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「鎮圧は最大のテロ抑止」か? (1)

六辻彰二国際政治学者

「武力鎮圧は最大の抑止策」なのか

先の記事「アルジェリア政府はなぜ急速に軍事行動に踏み切ったか」には、ウェブ上でも対面でも、多くのコメントをいただきました。それらのなかには、かなり批判的な意見もありました。特に多かった批判を最大公約数的にまとめると、「亡くなった方々は気の毒だった。しかし、それも無法な人質事件が発生したためだ。だから、テロが発生した時に武力で鎮圧することは、止むを得ない。鎮圧こそが、次のテロを防ぐ、最大の抑止になるのだから」。日本政府を含む、今回の関係各国の政府の立場も、温度差はあっても、基本的にはこのスタンスをとっているといえます。

1月21日に行われた、アルジェリアのセラル首相による記者会見では、「テログループは人質を連れ出し、マリ北部に連れて行こうとしていた」し、「ガス施設の爆破も計画していた」。さらに「アルジェリア国内で拘束されているイスラーム主義組織のメンバーの釈放を要求してきたことで、交渉が不可能になった」。それだけ切迫した状況だったのだから突入は避けられなかった、という主旨です。

今回の場合は「鎮圧ありき」のアルジェリア政府の立場を反映して、やり方があまりに粗雑だったわけですが、実際にテロ活動が発生したとき、これに対処するために、軍事力が一つの手段としてあることは否定できません。私自身も(アルジェリアではないですが)アフリカで、自動小銃を携えた警官による警護のもとで調査を行った経験もありますし、さらに不安定な国で万一の際に自衛隊でなく米軍頼みであることへの不安も以前から感じていましたので、自衛隊法の改正も考える必要があると思います。ただし、「武力鎮圧こそが唯一無二のテロ対策であり、最大の抑止策」といった主旨の主張には、声を大にして反対したいと思います。

「ザルに水を注ぐ」

件の記者会見で、セラル首相は「アルジェリアではテロは成功しない」と成果を強調しました。「アルジェリア政府はなぜ…」で述べたように、アルジェリア政府にはもともと、テロリストには鎮圧で臨むという「一罰百戒」の姿勢が顕著で、今回と同様これまでにも数多くのテロ事件が軍事力で抑えこまれてきました。ただ、それは裏を返せば、アルジェリア現体制のもとでテロ事件が絶え間無く発生していることをも意味します。言い換えれば、「アルジェリアではテロは成功しない」かもしれませんが、「アルジェリアではテロが発生し続けている」のです。だとすれば、「一罰百戒」のテロ対策に次のテロ事件を抑止する効果があるという主張は、論拠が怪しくなってきます。

これはアルジェリアに限った話ではありません。米国主導による「テロとの戦い」に沿って、アフガニスタンやイラクをはじめ、各地でテログループの掃討作戦が行われてきました。しかし、叩かれても叩かれても、雨後の筍のようにテログループは出てきています。「一罰百戒」のテロ対策では最右翼といっていい中国でも、ウイグル自治区での暴動や爆破事件は、鎮圧後に一旦静かになっても、それは潜在化しているだけで、何かの契機に表面化する、というパターンの繰り返しです。

人間社会を人間の身体にたとえるなら、テロリズムはそこに巣食ったガン細胞のようなものです。本体に悪影響を為し、放っておけば本体を存亡の危機にさらす。それを避けるためには、切除することが有効な手段です。ただし、ガンの原因となる、タバコや深酒、ストレスなどをそのままにしておいて、ガン細胞が出てくるたびに切除することは、ザルに水を注ぐのと同じであるばかりか、やがては本体そのものを弱らせます。したがって、悪くなったところを一思いに切除することは手段の一つであっても、決して万能ではなく、むしろ原因を排除することとの併用が必要だと言えるでしょう。

テロはなぜ起こる?

ただし、結論からいってしまえば、その原因の排除は、今回のアルジェリアや、中東・北アフリカ諸国だけでなく、先進国を含む多くの国の利害に関わる側面があり、より困難な課題であるために後回しにされて、もっぱら武力によるテロ対策が進められてきました。

以下ではまず、テロが発生する原因を改めて検討し直したいと思います。イスラーム主義組織によるテロというと、宗教的な側面がクローズアップされがちです。かつてのビン・ラディンなどイスラーム過激派の指導者が、コーランの引用などでテロを正当化することからも、その側面も否定はできません。しかし、多くのムスリムは、自分たちの国の権威主義的な政府や、それと繋がる西側先進国を敵視するイスラーム主義組織の主張に理解を示しながらも、民間人を巻き込むテロには否定的です。つまり、イスラーム主義組織にとってイスラームは自らの行為を正当化する原理ではあっても、それ自体がテロを生んでいるとはいえません。

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むしろ、イスラーム主義を含むあらゆるテロの背景には、社会に対する不満があります。その不満には、様々なものがあります。

  • 貧困や格差といった社会問題
  • 特定のグループによる特権的支配
  • 政治的発言に対する制約

少なくとも中東・北アフリカでは、これらが相互に結びついていることが一般的です。イスラーム主義組織は、これらの不満を巧みに吸い上げ、テロリスト予備軍をリクルートしているのです。

まず、「貧困がテロの温床になる」という認識は、9.11後に一般的なものになりました。既存の秩序に暴力的な手段で変更を迫る点で、テロと革命は紙一重なわけですが、物質的欠乏への不満と怒りをエネルギーにする点でも、両者に大きな差はありません。しかし、貧困とテロを結びつける議論に対しては、特にイスラームそのものに懐疑的、批判的な立場から、異論もあります。

  • 「ビン・ラディンはサウジアラビアの財閥出身者だったし、テロ組織のメンバーには大卒者など中間層もいる」

確かに、メンバーの全てが貧困層というわけではありません。高学歴者の場合、9.11同時多発テロ事件の実行犯グループの現場リーダーだったモハメド・アタのように、欧米諸国に留学するなどして、逆に欧米的文化の一方的流入によるアラブ社会の崩壊に危機感を募らせるというパターンもあります。ただし、イスラーム勢力によるメンバーのリクルートが成功しやすいのは、食料配布などの恩恵を感じやすい貧困層であることも否定できません。実際、テロ活動に向かうか否かに関わらず、政府が充分行っていない貧者救済を担っているイスラーム主義勢力が中東・北アフリカで低所得層に支持を伸ばしているのは、2010年以来の「アラブの春」でも明らかです。

  • 「中東・北アフリカは、サハラ以南アフリカや南アジアと比べれば、一人当たりGDPなどが高く、貧しいとはいえない」
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グラフで示したように、客観的データとして他の地域や国と比較する数字でみれば、中東・北アフリカは確かに貧しいとはいえません。しかし、貧困や格差は、それぞれの社会ごとに基準が異なります。日本の貧困ラインである世帯別年収200万円は、多くの国では中間層に位置します。つまり、貧困や格差への不満は、それぞれの社会で他人と自らを比較して生まれるものです。この観点からすれば、物価や所得の水準がそれぞれで異なる他地域と比較することに、大きな意味はありません。そのうえ、中東・北アフリカでは、豊富な石油収入によって、平均的な一人当たり所得は比較的高くとも、それが特定の人間に握られる構図があります。

中東・北アフリカでは縁故主義が一般的で、政治家や軍高官との人的関係が、経済機会に大きくかかわってきます。その結果、汚職が蔓延し、公務員や国営企業の人事も縁故でほとんど決まります。支配層の文化的特性において、アルジェリアなど北アフリカでは「世俗主義」が多いのに対して、アラビア半島など中東ではサウジアラビアのワッハーブ派、シリアのドルーズ派といった特定の宗派に政府が握られているという違いはあります。しかし、支配層と一般市民の間に文化的亀裂があり、それに基づく縁故で所得格差が固定化される状況において、両者に大きな差はありません。ここで、貧困や格差といった社会問題が、政治と連結します。

権威主義体制の集結地

このような権威主義体制は、中東・北アフリカでは珍しくありません。表現の自由や政治活動が保障されているか、といった観点から、各国の「民主主義度」を評価するNGOのフリーダム・ハウスによると、中東・北アフリカには「自由な国」と呼べる国がほとんどありませんでした。

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この背景には、大きく二つの要因があげられます。一部、前回の記事に重なりますが、重要な点なので繰り返せば、

  • 豊富な石油・天然ガスの収入

天然資源の収入は、原則的に政府のものです。これをインフラ整備などの形で配分することで、国民の物質的満足感を引き上げ、逆にそれによって強権的な支配が正当化される傾向は、サウジアラビアなど石油埋蔵量が豊富な国ほど顕著で、この体制は「レンティア経済」と呼ばれます(rent はもともと ‘地代’ を意味し、転じて ‘不労所得’ を批判的に指す語としても用いられる。産油国からみれば、石油収入は、いわば濡れ手に粟の不労所得である)。2010年末以来の「アラブの春」のなか、リビアという例外を除けば、サウジアラビア、クウェート、UAE、さらにアルジェリアといった大規模産油国で、程度の差はあれ、権威主義的な体制が生き残ったことは―ペルシャ湾岸の君主国家が、雇用創出や各世帯への現金支給など、石油収入の配分強化で国民の政治的不満を慰撫したのに対して、前回触れたように、軍事政権の名残が強いアルジェリアの場合は、やはり抗議活動の鎮圧が基本パターンだったにせよ―示唆的です。

  • 域外国、なかでも西側先進国による黙認

冷戦終結後、西側先進国は世界規模で民主化を求めてきました。これに対して、石油・天然ガスの主な供給地であることや、イスラーム主義勢力を抑え込んでいるという戦略的意味合いにより、西側先進国は中東・北アフリカ諸国に対して、形式以上の民主化要求をしませんでした。「テロとの戦い」の一環として、米国は中東パートナーシップ・イニシアティブ(2002)、拡大中東・北アフリカパートナーシップ・イニシアティブ(2004)などで、これらの地域における民主化を求めました。ここには、「政治的権利を保障することで、さまざまな不満が暴力的な活動に結びつくのを抑える」という発想がありました。しかし、実際には、この外圧を受けて2005年にエジプトで初めて行われた大統領選挙で、政権側からムスリム同胞団などのイスラーム系政党が弾圧され、1981年から大統領の職にあったホスニー・ムバラクが当選し、その結果を米国だけでなく、日本を含む西側先進国は揃って承認しました。これに代表されるように、西側先進国のダブルスタンダードが権威主義体制の延命に寄与したこともまた確かです。

このような権威主義体制の下、過激なイスラーム組織にリクルートされ、既存の秩序に対する憎悪から、破壊行動へと向かう貧困層が続出したのです。こうして振り返れば、中東・北アフリカでテロ組織が出てくる背景には、数多くの要因が絡み合っていることがわかります。それに加えて、テロリストの行動を物理的に可能にしているのは、世界規模での市場を通じた兵器流通です。これまた以前に取り上げたように、その規制は現在のところ、遅々として進んでいません。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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