渡嘉敷勝男「左ストレートをもらって鼻が折れました」具志堅用高との壮絶スパーリング
不良少年から世界王者になった渡嘉敷勝男氏(60)。前編ではボクシングを始めたきっかけを語ってくれた。
不良だった渡嘉敷勝男を変えたのは具志堅用高の世界戦「俺がこの人を倒しにいく」
後編では具志堅氏とのスパーリングエピソードや引退を決意した理由、今後の活動について語ってもらう。
具志堅氏との壮絶スパーリング
ーーー始めて具志堅さんと顔合わせした時はどうでしたか。
渡嘉敷:入会して3ヶ月後に始めて具志堅さんを見ました。スパーリングで日本王者クラスを次々と倒していくんですよ。
その様子を一緒に見ていたトレーナーが「具志堅とやってみるか?」と声をかけてくれて、望むところだとグローブをつけてリングに上がりました。
ーーー入会して3ヶ月で世界王者と対戦とはすごいですね。
渡嘉敷:まだ新入りで舐められていました。
トレーナーの「具志堅ちょっと遊んでやってくれ」という言葉が聞こえて、けじめをつけて上京した私にそれはないだろうと、せめて傷ぐらいつけてやろうという意気込みでリングに上がりました。
始まった瞬間パンチを7発打って、数発当たりました。そのあとも数発打ったのですが、具志堅さんにカウンターで左ストレートをもらって鼻が折れました。今でもその跡が残っています。
その日が18歳の誕生日だったこともあり、すごいプレゼントをもらったと今でも思います。
ーーー結果はどうでしたか。
渡嘉敷:最終的にボコボコに殴れても倒れなかったので、具志堅さんに足を引っかけられました。反則ですよね(笑)。
周囲からも「あの具志堅さんが練習生にムキになってる」って声が聞こえるわけですよ。
2R終わって具志堅さんが「こいついいね。俺のスパーリングパートナーに使おう」と、そこから戦いの日々が始まりました。
ーーープロでの生活はどうでしたか。
渡嘉敷:スパーリングの翌月プロテストを受けてデビューしました。全日本新人王を獲得して、その翌年に世界チャンピオンになりました。
ーーーボクシングを始めて5年で世界王者、早いですね。
渡嘉敷:自分でも驚きました。
あのスパーの翌日から毎日のように具志堅さんとスパーしていたので、すごいスピードで成長できたんだと思います。
ーーー渡嘉敷さんから見た具志堅さんはどんな人ですか。
渡嘉敷:普段は明るく穏やかな人ですがリングに上がると全然違う人になります。試合前もトレーナーを含め誰も声をかけられないような雰囲気でした。
それに日々の節制もすごい人でした。一緒に喫茶店に行った時も、僕が飲み物をゴクゴク飲んでいる傍で小鳥みたいにちょっとずつ飲むんですよ。あの節制が13回防衛という偉大な記録を作ったのだと思います。
ーーーその通りですね。
渡嘉敷:具志堅さんの防衛記録を超えるつもりでいたのですが、6回で失敗してしまいました。
いかに13回という記録がすごいのか身に染みましたね。
引退への葛藤
ーーー引退したのが24歳とかなり若いですが理由は何ですか。
渡嘉敷:当時懇意にしていたコンディションドクターに「これ以上はやめたほうがいい」と引退を勧められました。
脳の検査をしたら脳波が乱れていて、これ以上は危険だろうという理由で引退を決めました。
ーーーまだ若いだけに葛藤もあったと思います。
渡嘉敷:引退直後はかなり悩みましたね。3ヶ月くらいお酒に溺れて、何をすればいいのか分からなくなってしまいました。
そんな時、たまたま隠し芸大会の依頼がきて、やってみたらすごく楽しかったんですよ。
それがきっかけで芸能の仕事がしたいと養成所に通い始め「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」でデビューしました。
ーーータレント活動を15年、その後ジムを立ち上げましたがきっかけは。
渡嘉敷:タレント活動を始める前から、いつかはボクシングに戻ってこようと思っていました。
後輩の育成がしたかったのです。
ーーー今ジムの会長として大変なこともたくさんあると思います。
渡嘉敷:私たちの世代は殴る蹴る、何でもありの厳しい状況で練習してきました。今だったらみんな辞めてしまいますよね。
指導者としてどうあるべきかと考えていたときに、青山学園の原監督に感銘を受けて、今の時代にあった指導の仕方を模索し始めました。
今は才能を無理やり引っ張り出すのではなく「才能を伸ばす」というのを意識しています。23年経ってやっと分かってきました。
ーーージムの会長、タレント、YouTuberなど多方面で活動していますが、今後やってみたいことはありますか。
渡嘉敷:社会貢献のために立ち上げた「勇者の会」を盛り上げていきたいと思っています。
DVやストーカー問題、イジメなどを解決する会として、子供たちを集めて運動会やバーベキューなどを主催したり、恵まれない子供たちの為になる活動をしています。
今はコロナの影響で直接交流するような活動はできませんが、今後も積極的に活動していくつもりです。
渡嘉敷勝男(とかしき・かつお)
60歳。沖縄県コザ市(現・沖縄市)出身、兵庫県宝塚市育ち。元WBA世界ライトフライ級王者。現役時代は協栄ボクシングジムに所属。引退後はタレント活動や渡嘉敷ボクシングジムの開設、YouTuberとしても活躍している。