともと浜松市は下水道使用料がやや高く、平成25年度の段階で全国21の政令指定都市のなかで上から数えて5番目だった(ちなみに最も高いのは新潟市で、最も安いのは大阪市)。
この料金がコンセッション方式の導入でどのように変化したのか、さらに経営が効率化するというなら実際に財政負担がどの程度減ったのか、時系列とともに他の自治体との比較データで確認することが欠かせない。つまり、単に導入するだけでなく、成果を確認することに(モデルケースではなく)テストケースとしての意義がある(というと浜松市民の方には申し訳ないですが)。
それにもかかわらず、テストケースとしての成果の確認ぬきで浜松市の事例を推すことは、勇み足と言わざるを得ない。
これらの疑問に対する説明ぬきに進めるなら、議論の余地の大きい法案を支持率の高い安倍政権の間に駆け込みで通そうとしているのか、あるいはアメリカとの通商交渉のなかで水道事業を含む公共セクターの開放が話題になっているのか、それとも日本国内の水道民営化で弾みをつけて水メジャーがひしめく開発途上国の水道事業に参入しようというのか、といった憶測を呼んでも、文句を言えないだろう。
水道事業が火の車であることは確かとしても、人間生活に欠かせない水の問題であるだけに、政府には「民間の活力を…」といったお題目あるいはイデオロギーに傾いた主張ではなく、より科学的な説明が求められているのである。