「見ててね」確かに見てるけど何か違わないか!?見ててね解釈が難しい夫へのお願い
日本語ってのは難しいもので、単語ひとつとってもそこに何通りかの意味が含まれていたりする。
ましてや環境や状況が違うとなると、いくらでも違う解釈が可能になってしまう恐れがある。
こっちがこう言う思いで放ったって言葉も、受け取る側としては言われてない事までは推しはかれない。それでも確実に伝えようと思うならいっぱい説明をするべきか?とも思うけども、そこはつい「夫婦である」と言う信頼に頼って言葉が少なくなってしまうのだ。
今から20年くらい前こう言うことは我が家ではよく起こってたんだけども、夫はそれを分かってか20年経った今妻からのお願いをきちんと遂行しようと臨んでいた。
「見ててね」の解釈よ。
20年前のおむつパンパン事件の時に学習した夫。
ただ見てるだけではいけない!頑張って観察するぞ!と言う方向へいった。
いや…違う。違わないけど、そう言う事じゃない。
「見ててね」の他に「ガン見はしなくてよい」も付け加えるべきだったのか。いや、ガン見するなんてことを予測できなかったんだから、そこまでは無理だ。
ガン見されて萎縮している猫たちを放って、とりあえずトイレに行った。
何だか色々ととっ散らかっていたが、ちゃんと夫は「見ててね」を完遂していた。ちょっと姿勢がアレだったけど。
そしてポッちゃんは、監視されていても捕まってもいっぱい食べたいのだ(ダイエット中なのに)。
これこそちゃんと言い聞かせたいとこだが、猫相手ではいくら説明しても分かってもらえない。いや、分かってても食べたいのかもしれないけど。
こちらの思いを伝えるってのは、相手が誰であってもなかなか難しい。
ブログでも猫の話載せてます【母さんは今日も世話をやく】