ノルウェー国王と先住民サーミ人の特別な関係 この国の幸福は一部の人限定
10月16日、先住民サーミ人の若者たちはノルウェー国王と謁見した。冒頭写真はハーラル5世国王とホーコン王太子に面会するサーミ人の若者たちだ。
サーミ人のトナカイ放牧地であるフォーセン地域にはノルウェー政府による風力発電所が建設されたが、風車の音や風車から発生する雪の塊などによって、トナカイが怖がり、伝統的なトナカイ放牧が難しくなった。ノルウェー最高裁は政府による「人権侵害」と判決を下したが、政府は風車を稼働させたまま、判決から2年が経つ。サーミ人の人権侵害が「進行中」であることを抗議して、国会内の座り込みや省庁封鎖など、数日間にわたる抗議活動をサーミ人や支援する市民たちは続けた。それでも政府は解決策は提示せず、抗議中に「絶望的な精神的状況」に追い込まれたサーミ人たちは「最終手段」として「国王に話を聞いてもらいたい」とお願いし、受け入れられた。
しかし、王室は今は国をまとめる「シンボル」的な存在で、政治的な介入はしない。謁見は「たったの15分」であり、「若い活動家たちが国王に話を聞いてもらった」は、何を意味するのだろうか?
国王とサーミ人の特別な歴史
実はノルウェーの国王とサーミ人の間には特別な関係がある。これはノルウェー現地でもあまり知られていないことで、現地メディアは詳しく背景を説明している。
国王に助けを求める伝統は長くこの国で続いていた。早くも16世紀には、人々は国王に嘆願書や苦情を送ったり届けていた。ノルウェー語で言う「オーディエンス」(audiens)は「謁見」=「話を聞いてもらう機会」だ。
1981年には先住民サーミ人とダム建設を巡る大きな「アルタ闘争」があったが、この時もサーミの運動家たちは国王に謁見を許された。当時、サーミ人の抗議活動家は王室へ謁見の要請をして、数時間後に返事を受け取り、現在の国王の父親である当時のオーラヴ王は翌日に王宮で彼らを迎え入れた。この時に、国王は「サーミ人の王でもある」「国王はサーミ人が背負う問題を深く理解している」ことが認識された。1989年に最初のサーミ議会が開会された時も、オーラヴ国王によって開会された。ノルウェー市民が思う以上に、国王・王室とサーミ人の関係は特別なものなのだ。
また1997年のサーミ議会開会式では、現国王であるハーラル国王は国による過去の「同化政策」を謝罪した。
国王の言葉と公式の謝罪は今でもノルウェーで広く語り継がれている。サーミ人が今も社会でヘイトスピーチや差別などを受けるとき、この国王の言葉を引用して、「サーミ人にもノルウェーで人権がある」ことをノルウェー人にリマインドさせている。
このように、トナカイ放牧の権利や土地の権利などを巡ってサーミ人の暮らしが追い詰められると、サーミ人は国王に謁見を申し込み、「話を聞いてもらった」。
国王は政治的な干渉はしないはずだが?
国王は政治的な干渉はしないことになっているが、特定の事柄について質問をしたり情報を求めることができる。「政治的な干渉はしない」が、毎週金曜日、政府の閣僚らは国王との会議に出席し、政治の進行具合などを報告する習慣もある。新法などの最も重要な案件は国王が決定しており、政府全体が国王会議で審議されたものは支持することになっている。国王審議で決定されたことの「実務的な責任」は政府にあるのだ。つまり、国王は首相らをはじめとする政府メンバーとは日ごろから深い交流がある。こうなると「政治的に干渉しない」に「クエスチョンマーク」もつくかもしれないが、これがノルウェーの民主主義の在り方だ。
「国王がサーミ人の話を聞く」歴史的なシグナル
17世紀から18世紀にかけては市民という個人が国王に謁見するチャンスはあったが、今は昔ほど簡単には行われない。ノルウェーの政治に国王の出番はあまりないが、サーミ人の若者たちが国王と謁見することは、この複雑なフォーセンの闘いに重要な「歴史的シグナル」をもたらすことになる。
「私たちは国王のもとへ行くというサーミの古い伝統に立ち戻らなければなりません」は、活動の中心事物の一人であるエッラ・マリエ・ハエッタ・イーサクセンさんの言葉だ。
国王との面会は「たったの15分」だったが、若いサーミ人たちは手紙を渡し、国王はサーミ人に対する国の行為を謝罪したという。
国王がこれから何か進言するかは分からないが、いずれにせよ国王に「話を聞いてもらえた」ことは、絶望的な心境にあったサーミの人々に、新たな希望とエネルギーを与えたようだ。
2023年になっても先住民サーミ人がこれほど苦しんでおり、「国王に謁見を要請する」ほど人権侵害が続いている。「幸福な国」として世界的に知られたノルウェーだが、「幸福」は「一部の人」限定のようだ。