死してかつての政敵を跪かせ、今の政敵に一矢を報いる見事な最期
フーテン老人世直し録(390)
長月某日
故ジョン・マケイン上院議員は9月2日に母校であるメリーランド州アナポリスの海軍兵学校墓地に埋葬された。8月26日に亡くなってからの1週間、全米は故人への哀悼に包まれ、フーテンは大統領選挙に2度挑戦して敗れた「負け犬」が国葬級の扱いで見送られたことに深い感銘を受けた。
昨年から重い脳腫瘍を患い、闘病を続けながらもトランプ大統領批判の手を緩めなかった共和党の重鎮は、自らが治療を中止する判断を下し、自らの意思であの世に旅立った。そのため棺を担ぐ人間、弔辞を述べる人間など葬式の一切を自らの意思で決めたと言われる。
マケイン氏らしいと思ったのは、弔辞を読む人間に自分を大統領選挙で打ち負かしたブッシュ(子)、オバマという2人の「政敵」を指名したことである。「政敵」であるとはいえ、2人が自分を政治家として評価していることを知っているマケイン氏は、葬儀の場で歴代大統領を自分に跪かせ、一方ではそれを利用して現職のトランプ大統領に痛烈な批判の矢を放ったのである。
米国政界の重鎮たちが一堂に会した追悼式典で、共和党のブッシュ(子)元大統領は「ジョンは何よりも権力の乱用を唾棄した。偏見と差別にまみれた人間や、えばり散らす暴君は全く受け入れなかった」と個人を偲んだ。
民主党のオバマ前大統領は「この国の政治が意地悪でせせこましいものに見える。勇敢でタフなふりをしているが、恐怖から生まれている政治だ」と述べ、マケイン氏との間には「党派を超えた共通の信念があった」と追悼した。いずれもトランプ流政治を批判する弔辞だった。
そして極めつけは娘のメ―ガン・マケインの弔辞である。彼女が涙ながらに「ジョン・マケインのアメリカは再び偉大にされる必要などありません。なぜならアメリカはいつでも偉大なのだから」と弔辞を読むと会場のあちこちから拍手が起きた。葬式で弔辞に拍手が起こることなどありえないが、その異例のことが起きた。
追悼式典に招かれなかったトランプはその日ワシントン郊外で一人ゴルフに興じた。頭には「アメリカを再び偉大に」と自身のキャッチフレーズを書いた帽子をかぶっていたという。
それをテレビの中継で見て「死してかつての政敵を跪かせ、それによって死ぬまで批判していた政敵に一矢を報いた。これぞ政治術の極意」とフーテンは思った。見事な政治家の最期であった。
マケイン上院議員をフーテンが初めて胸に刻んだのは27年前の1月17日、湾岸戦争勃発の日である。フーテンが配給権を取得して提携を始めたワシントンのC-SPANという議会中継専門テレビ局にマケイン氏が出演し視聴者からの質問に答えた。
マケイン氏が海軍のパイロットでベトナム戦争に従軍し、撃墜されて捕虜となった「戦争の英雄」であることや、軍事問題を専門にする「タカ派」の上院議員であることは予備知識として知っていた。
その日の米国は現地から衛星で送られてくるバクダッド空爆のテレビ映像で異様な高揚感に包まれていた。視聴者も興奮気味に問いかけてくる。「いよいよ戦争が始まりましたね。国を挙げてみんなで勝利を目指そう。しかし戦争が始まったのにまだ戦争反対を叫んでデモをしている連中がいる。非国民と思いませんか」。
「タカ派」だとばかり思っていたマケイン氏はこう答えた。「あなたの考えは間違っています。戦争をやりながらでも戦争反対の声を潰さない。それがアメリカなのです」。聞いた瞬間、フーテンにはその言葉がとても新鮮に聞こえた。
日本なら戦争をするまでは賛成と反対で言い合うが、決まったらどちらか一方に統一される。それでも反対するとつまはじきされ誰からも相手にされなくなる。
しかし決まっても反対が許される社会、賛成と反対が常に共存する社会、それがアメリカだと言われて目から鱗が落ちた。フーテンにとってマケイン氏は「民主主義政治とは何か」を教えてくれた教師である。
フーテンは政治とは「与党と野党が激突するもの」と思わされてきた。そう思わされた理由の一つにNHKの国会中継がある。正確に言うと国会は「与党と野党が激突」する場ではなく、政府に対し野党が攻勢をかけていたのだが、メディアは国会の攻防を必ず「与野党激突」と表現した。
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