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Vシネマで終わらせるのは惜しい復讐劇もこの人の手。1月に逝去した名映画編集者の編集極意

水上賢治映画ライター
「蛇の道」(1998)より  (C)KADOKAWA 1998

 1977年から続く、<第46回ぴあフィルムフェスティバル2024>(※以下PFF)が現在開催中だ。

 "映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに掲げるPFFがメインプログラムに置くのは、自主映画のコンペティション<PFFアワード>。すべての未来の映像作家に開かれた同部門は、これまで数多くの新たな才能を見出し、のちにプロとして活躍する監督は180名を超えている。

 今年も19作品が入選。果たして、どんな才能と出会えるのかを楽しみにしたい。

 それと同時にPFFでは、毎年、国内外の多彩な映画を招待上映している。世界を代表する監督の特集をはじめ、映画祭ならでは、いや映画祭でなければできなかったと思われる企画を実現し、貴重な映画と出会う場を作ってくれている。

 今年の招待作品は6企画。その一つが「自由だぜ!80~90年代自主映画」だ。

 同特集企画はタイトルにもあるように、8ミリフィルムで撮る自主映画熱がピークを迎えていた1980~90年代の自主映画をクローズアップ。なかなか見る機会のない当時、全国の高校や大学の映画研究会などで作られた傑作の数々を上映する。PFFでなければおそらく実現することのない、見ることのできない映画が集まった特集といっていい。

 その「自由だぜ!80~90年代自主映画」の枠内で、8ミリの自主映画ではないが、90年代の自由な映画づくりを象徴する2作として黒沢清監督が「Vシネマだけで終わらせるのは惜しい」と語り今年セルフリメイクした1998年の傑作「蛇の道」と、「蜘蛛の瞳」が特別上映される。この特別上映は、2作品を上映して当時の創作秘話を黒沢清監督が語り尽くすもの。そして、今年1月に逝去した映画編集者で2作の編集を担当した鈴木歓(かん)氏の追悼上映になる。

 少し説明しておくと、鈴木歓氏は日本を代表する映画編集者。若松孝二、廣木隆一、石井聰亙(現・岳龍)、大友克洋ら名だたる監督たちの作品の編集に携わった。中でも黒沢清監督とは縁が深くオリジナルビデオ「勝手にしやがれ!」シリーズ、「CURE」、そして特別上映される「蛇の道」「蜘蛛の瞳」も手掛けている。

 また、ここ数年、新たな若き才能を次々と輩出している京都芸術大学映画学科で2011年から後進の指導にも当たっていた。

 そこで鈴木氏と親交があり、京都芸術大学映画学科で同じく学生の指導に当たっていた福岡芳穂監督と映画配給・宣伝会社「マジックアワー」の代表、有吉司氏の二人に「映画編集者・鈴木歓」について語っていただいた。全六回/第三回

鈴木歓氏   提供:福岡芳穂
鈴木歓氏   提供:福岡芳穂

最初の出会いと同様に、よく覚えていないんです

 前回(第二回はこちら)までで、鈴木歓氏が京都芸術大学映画学科で学生の指導に当たる経緯までを明かしてくれた福岡監督。

 少し話を戻すことになるが、福岡監督の監督作品で鈴木歓氏に最初に編集を依頼したのはどの作品だったのだろうか?

福岡「それが最初の出会いと同様に、よく覚えていないんですよ(苦笑)。

 たぶんピンク映画だったと思うのだけれど、なんだったのかが思いだせない。

 ただ、ほんとうに姿を消す前まではよくお願いしていました。

 あと、僕以外のほかの監督の作品の編集をしているときも、しょっちゅう編集室に遊びに行っていたんですよ。

 仲間内や知り合いの作品が多かったので、気兼ねなく行けたところがあって。

 絶賛編集中のところに行って、『今日は何時に終わるの?』とかちょっとふざけ半分で言うと、『ちょっと待っとけ』とか返ってくる。

 終わったところで一緒に飲みに行く。そこで馬鹿みたいに飲みながら、映画についてああだこうだと話をする。

 いまは映画に限らずですけど、わかり易くて説明がつくことが求められるところがある。

 でも、僕らが若いころは、なんだかわからないけどかっこいい、わからないからわかりたい、そういうものに吸い寄せられていた気がする。

 『なんだかわからないけど、すげぇ』と感じられるような作品を作ろうみたいなことを言う、毎晩を繰り返していました。

 そのときの言葉はいまでも僕の心の中心に残っています」

「蛇の道」(1998)より  (C)KADOKAWA 1998
「蛇の道」(1998)より  (C)KADOKAWA 1998

10回の編集ラッシュの作業をしたとすると、最初の5回ぐらいは毎回違う。

しかも、ちょっと変えたどころではなくまったく違う

 では、映画編集者・鈴木歓という人の仕事はどのようなスタイルだったのだろうか?

福岡「とにかく自由というか。

 たとえば、10回の編集ラッシュの作業をしたとすると、最初の5回ぐらいは毎回違うんですよ。しかも、ちょっと変えたどころではなくまったく違う。

 極端なことを言うと、最初の編集でラストシーンにしていたものを、次の編集では冒頭にもってきていたりする。

 それから、大変な思いをして撮った場面があると、監督としてはやはり情が入るところがあるので必ず入れたいところはある。

 おそらく歓ちゃんもその映像を見れば『これ大変だったろうな』とわかると思う。でも、そういう映像も必要ないならば迷いなくカットするんですよ。

 だから、監督によっては『それはいくらなんでも納得できない』と思った人はいたかもしれない。

 でも、僕はそれが面白くて仕方なかった。自分でもこういう可能性もあるんだと発見することが多かった。

 僕との仕事でいうと、前半はいまお話ししたような感じで、あらゆる可能性を試してみる。

 それを経て中盤ぐらいでなんとなく形が見えてきたかなといったことになる。

 で、ここから一気に完成に向けてまとまるのかなと思ったら、また壊し始める(苦笑)。『このセリフ抜いてみよう』とか『このシーンとこのシーンを入れ替えよう』とか、始まる。映画はほんのちょっとしたことでその全体像が全く変わるので。

 最後の最後に至るまでどうなるかわからない。正解ももともとないとは思うんだけど、やがて試行し尽くした挙句に『これ、面白くなったよね』と歓ちゃんがニヤッと笑って落着する、といった感じでした。

 僕は彼との編集作業の時間はとても楽しかった。編集で映画が変わることもよくわかったし、あらゆる可能性が拡がっていくこともわかったところもありましたから。

 たぶん、そう感じたのは僕だけじゃない。

 黒沢(清)さんをはじめ多くの監督も信頼を寄せたということは、同じように楽しかったんじゃないかなと思います」

印象に残っているのは、「脚本を一切読まない」と言っていたこと

有吉「僕は福岡さんのように仕事に立ち会ったりしたことはないんですけど、歓さんが言っていたことで印象に残っているのは、『脚本を一切読まない』と。

 基本的には脚本を読まないで、上がってきた映像素材を見て編集を考えるという。

 脚本を読まないでつなぐ。そんなこと可能なのか?と個人的には思うし、もしかしたら実は読んでいたんじゃないかとも思うんですけど(笑)。

 それは本人のみぞ知るところなので実際はどうだったかわからない。

 ただ、いまの福岡さんのお話を聞くとあながち嘘じゃないというか間違っていないというか。

 おそらく脚本を読んで、その流れに沿ってOKカットをつないでいったら成立すると思うんです。

 でも、それじゃあ面白くない。もっと面白くなる可能性がきっとある。

 歓さんは、もしかしたら、脚本を読んでしまうとどうしてもそれに縛られてしまう。読まないことでそこから解放されて自由になれるかもしれない。

 そんな考えがあったのではないかと、いま福岡さんの話を聞いて思いました」

(※第四回に続く)

【福岡芳穂監督×有吉司氏インタビュー第一回】

【福岡芳穂監督×有吉司氏インタビュー第二回】

「蜘蛛の瞳」より  (C)KADOKAWA 1998
「蜘蛛の瞳」より  (C)KADOKAWA 1998

招待部門<自由だぜ!80~90年代自主映画>

【特別上映】自主映画じゃないけれど自由だぜ!

「2本撮り」という技、「編集」という技

90年代の自由な映画づくりを象徴する2作「蛇の道」「蜘蛛の瞳」を上映!

1月に逝去した映画編集者・鈴木歓氏を偲び、黒沢監督が登壇し創作秘話を語る

9月11日(水)13:00~国立映画アーカイブ長瀬記念ホール OZUにて上映

<第46回ぴあフィルムフェスティバル2024>ポスタービジュアル  提供:ぴあフィルムフェスティバル
<第46回ぴあフィルムフェスティバル2024>ポスタービジュアル  提供:ぴあフィルムフェスティバル

「第46回ぴあフィルムフェスティバル2024」

期間:2024年9月7日(土)〜21日(土)[月曜休館・13日間]

会場:国立映画アーカイブ

詳細は公式サイトへ https://pff.jp/46th/

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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