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Vシネマで終わらせるのは惜しい復讐劇もこの人の手。名映画編集者は腕の立つ料理人でパン職人?

水上賢治映画ライター
「蛇の道」(1998)より  (C)KADOKAWA 1998

 1977年から続く、<第46回ぴあフィルムフェスティバル2024>(※以下PFF)が昨日9月7日から開催を迎えた。

 "映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに掲げるPFFがメインプログラムに置くのは、自主映画のコンペティション<PFFアワード>。すべての未来の映像作家に開かれた同部門は、これまで数多くの新たな才能を見出し、のちにプロとして活躍する監督は180名を超えている。

 今年も19作品が入選。果たして、どんな才能と出会えるのかを楽しみにしたい。

 それと同時にPFFでは、毎年、国内外の多彩な映画を招待上映している。世界を代表する監督の特集をはじめ、映画祭ならでは、いや映画祭でなければできなかったと思われる企画を実現し、貴重な映画と出会う場を作ってくれている。

 今年の招待作品は6企画。その一つが「自由だぜ!80~90年代自主映画」だ。

 同特集企画はタイトルにもあるように、8ミリフィルムで撮る自主映画熱がピークを迎えていた1980~90年代の自主映画をクローズアップ。なかなか見る機会のない当時、全国の高校や大学の映画研究会などで作られた傑作の数々を上映する。PFFでなければおそらく実現することのない、見ることのできない映画が集まった特集といっていい。

 その「自由だぜ!80~90年代自主映画」の枠内で、8ミリの自主映画ではないが、90年代の自由な映画づくりを象徴する2作として黒沢清監督が「Vシネマだけで終わらせるのは惜しい」と語り今年セルフリメイクもした1998年の傑作「蛇の道」と、「蜘蛛の瞳」が特別上映される。この特別上映は、2作品を上映して当時の制作秘話を黒沢清監督が語り尽くすもの。そして、今年1月に逝去した映画編集者で2作の編集を担当した鈴木歓(かん)氏の追悼上映になる。

 少し説明しておくと、鈴木歓氏は日本を代表する映画編集者。若松孝二、廣木隆一、石井聰亙、大友克洋ら名だたる監督たちの作品の編集に携わった。中でも黒沢清監督とは縁が深くオリジナルビデオ「勝手にしやがれ!」シリーズ、「CURE」、そして特別上映される「蛇の道「蜘蛛の瞳」も手掛けている。

 また、ここ数年、新たな若き才能を次々と輩出している京都芸術大学映画学科で2011年から後進の指導にも当たっていた。

 そこで鈴木氏と親交があり、京都芸術大学映画学科で同じく学生の指導に当たっていた福岡芳穂監督と映画配給・宣伝会社「マジックアワー」の代表、有吉司氏の二人に「映画編集者・鈴木歓」について語っていただいた。全六回/第二回

鈴木歓氏   提供:ぴあフィルムフェスティバル
鈴木歓氏   提供:ぴあフィルムフェスティバル

失踪後は、料理人からパン職人へ。その後、京都芸術大学映画学科准教授に

 前回(第一回はこちら)、映画編集者としてひっぱりだこだった最中、突然、鈴木氏が姿を消したことを明かしてくれた福岡監督。

 その後、どうなったのだろうか?

福岡「本気かどうかわからないんですけど、『編集なんてどうでもいい』『編集の仕事なんてもうやめ』といった感じでうそぶく性格で。

 『そうなの』とか僕は言いながら、何気に付き合は続いていったんですけど……。

 そのあと、彼は実家が国立にあったんですけど、そっちに戻ってきて三鷹のレストランで料理人として働き始めるんですよ。

 そのあと、今度は三鷹のパン屋で職人になる。次いでついに自分の家にプロ機材を入れてパンを焼き始めた。天然酵母のパンを(笑)。

 パンを売る実店舗はなかったんですけど、確か一軒だけ国立に納品していたパン屋がありました。

 本人が『パンを焼いている』というので、僕はメールで注文してよく送ってもらっていました。『編集より才能あるんじゃない?』というぐらいうまかったです(笑)」

有吉「余談になりますけど、ほんとうに歓さんの料理はうまくて。

 京都芸術大学に行っていたときは、よく歓さんのお宅におじゃまして、僕が食材だけ買っていって、なにか料理を作ってもらう。

 それをよくごちそうになりました」

福岡「それぐらい料理の腕が立つ人だったんですよ。

 話しを戻すと、注文してパンをよく送ってもらっていたんですけど、するとパン以外に何か入っているんですよ。

 それは何かというと、CDやDVDで。

 鈴木歓という人は映画のみならず音楽やアート、文学などあらゆるものに精通していてものすごい情報量を自分の中に蓄積していた。

 それで、パンを頼むと、たとえば彼が選んだ音楽全集のCDとか、見たことのない映画のDVDが一緒に送られてくる。

 だから、映画から離れたわけではないと僕は思っていました。

 そんなやりとりを続けていたら、あるとき、パン作りもそろそろやめようかなと言い出して。

 ちょうどそのころ、僕が京都芸術大学映画学科で教え始めて。

 2009年のことですけど、その年の合評で学生の作品を見たときに、ショックを受けたんです。

 何にショックを受けたかというと、編集で。映画における編集作業についてまったくわかっていないのではないかと思いました。

 それと他人に見せるという意識がまったくない。

 もう自分だけで充足してしまって、合評が終わったらほんとうに棚に置いて終わり、みたいな感じでした。たとえば自主上映でもいいから上映して誰かに見てもらうみたいな意識がない。

 これはまずいなと思って。そこで映画を見せることに関しては有吉さんにお声がけして」

有吉「はい、声をかけられました」

福岡「で、ちょうど歓ちゃんがパン作りをやめると言っているから、編集の教員として来てもらうと声をかけた。

 それでなんとなく察しがつくと思うんですけど、本人は嫌がるわけです。なにせ自由な人ですから。『お前、俺が人に教えることができると思うか』と。

 まあ、そこはうまくなだめて、『俺もよく編集のことがわからない。だから、ちょっと歓ちゃん、編集のこと教えてよ。それを学生に伝える』からとか言って。

 次はやっぱり話しを聞いたたけだとわからないから、ちょっと重要なことを書き出してくれないかなとお願いする。

 で、『これとこれがよくわからないから詳しく』とお願いすると、『もうめんどうだから俺が全部書く』となって『映画編集の密かな愉しみ』というテキストができたんです。

 出来たら出来たで、1日だけ来て講義してくれない?と誘って、そうやって一歩一歩引きこんでいきました。

 で、来てくれることになったんですけど、来たら来たで彼は若い人たちと話したり、何かを一緒にしたりすることが好きだから、どんどんやりたいこと膨らんでいった。

 テキストも最初は学生全員に配ると言っていたけど、学生があまり読まないことが分かって。また、彼は一方的に教えたり伝えてたりする、なにか学生に押し付けるようなスタイルは好まなかった。

 なのでテキストにあることを全部、彼と学生とが一緒になって実践していく講義に最後はなっていましたね。

 そんな感じで、2010年にまず非常勤講師として入って、3年目ぐらいから准教授として学生たちの指導に当たっていました。

 同じころ、『北白川派』(※京都芸術大学と映画学科が組み、プロと学生が協働で一年をかけ一本の映画を作り、劇場公開を目指すプロジェクト)のプロジェクトが本格的に動いていたので、 第三弾の山本起也監督『カミハテ商店』に歓ちゃんが編集に入って。それ以降の『北白川派』作品の編集はずっと彼ですね。

 歓ちゃんとの付き合いはざっというとこんな感じです」

(※第三回に続く)

【福岡芳穂監督×有吉司氏インタビュー第一回】

「蛇の道」(1998)より  (C)KADOKAWA 1998
「蛇の道」(1998)より  (C)KADOKAWA 1998

招待部門<自由だぜ!80~90年代自主映画>

【特別上映】自主映画じゃないけれど自由だぜ!

「2本撮り」という技、「編集」という技

90年代の自由な映画づくりを象徴する2作「蛇の道」「蜘蛛の瞳」を上映!

1月に逝去した映画編集者・鈴木歓氏を偲び、黒沢監督が登壇し創作秘話を語る

9月11日(水)13:00~国立映画アーカイブ長瀬記念ホール OZUにて上映

<第46回ぴあフィルムフェスティバル2024>ポスタービジュアル  提供:ぴあフィルムフェスティバル
<第46回ぴあフィルムフェスティバル2024>ポスタービジュアル  提供:ぴあフィルムフェスティバル

「第46回ぴあフィルムフェスティバル2024」

期間:2024年9月7日(土)〜21日(土)[月曜休館・13日間]

会場:国立映画アーカイブ

詳細は公式サイトへ https://pff.jp/46th/

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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