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夏の甲子園。この名勝負を覚えてますか 2013年/上林誠知の仙台育英vs小島和哉の浦和学院

楊順行スポーツライター
2013年センバツ、浦和学院当時の小島和哉(写真:アフロ)

■第95回全国高校野球選手権大会 1回戦

浦和学院 10=108 100 000

仙台育英 11=600 004 001

「回してくれよ、オレが返すから!」

 10対10で迎えた9回裏、2死走者なし。ネクストバッターズサークルにいた仙台育英(宮城)・熊谷敬宥(現阪神)は、試合途中から代打で出た小野寺俊之介にそう声をかけた。

 熊谷は、「1打席目にヒットを打てれば、打てる、と思い込んで乗るほう」だ。現にこの日は、初回の1打席目を皮切りに4打数3安打2打点と「乗っている」。そして……小野寺がレフト前ヒットでつないでくれた。

 一打サヨナラのピンチに浦和学院(埼玉)は、センバツのV左腕・小島和哉(現ロッテ)から、山口瑠偉に交代。ファウルで3球粘るうち熊谷は、球がよく見え始めた。ボールを3つ選び、フルカウント。2死だから、一塁走者の小野寺は自動的にスタートを切る。つまり、外野を抜ければサヨナラだ。

 そして7球目、高めのストレート。熊谷が強くたたいた打球は、レフトの右を抜けてフェンスまで達した。一塁から、小野寺がイッキにホームに滑り込む。9回2死走者なしから、仙台育英がサヨナラで決着をつけたルーズヴェルト・ゲームだった。

 浦和学院はセンバツで優勝し、夏の埼玉大会でもエース・小島が準々決勝で完全試合を達成するなど、夏の甲子園には4年連続出場だ。小島はいう。

「甲子園に戻らなければいけない、という義務感より、野球できる喜びや勝ち続けるうれしさが大きい」

 対する仙台育英は、熊谷のほかにも上林誠知(現ソフトバンク)、馬場皐輔(現阪神)らのタレントを擁し、センバツ8強。この1回戦屈指の好カードに、甲子園には4万2000の観衆が詰めかけた。

センバツVの完全男vs仙台育英打線

 だが立ち上がり、県大会6試合でわずか3失点と、抜群の安定感を誇る浦学・小島がどこかおかしい。ストレートはうわずり、変化球は抜ける。

 チームが1点を先制した初回の守りは、3安打と5四死球、さらに2つの暴投があって大量6失点。優勝したセンバツでは、5試合でわずか3失点だから、これはもう異変だ。

 それでも、浦学打線の振りの鋭さは、打球音が違う。3回には打者13人、二塁打4本を含む7安打の猛攻で、5点差をひっくり返す8点のビッグイニングだ。小島も2回から5回は、持ち前の伸びのあるストレートを取り戻し、育英打線を0に封じた。

 だが育英は、救援した馬場の好投で浦学の勢いを止め、6回には4安打と相手失策をからめた4点で同点に。10対10と、リング中央で足を止めて打ち合うような試合展開だ。

 見応えがあったのは8回。初回だけで53球を投げ、7回終了時点ですでに150球を投げていた小島が、無死満塁のピンチを招く。迎えるのは上林。浦和にとっては、絶体絶命のピンチだ。

 上林はもともと埼玉出身で、浦和シニアに所属していた中学時代は、高校野球を見学に行くたび、浦和学院の名物応援『浦学サンバ』に心地よく聞き入っていたという。だが、「今日は、宮城県人のつもりです」。

 対する、小島。「初回もこの回も、自分で招いたピンチ。なんとか最後まで投げ抜きたい」という気持ちだけで、プロ注目の好打者に全球ストレート勝負を挑んだ。そして……空振り三振。

「左方向を狙っていたけど、目線が合いませんでした。中盤以降は球威が落ちていましたが、予想以上のボールがきて対応できなかった」

 とは、5打数無安打で3三振を喫した上林である。さらに小島は、後続もストレートのみで三振。最大のピンチを、三者三振で切り抜けたわけだ。すべてストレート。ただもしかすると、9回裏の登板前から左脚がつり気味だったから、変化球を投げられないような変調があったのかもしれない。

 16時35分に始まったこの日の第4試合は、すでにナイトゲーム。だが、大熱戦の結末を見届けようという観衆は、ほとんど席を立っていない。

 そして、9回。投球数が180に達しようとした小島についに、おそらく熱中症による異変が表出した。1死から、八番・加藤尚也に初球を投げたところで左脚がけいれん。治療してふたたび登板したものの、小野寺に左前打を許し、山口にスイッチしたところで冒頭、熊谷の打席を迎えるわけだ。

 11対10、仙台育英のサヨナラ勝ち。

「とにかく、必死に投げただけ」

 と涙をこらえる小島のわきで、春夏連覇の夢が途絶えた浦和学院・森士監督は振り返った。

「5点差を追いついたところは、選手たちのエネルギーのすごさを感じました。継投を延ばしたのは私の責任ですが、できるなら最後まで小島で終わりたかった」

 号泣する小島を森監督が、「来年もある」とねぎらい、カメラが追うなかでも、「うなだれるな」と勇気づける。まるで、父と息子のようだった。名勝負というには四死球とミスの多さが目立ったが、大観衆、そしてテレビで観戦した多くのファンが堪能し大活劇ドラマだった。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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