「虎に翼」最終週にてんこ盛り過ぎる問題をNHK解説委員に丁寧に解説してもらった
「変わっていく司法」の側面もドラマを通じて知ってもらいたい
清永聡さんインタビュー(「虎に翼」取材担当)
9月27日(金)に最終回を迎える朝ドラこと連続テレビ小説「虎に翼」(NHK)。日本ではじめて女性弁護士、裁判官になった三淵嘉子さんをモデルに、その半生を大胆に再構成してリーガルエンターテインメントに仕立てたドラマは最後にどこへ向かうのかーーと思ったら、主人公・寅子(伊藤沙莉)の前に、尊属殺人に少年法改正、政治からの司法の独立など難問が立ちふさがる。
寅子は、かつての上司で家庭裁判所の礎を築いた多岐川(滝藤賢一)のバトンを受け取って、少年たちの犯罪と徹底的に向き合っていく。
三淵さんや、多岐川のモチーフ・宇田川潤四郎さんについて書いた著書をもち、ドラマの取材を担当した清永聡さんは、主に史実面を受け持ってきた。清永さんがどうしても物語に入れたかったことと、その理由について聞いた。
清永聡さんとは KIYONAGA Satoshi
NHK解説委員。1970年生。93年にNHKに入局。社会部記者として司法の取材が長く、2016年からは解説委員を務めている。「みみより!解説」「午後LIVEニュースーン」「時論公論」などに出演。著書に「家庭裁判所物語」「三淵嘉子と家庭裁判所」「戦犯を救え BC級『横浜裁判』秘録」などがある。「気骨の判決―東條英機と闘った裁判官―」はNHKでドラマ化、「戦犯を救え」はETV特集「無差別爆撃を問う 〜弁護士たちのBC級横浜裁判〜」の参考資料となった。
最終回はカラッと終わるといいなと思っていた
――まずは、最終週までの台本を読んでどのような感想を持ちましたか。
清永「当事者として一緒に作ってきて、最終回までの流れは把握していましたので、こうなったのかというような感想は特にはないのですが(笑)。ただ、最後はあまりウェットに終わるのではなく、カラッとして終わるといいなと思っていました。打ち合わせでは吉田恵里香さんも梛川善郎チーフ演出も同じ考えで、『みんな同じようなことを思っているんだ』と安心しました。一方で終盤は、第23週から最終週にかけて、原爆裁判、少年法改正議論、尊属殺と史実から離れられなくなり、とりわけ司法の比重が大きくなります。それだけにドラマの表現は慎重さが必要になりました。そのため、これまで2回開いた勉強会をもう一回やらせてくれと私の方からお願いして、吉田さんとスタッフたちに集まってもらいました。収録作業は追い込みが始まっていた時期なのですが、3回目はまさに最終盤の題材である昭和30年代から40年代の『司法の危機』と呼ばれた時代を説明し、最高裁内部の動きや政治との関係、1970年代の少年法改正をめぐる議論など、この時代の複雑な状況や、現代につながる課題が多数あることなどを理解してもらいました」
尊属殺、少年法、学生運動、ブルーパージは結びついている
――まさに、尊属殺、少年法、学生運動、ブルーパージと最後の2週間で難しい問題が一気に出てきました。少年法と尊属殺が同時に描かれたのは、突き詰めれば子供の問題であり、少年、未成年の犯罪をどう捉えるかということなのでしょうか。
清永「それもあります。ただ、いま挙げた4つは実はこの時代互いに結びついていることなのです。昭和25年、穂高教授(小林薫)が、尊属殺は憲法違反という少数意見を出したものの、多数決で『合憲』となりました。当時、合憲13、違憲2でした。それが昭和48年になると違憲14、合憲1になって賛否が逆転します。それは時代が変わり、法律をめぐる意識や社会の状況などが変わったことも背景にあります。尊属殺は突き詰めれば『親を敬うべき』という道徳的な教えがあると言われます。尊属殺人がかつて、重い刑罰だったのは、江戸時代からの親殺しは重罰という考えが根源にあったと指摘されているわけです。歴史的な家族観がベースになり、その後、日本の家族観や社会が変化し、少年事件が昭和40年代に戦後第2のピークを迎えていきます。判例が時代によって変わることは、司法取材をしていると常に直面します。それは必要な変化です。こうした『変わっていく司法』の側面もドラマを通じて知ってもらいたいと考えました」
――少年法の改正のエピソードも時代によって変化があるということでしょうか。
清永「少年事件は、昭和20年代に一回増えた後、減り、それがまた30年代から増え、原爆裁判が終わった頃の40年代に戦後2回目の少年事件のピークを迎えました。この頃、凶悪な少年事件が次々起きます。いま、少年事件の凶悪化が言われますが、この時代の方がはるかに件数も多い上に、今では信じられないような事件も起きました。当然社会の目は厳しくなります。そうした中で寅子のモデルである三淵嘉子さんは、家庭裁判所で少年事件を担当していたのです。加えて当時、学園紛争が非常に激しくなり、例えば東大紛争で安田講堂事件が起こります。ところが逮捕された学生の扱いは、20歳未満かどうかで真っ二つに分かれます。十代は少年として家庭裁判所、二十代は大人として地方裁判所が担当します。ドラマでは第24週で描いていますが、東大事件で起訴された成人の法廷で、たくさん応援の傍聴人がつめかけて裁判長をヤジり、『インターナショナル』を大声で歌い出す。いわゆる『荒れる法廷』です。これに対して、家庭裁判所の少年審判には傍聴人は誰もいません。当時は検察官もいません。審判廷にはヤジる人もいない。中にいる裁判官も親も調査官も付添人弁護士もみんな、少年のためにどうしたらよいかを考えています。このため非常に落ち着いた審判が行われていました。ところが、少年審判は傍聴ができず非公開です。当時メディアに掲載される記事は、家裁ではなく地裁の『荒れる法廷』ばかりでした。ただ、家裁の対応を少年への甘やかしと見る人たちがいて、それが少年法改正を求める声に繋がっていきました。少年法はその後も繰り返し改正を行っていますが、一連の根源はこの時代にあり、実は論点もほぼ変わっていないのです。しかし、こうした事実は、法曹関係者でも知らない人が少なくありません。ドラマでは、荒れる法廷と静かな家裁の少年審判を対比して描くことで、どちらが望ましいか知ってほしいと思いました」
朝の視聴者にどこまで伝えるのか
――少年法の改正に疑問を抱く朋一(井上祐貴)たちが最高裁から異動になるという問題も出てきて、話がとても大きなものになっていきました。
清永「ドラマの中にもあった通り、昭和40年代にかけて裁判所は偏向しているという保守派政治家の批判が強まります。そういう中で、青年法律家協会――『青法協』という団体に所属している裁判官たちがやり玉に挙げられた。それを当時の最高裁長官が人事上の冷遇、つまり左遷していきました。『ブルーパージ』と呼ばれます。ただ、誤解しないでもらいたいのは、青法協に所属する裁判官が過激な思想を持っていたわけでもなく、ハチマキをつけてシュプレヒコールをしていたわけでもありません。長官からすれば裁判所の独立、司法の独立を守るためだという大義名分があるのですが、一方で『それぞれの裁判官の思想の自由はどうなるのか』という問題を置き去りにしています。その後も裁判官の独立を守るためと言いながら政治的な発言から距離を置くようになり、裁判官自体が萎縮する時代に入っていくのです。この問題については、青法協に所属していた元裁判官の守屋克彦さんから直接当時の話を聞き、『家庭裁判所物語』に書き込みました。その冷遇ぶりは想像を絶するものがあります。加えて裁判所はすぐに『全体主義化しがち』です。裁判官も書記官も『元優等生』の集まりであるため、上の方針がすぐに増幅して下へ伝わり、レールから外れることを許さない、あるいは外れることを極度に恐れる傾向があります。この時代の行きすぎた内部統制が後に及ぼした影響は極めて深刻なものがあります。しかしながら、連続テレビ小説で当時のブルーパージを詳しくやっても、多くの方は何のことか分からないでしょう。『記述が甘い』という指摘もあるでしょうが、主婦の方々など含めた朝の視聴者にどこまで伝えるのかという点も考えながら制作したことは理解してほしいと思います」
宇田川潤四郎さんの親族が、滝藤さんの演技と作品の描き方を評価
――時代の変化のなかで様々な法律に対処していく法曹の方々の苦労がドラマでも描かれているわけですね。そのなかで、家庭裁判所の父と言われた、宇田川潤四郎さんをモチーフにした多岐川(滝藤賢一)の死に様が印象的でした。
清永「あのシーンも概ね事実に基づいています。多岐川が亡くなった第120回の放送後、多岐川のモチーフの宇田川潤四郎さんのご親族から、滝藤さんの演技と作品の描き方を評価する感想をいただきました。ありがたいことです。死の直前に少年法改正に反対する意見書を書いた宇田川さんは、あの時代だけでみれば、『時代遅れ』になってしまっていたんです。少年事件の急増と大学紛争の活発化の中で、家裁の五性格(独立的、 民主的、科学的、教育的、社会的)という彼が提唱した理念は、もはや引用されなくなり、少年に愛を、と言っても誰も耳を傾けず、社会は冷たくなっていました。だが、彼は愛を唱え続けた。そして、今日、彼の姿勢は再評価されているんです。今、少年事件がすごく減ったのは、この時代に作った少年法と家庭裁判所のシステムがうまくいったからです。彼が正しかったことは歴史が証明しているわけです。ところが、この昭和40年代においては正当な評価がなかった。だからこそ多岐川はあれほどまでに怒り、また嘆くのです。そして宇田川家の人たちはそれを知っているから多岐川さんのあのシーンに理解をしてくれたのだと思います」
――多岐川の家裁への想いは滝藤さんの演技も相まってひしひしと伝わりました。
清永「視聴者の心が動くということは、多岐川の言葉が理解できるから。それは宇田川さんの思いも理解できるからだと思います。ここで彼が語った言葉は普遍的なもので、いまもまったく古びていません」
清永さんは、茶色く変色した書類を見せてくれた。
清永「今日、お見せしたいものがあります。第120回で、滝川さんが少年法改正に反対する意見書を作っていたでしょう。実際に宇田川潤四郎の名前で当時の最高裁長官に宛てて書かれた少年法改正反対の『決議文』です。取材で関係者からいただいた現物の書類です。多岐川のセリフはこれをもとに作られています。また、宇田川さんが亡くなる数日前に、三淵嘉子さんや糟谷忠男さんという同僚が彼の枕元に集まったことも事実です。宇田川さんはここで涙を流しながら『自分は家庭裁判所の将来が心配で死んでも死にきれない』と話したのです。彼は病床で三淵さんの手を握った十日あまり後に他界します」
変色した「決議文」は、手書きのものを原稿にして活字にしたものだった。直筆ではないが、宇田川さんが本気で作った本物だと思うと、なんだか心がざわついた。
少年法改正問題では死者も出るほど
――男女平等からはじまって、差別の問題、選択的夫婦別姓問題等、ドラマに登場する問題が、昭和当時の問題に留まらず令和の現代とも地続きであるというふうに語られているので、では少年法はどうなのだろうと考える視聴者もいるのではないかと思ったのですが。
清永「少年法の対象年齢引き下げ問題については、あくまでも70年代の出来事を描いています。少年法改正問題は三淵さんのキャリアの中で大きな出来事でした。もちろん、そこに出てくる少年法の理念や宇田川さんの言葉、そして三淵さんの取り組みは現代にも教訓になる点をたくさん含んでいます。それを伝えたいという気持ちはありました」
――「家庭裁判所物語」などに書いてある三淵さんのお言葉――例えば「社会から疎外された、たった一人の少年の味方は我々だけしかいないという気持ちで」など、いいお言葉です。
清永「あのセリフはドラマでも使われましたが、実際に三淵さんが70年代の法制審議会少年法部会で語った本物の言葉です。私が速記録から見つけたのですが、宇田川さんの『愛の裁判所』の理念が込められている宝物のような言葉です。三淵さんは宇田川さんと同じ時代の、いわゆる第一世代です。だから三淵さん自身も亡くなった宇田川さんの理念を引き継いで、最後まで愛の裁判所を掲げ続けました。第24週、25週で寅子は少年法の対象年齢引き下げを反対しています。今でも少年事件が起きると、『少年法などいらない』『少年を甘やかすな』という発言が多く出ますが、それは必ずしも正しくない。なぜかというと、大人も逮捕されたら大体4割ぐらいは起訴されずに釈放されます。大人と同じ扱いにすると少年も3割から4割は20日ほどたつと不起訴で戻ってくることになる。それでは責任をとったことにはなりません。地域の人たちもそれでは困るでしょう。当時の家庭裁判所の幹部の中には、これを『大人と同じ扱いにするのは不良少年の“野放し”だ』という激しい言葉を使う人もいました。少年法をなくし、3割4割がすぐに戻ってくる社会でいいのでしょうか。また、少年犯罪の場合、虞犯という仕組みがあります。例えば、コンビニの前でたむろして威嚇している少年グループがいた場合、少年法だと補導し虞犯として家庭裁判所に送ることも可能です。しかし、大人だとこんな扱いはありません。『まだ何も違法な行為をしていない』大人を処罰できないからです。果たしてどちらが社会の安全のために望ましいか。もちろん、凶悪な事件は許せません。しかし凶悪事件の場合大人と同じ刑事裁判を受ける仕組みもすでにあるわけです。ちなみに、ドラマの25週から描かれた法制審議会少年法部会の会議室は、実際の70年代の映像を元にかなり精密に再現しています。史実の会議は、日弁連と家裁それに研究者が『引き下げ反対』、法務・検察が『引き下げ賛成』で激しく対立しました。日弁連の委員は最初、法務省と同調する意見を述べるなどして委員の一人で東大教授の団藤重光さんと大げんかになり、会議の途中で席を立って辞任するという一幕もありました。しかし日弁連は、一連の騒動について何の反省の言葉も公にしていません。また、会議の終盤では日弁連は裁判所の主張と対立し、三淵さんたちを『裏切り』と強く批判しています。当時の家庭局幹部の中には辛労を重ね急死した方もいます。このように史実は深刻な分断を招いた議論だったのです」
時代が変わっても同じ普遍的な価値観
「虎に翼」は令和のいま、注目されている男女平等の問題からはじまったため、過去を舞台にしながら、あたかも令和を生きる者たちと重なっていると話題になったため(吉田恵里香さんも令和の価値観で書いているというような発言をしている)、ドラマに登場するあらゆる問題をいまの問題として重ね合わせる視聴者がSNSを中心に多かった。だが清永さんは、「吉田さんがモデルの三淵嘉子さんを軽視しているとはまったく思わない」と話す。また、当時の出来事と現代の出来事が重なることもあり、普遍的な価値観は実は変わっていないはずという。
清永「例えば第23週で原爆裁判を取り上げた2日後に長崎の被爆体験者をめぐる判決がありましたが、タイミングは偶然です。意図したわけではありません。実際の裁判期日に合わせてドラマの放送を決められないですよ(笑)。ドラマで原爆裁判を描いたのは、原爆裁判というものが、いまも大きな意味を持っている事を知って欲しい、それだけの思いでしたし、少年法もその基本理念がなんら変わらないことを知ってほしかっただけです。私が担当した司法に関して言えば『あえて現代に寄せた』のではなく『時代が変わっても同じ普遍的な価値観』を描いていると思います」
――普遍とは、例えば、多岐川の思いのようなことですね。
清永「そういうことです。令和の少年法改正問題と重ねてほしくて描いたのではなく、少年にとってどう処遇するのが望ましいか、真剣に考えた人の言葉は、今なお価値がある。忘れられていた宇田川潤四郎という存在を、令和の人にも知ってほしいということです。原爆裁判も同じです。被爆者の置かれた思いや核兵器廃絶の願いは現代も変わっていません。それから脚本の吉田恵里香さんも主演の伊藤沙莉さんも、ドラマが決まってから三淵さんについて長く真面目に勉強されてきましたし、二人とも彼女の生前の問題意識も把握しています。私から見ても、決して吉田さんがモデルを軽視しているとは思えません」
美佐江や美雪の造形は吉田さんのオリジナル
――美佐江の娘・美雪(片岡凜二役)の登場はエンターテインメントとしておもしろい仕掛けですが、これも少年犯罪の凶悪化みたいなものを描くために必要であったということでしょうか。
清永「美佐江や美雪の造形は吉田さんのオリジナルで、私自身はさほどの意見は言っていません。審判の手続きや調査官の報告書について助言した程度です。ちなみにこのタイミングで音羽綾子(円井わん)が家庭裁判所調査官として登場します。彼女は第一世代である寅子の冷徹な批判者でもあるけれど、その時代でのベストを尽くすためにどうあるべきかを考えている存在です。取材していても家裁調査官は驚くほど頭が良い方が多いのですが、法律の専門家である裁判官とはまた異なる思考と行動力があります。一方で個性の強い人もいて、裁判官と時にぶつかります。私は多くの家裁調査官の知り合いがいるもので、脚本の段階からこんな調査官いるなあ、と思いながら見ていました(笑)」
尊属殺の弁護士遺族はドラマを快く理解してくれた
――最後の3週間くらいの中で、新たに清永さんが取材して発見したことはありますか。
清永「尊属殺の弁護は、ドラマでは轟(戸塚純貴)とよね(土居志央梨)が担当していますが、実際は宇都宮の大貫大八、正一の弁護士親子が担当しています。その方たちのご遺族に制作統括の尾崎とふたりでご挨拶をして、取材もしてきました。息子さんとお孫さんが、今も正一氏の弁護士事務所をそのまま残しておられます。ドラマについても快く理解してくださいました。その時、息子さんから聞いたお話は、なんとしてもこの子(被告人)を助けるという気持ちで、大貫親子はほとんど無報酬で弁護をやっていたということです。その精神は轟とよねと全く同じだったのだと感じました。あとは、第25週から最終週にかけて、航一(岡田将生)が最高裁調査官になるにあたり、それがどんな仕事なのか、早稲田大学の稗田雅洋教授に取材をさせてもらい制作にも参加してもらいました。稗田教授は元最高裁調査官で私が社会部で最高裁担当をしていた時の刑事局一課長でした。誠実な人柄の方です。その稗田教授がドラマ作りに参加してくれたことで調査官の活動を細かく再現することができました。また、最後の大法廷は、霞が関にあった旧最高裁の大法廷の写真などを集めて、美術スタッフが精密に作ってくれました。本物の大法廷のように広くは作れなかったのですが」
――航一のモチーフになった方も最高裁調査官だったのですか。
清永「はい。実際に最高裁調査官でした。彼は調査官の中でも全体を取りまとめる役職でした。ただしモチーフの三淵乾太郎さんは尊属殺人の担当調査官ではありませんでした。最高裁調査官は上告を受け入れるべきかどうかを検討し、報告書を最高裁判事に提出します。最高裁判所には3つの小法廷があり、5人ずつ裁判官がいます。通常は小法廷で裁判を行いますが、過去に出した判例を改める時は、その3つの裁判官、全員が集まってやることになる。それが大法廷です。『判例変更』は大法廷、そして裁判長は最高裁長官が務めます。つまり桂場です。第25週、第125回で航一が桂場に、鼻血を出しながら、判例を変える時でしょうと詰め寄ったシーンは、桂場が大法廷の裁判長だから直訴していたわけです」
「踏み込んで狙った」気持ちは本当にない
――様々な出来事に踏み込んで逃げずに書いたと評判で、尾崎さんにもなぜ踏み込めたのですかと質問したのですが、清永さんはなぜここまでこのドラマは、踏み込めたと思われますか。過去にも法律に限らず踏み込んで描きたいと取り組んだけれど書けなかった朝ドラもあると思うんです。これまで誰もやらなかったわけではないと。
清永「チームの一員としては、別に意図的に『踏み込んで狙った』という気持ちは本当にないのです。これはほかの人たちもおそらく同じだと思います。以前もお話ししたように、吉田恵里香さんと演出チームの梛川、安藤、橋本、プロデューサーの尾崎、石澤と私(清永)など、全員がそれぞれ異なる問題意識を持ち、このドラマでやりたいことや言いたいことがあった。それを一つずつ題材に取り込んでいっただけのことです。ただ、リスク管理という面で言うと、私は長く社会部デスクの経験があります。ドラマとニュースで違うとはいえリスク管理も手伝いました。意見が分かれるテーマでは出典元を確認する。時に一方的な表現にならないよう語尾を変えるなどです。単語レベルで気をつけながら、何とか作品で表現できるように努力したつもりです。原稿を変えることに申し訳ない思いもありましたが、テーマによってはニュースレベルまで詰めました。たったひと言のセリフやナレーションをめぐって、議論になったこともあります。最後はニュース原稿の表現とわざと同じセリフにしてもらったこともあります。外の人から『報道は』『ドラマは』と言われることもありますが、そういう区分けはあまり意味がない。総体としてNHKで良いコンテンツを作ることがすべてだと思っています」
――それによって今までにないちょっと面白い社会派エンタメになったということでしょうか。
清永「そうなのかもしれません。このドラマはとにかく元気で多様なメンバーがコミュニケーションを取り合いながら、みんなが言いたいこと、そして吉田さん自身が言いたいことを物語に落とし込んでいきました。吉田さんはたいへんだったと思います。そして大きな力を発揮したのは、ドラマ全体の大きなフレームを構築したチーフ演出の梛川と、個性派の面々をまとめた制作統括の尾崎でした。私など司法部分の手伝いをしたくらいです」
松山ケンイチさんの最高裁長官の演技はリアリティーがあった
司法に関しては視聴者に適切に伝えたいと心を砕く清永さん。だからこそ、ドラマと並行して「みみより!解説」「午後LIVEニュースーン」などで解説してきた。視聴者想いの清永さん。ドラマを楽しんでいるかたに最後に何かご紹介できることはあるかなと頭をしぼったすえ、松山ケンイチさんの最高裁長官の演技はリアリティーがあったと語った。
清永「司法取材は20年以上になります。これまで最高裁長官を何人も見てきました。松山ケンイチさんの最高裁長官ぶりは、その中の一類型にとても近いと思いました。本当にああいう感じの人がいるんですよ(笑)。例えば、尊属殺の裁判で最高裁大法廷のシーンがありました。前述の通り長官が裁判長です。私も法廷シーンの収録に立ち会って動きを指導したのですが、最高裁判事15人が入廷すると長官が真ん中に座って、右を見て、左を見て『開廷します』と告げます。ところが、松山さんはその際、左右7人ずつ座る裁判官席をやや首を伸ばして『ぎろり』と一番端の席まで睨みつけました。最高裁判事にはそれぞれの個性や意見があるわけです。松山さんはそこを左右睨んで抑えつける威圧的な動作を一瞬で表現しました。そのあたりのピリピリとした感じも素晴らしかったと思います。その一方でどこか憎めない姿を見せて、多面的な人物像を演じてくれました」
〜取材を終えて
「虎に翼」は司法の問題をふんだんに盛り込んで、法律が私たちの生活にどれだけ密接であるか認識させてくれた。それもこれも、清永聡解説委員が3年がかりで書いた『家庭裁判所物語』という密度の濃いベースがあってこそ。そこに吉田恵里香さんの自由な発想が加わり、制作スタッフのそれぞれの問題意識も取り込んで、様々な角度から視聴者の共感を呼んだ。
原作ではないとはいえ、確実な取材をもとに書かれたものがあると、そこには強い説得力が生まれる。少なくとも、宇田川潤四郎さんという多岐川のモチーフになった人物が、ドラマのなかで蘇ったような瞬間があった。ローマは一日にして成らずではないが、過去の積み重ねによっていまがある。それを清永さんと多岐川が教えてくれたような気がするのだ。
吉田さんは、歴史をあえて令和的な観点から問い直し、清永さんは歴史的事実を現代に残そうと心を砕くという、真逆なことをやっているようであることが興味深く、だからこそ、ひじょうにたくさんの視聴者が興味を持って語るドラマができたのだろうと感じた。
清永さんの調査報道活動をこれからも注目していきたい。