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あの芸人はなぜNSCに行かなかったのか? 芸人が”芸人”になるまでの戦略と信念と偶然

飲用てれびテレビウォッチャー
(提供:イメージマート)

 現在メディアで活躍する人気芸人のうち、もっとも多くを占めるであろう吉本興業の芸人たち。その多くは、吉本興業が運営するタレント養成所である吉本総合芸能学院、いわゆるNSC(New Star Creation)の出身者である。

 もちろん、芸人の養成所をもうけている芸能事務所はほかにもある。養成所にかよわなくても芸人にはなれる。最近だと、大学のお笑いサークルを経由して芸人になったケースが注目されている。

 しかし、NSCはあたかも、芸人の卵がとおる”定番”のルートになっているようにも見える。メディアで活躍するNSC卒の芸人の多さや、彼ら・彼女らから語られるNSCに関するエピソードの豊富さも、そんな”定番”化を推し進めているのだろう。

 では、逆にNSCに入らなかった芸人たちは、なぜそういう選択をしたのだろうか。この記事では、いわば”芸人”になる前の芸人たちの選択について、テレビで当人たちが語った内容を中心にまとめてみたい。

■競争を避けるため

 NSCを選ばなかった芸人からしばしば聞かれるのは、「競争を避けるために別ルートを選択した」といった理由だ。たとえば、芸人になるために日本映画学校(現・日本映画大学)に入学したバカリズム。同校を選んだのは、卒業生であるウッチャンナンチャンへの憧れもあるという。ただ、別の理由もあったようだ。

ここにいいルートがあると思って。吉本とか入っちゃうと競争も激しいじゃないですか。日本映画学校って芸人めざしてるヤツいないから、そこで芸人めざしてるヤツが授業に参加したら、才能あるように映るじゃないですか。絶対こっちのほうが近道だと思って。(『あさイチ』NHK総合、2020年2月28日)

 競争を避けるためにNSCに行くのをやめたケースとしては、松竹芸能のよゐこがよく知られているかもしれない。濱口優は振り返る。

NSC入ろうと思ったんですよ、最初は。でもある新聞にNSCの記事が載ってて、その当時800人ぐらい応募があって、入れんのが300人ぐらいで、夏までに80人ぐらいに減って、卒業するのは1組か2組。で、その1組か2組かも仕事があるかないかの状態ですって。それが今のお笑いの状況ですっていうのが載ってて。「うわ、これNSC無理や」と思って。ほんならその下に、ちっちゃい広告で松竹芸能の募集要項で、「即戦力募集」って載ってた。「あ、松竹行ったらすぐ漫才師なれるぞ」って。「吉本やめて松竹行こう」って有野誘って松竹行った(『やすとものいたって真剣です』朝日放送、2021年5月27日)

 NSCを選ばないことは、NSCを意識しないことではない。バカリズムやよゐこのエピソードからは、NSCが存在感を高め、芸人志望者が増えるなかで、芸人になるための入口選びがより戦略的になっていく様子がみてとれるだろう。

 また、現在サンミュージックプロダクションに所属しているカズレーザー(メイプル超合金)も、競争を避けるといった理由でNSCを避けた芸人のひとりだ。彼も最初は、NSCを選択肢にいれていたという。

NSC最初行こうかと思ったんですよ。ただ、めちゃくちゃ競争率が高えぞと。厳しかったりするって話聞いてたんすよ。厳しいの嫌だな、と。で、いろいろお笑い事務所みてたら、サンミュージックっていう事務所があったんすよ。パッてみて、そしたら(サイトの)トップページにダンディ坂野さんがセンターでこう(ゲッツを)やってたんすよ。すげぇ楽そうだなと思って。俺もこういう感じがいいと思って入った。(『人生最高レストラン』TBS系、2020年2月29日)

 ただ、カズレーザーはサンミュージックの養成所に入るまえに、東ブクロ(現・さらば青春の光)とのコンビで活動していた時期がある。彼らは、ワタナベエンターテインメントの養成所のオーディションを兼ねたコンテストに参加した。

 しかし、そこで優勝したのは当時高校生のハライチだった。結果、ハライチはワタナベの養成所に特待生で入り、カズレーザーらはコンビを解散。東ブクロはその経緯を次のように語る。

ナベプロに受けに行ったんですよ、(カズレーザーと)2人で。「ハライチっていうすごいのがおる」っていって受けたら、(優勝したハライチは養成所の学費48万円が全額免除だったが)俺らは5万円免除やったんですよ。「これはアカンわ辞めよう」っていって解散したんです。だから、初めてカズレーザーの鼻を折ったのは、ハライチさんなんですよ。(『あちこちオードリー』テレビ東京系、2019年11月16日)

 では、そんなハライチはなぜワタナベの養成所のオーディションを受けたのか? 岩井勇気はいう。

養成所に入るっていう流れがあったんですよ、僕らのときは。で、吉本のNSC入っても、いっぱいいるし埋もれるだろうっていうことで。ワタナベがまだできたてだったんですよ、養成所が。ここだったら人数も割と少ないし、大事にされるんじゃないかと思って、そこにしたんですよね。(『チマタの噺』テレビ東京系、2021年8月24日)

 競争を避けてサンミュージックの養成所に入ったカズレーザー。その選択にいたる背景は、ハライチの存在があったのかもしれない。そしてそのハライチにもまた、大勢との競争のなかで埋もれることを避けるという戦略があったのだ。

写真:イメージマート

■入らなかったのではなく、入れなかった

 NSCに入りたかったのだが、入ることができなかった、というパターンもある。たとえば三四郎の小宮浩信は、NSCに入ろうと事務所まで願書をもらいに行ったらしい。だが、まだ願書は配布前だった。願書の送付をお願いしてその場を去った小宮。しかしその後、願書が送られてくることはなかった。

受付で「願書はちょっとまだなんで」っていわれて。「送りますんで」っていわれて、連絡先とか書いてたんですけれども、そっからまったく送られてこなくて。噂に聞いてたのこれか、と思って。そういうところあんまりちゃんとしてないみたいな。わかんないですけど。ルーズと聞いてたのはこれのことかと。(『これ余談なんですけど…』朝日放送、2021年5月25日)

 「ルーズ」だったのは、はたして事務所側だけなのか。そんな疑問もあるが、いずれにしても、すこし珍しいパターンかもしれない。もともと2004年のアンタッチャブルのM-1優勝を見て芸人を志したという小宮。彼はその後、相方の相田とともにアンタッチャブルが所属する人力舎の養成所に入った(現在はマセキ芸能社に所属)。

 NSCに入りたかったが入れなかった、という人のなかには、受験をしたが落ちてしまった、というケースもある。

 たとえば、ホリプロにオーディションで入った永野(現在はグレープカンパニー所属)も、もともとNSCに入ろうとしたらしい。しかし、面接で落とされてしまったという。どこまで真に受けるかはともかく、当人は次のように語る。

95年に東京NSCがはじまったんですね。そのときに、自分もお笑いやりだしてたんですけど、東京NSC受けようかなと思って。僕も面接で落ちました。95年って鈴木蘭々さんが流行ってたんで。普通にやってもしょうがないなと思って、「不思議少年あらわる」ってフリをして。ずっと舌っ足らずでしゃべってたら落ちちゃいました。(『痛快!明石家電視台』毎日放送、2022年3月14日)

 また、千鳥の大悟もNSCに落ちた芸人の1人だ。なぜ落ちたのか。その理由はやはり面接時の態度にあったようだ。彼は何か奇抜なことをしなければ受からないと考えた結果、面接官に対し「さっきからお前ら偉そうにしてるけど、ワシよりおもろいんか」と啖呵を切った。

いま思えば(面接官は)ホントに吉本の社員のエラいさんなんですけど、その人が「君ケンカ売りにきたんなら帰りなさい」って。でもこれがすごいのが、僕がもし「ほんならワシ帰りますわ」って帰ってたら、もしかしたら吉本やから、あいつなんかあるかもしれんと思って合格させたかもしんないんですけど、「お前ケンカ売りに来たんなら帰れ」っていわれて、ワシ、ヤバいと思って「すいませんでした…」。これが一番よくない。(『人志松本の酒のツマミになる話』フジテレビ系、2022年2月18日)

 大悟いわく、NSCで落ちる人数は少ない。大悟はその少数の1人になってしまった。不運に見える結果。しかし当人は、それを「運がよかった」と振り返る。

結局そのおかげで、そこの学校に行かなかったから、一番はじめに笑いを教えてもろったんが(同じくNSCを落ちた哲夫と、中退した西田の)笑い飯で。笑い飯に出会えたし。あと、そこの学校に行ってたらたぶんそこで(コンビを)組んでるから、ノブと組んでないんすよ。とか考えたら、1000人中1人か2人しか落ちないのを落ちれたんは、いま考えれば運がよかった。(同前)

■笑いは教わるものではないから

 そもそも、笑いは教わるものなのか。そんな理由から、そもそも養成所に行くという選択をとらない芸人たちもいる。

 たとえば、カミナリの場合。おさななじみのコンビである石田たくみと竹内まなぶは、「養成所がある事務所は、絶対行かないようにしよう」と決めていたという。たくみは語る。

これはまなぶのセリフなんですけど、「お笑いは教えてもらうもんじゃねぇ」って。「俺たちが培ってきたものをぶつける」っていう。(『あちこちオードリー』テレビ東京系、2020年11月17日)

 あるいは、ANZEN漫才の場合。彼らは18歳でフリーの芸人になった。その”天然”っぷりでブレイクしたみやぞんは、「ホントはNSCさんとか、憧れのそういうところに入りたかった」とふりかえる。そんなみやぞんを翻意させたのは、大衆演劇の舞台に立っていたこともある彼の母親だったという。

うちの母が大衆演劇やってまして。(相方の)あらぽんが「一緒に漫才みてもらおう」ってなって。それで(母が)漫才みたときに、「あんたらネタ駄目だ」ってなって。「お笑いって学ぶもんじゃないし、そのへんに笑いって落ちてんのに、それもみつけられないあんたらが(養成所)行って何ができんの?」っていわれたんですよ。それで、その場で(養成所に入るのを)やめたっていう。(『櫻井・有吉 THE夜会』TBS系、2019年3月7日)

 そこから彼らはフリーの芸人となった。芸の指針は母からいわれた「落ちている笑いを探す」こと。それは、彼らの地元である足立区を”再発見”することでもあった。のちに”天然”が発見されるみやぞんが最初にテレビに出たきっかけは、足立区の”あるある”を弾き語るネタだった。

落ちてる笑いを探しましょうっていって。最終的に足立区の歌っていう、足立区のおもしろさ、自分の住んでるところがこんなにおもしろいんじゃないかってことを歌って。それでちょっと良くなってく。その歌でテレビに出れるんですけど。(同前)

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■他事務所からのスカウト

 他事務所からのスカウトがあったためNSCには行かなかった、という芸人たちも多い。ここでは、吉本の”お膝元”である大阪で、松竹芸能からスカウトを受けた芸人を2組紹介しよう。

 現在はワタナベエンターテインメントに所属するAマッソは、はじめ松竹芸能にいた。大阪で生まれ育った加納と村上からなるこのコンビも、例にもれず、はじめは吉本のNSCに行く予定だったという。しかし、インディーズライブでネタを披露していた彼女たちに声をかけたのは、松竹の関係者だった。「そんとき、松竹がタダで入れたるよキャンペーンをやってたんですよ」と加納はふりかえる。

NSCに行こうっていってたんですよ。で、お金を貯めようっていってたんですけど、インディーズライブ出てるときに「松竹おいでよ」みたいにいってもらって。「第2のオセロ、なりたくない?」みたいな。(『あちこちオードリー』テレビ東京系、2021年12月1日)

 ヒコロヒーの場合も、スカウトだった。近畿大学に在学していた彼女は、大学のお笑いサークルに所属。学祭で開催されていたお笑いの大会でネタを披露していたところ、松竹芸能の関係者から名刺をもらったらしい。彼女の次のような証言は、推測が入ってはいるものの、関西における養成所事情の一端を示しているのかもしれない。

黙ってても吉本興業行くから、関西の人。(松竹芸能は名刺を)配らないと人が入ってこないっていうので、ばらまいてたっていうのもあると思う。(『あちこちオードリー』テレビ東京系、2021年10月27日)

■学生お笑いサークルというルート

 もちろん、スカウトをしているのは他事務所だけではない。吉本興業もまた、芸人の卵やフリーで活動している芸人に声をかけることがある。そして、先のヒコロヒーもそうだが、スカウトの対象は大学生だったりもする。

 たとえば、学生お笑いサークルの世界で有名になっていたラランドは、吉本から声をかけられたことがあるという。在学時、ラランドが所属する上智大学のお笑いサークルが、吉本が主催する大学お笑いサークルの大会で団体優勝したといった経緯があったからだ。

 こういった芸能事務所が関係する学生対象のお笑いコンテストで結果をのこすことは、養成所に入るルートのひとつである。たとえばハナコの岡部大は当時組んでいたコンビでワタナベエンターテインメントが主催する大会で優勝し、特待生としてワタナベの養成所に入った。

 ラランドもその後、吉本興業にスカウトされた。が、断ったようだ。そこにあったのは、差異化をはかる戦略か、芸人のありかたを広げたいという信念か、はたまた別の理由か。サーヤは語る。

「君たち優勝したからNSC半額で入れてあげるよ」っていわれて。「半額かい」っていってやめました。(『桃色つるべ』関西テレビ、2020年10月16日)

 昨今、しばしば大学のお笑いサークルが話題になる。ミルクボーイやマヂカルラブリーの村上、空気階段の鈴木もぐらなど、賞レースで結果を残すサークル出身の芸人が少なくないというのも大きいだろう。学生お笑いサークルへの注目は、芸人へのルートの拡張を意味するひとつの事象なのかもしれない。

 学生お笑いサークルの舞台にも足を運ぶ伊集院光は、芸人になる道の変遷を次のように跡づける。

俺は、お笑い始めるのに師匠につく最後の芸人。次に、学校に行く芸人で。たぶんその先のところに、割とこう(大学の)お笑いサークルで切磋琢磨した人たちがドラフトみたいに入ってくる時代がきてる。(中略)すごい時代だなと思うのって、お笑いだけはみんな自薦で入ってたじゃん。なんの担保もなく、クラスで一番つまんなくても弟子にしてくださいとか、養成所入るとか自薦で入ってたのに、この時代はスカウトがくるって、ちょっといままであまりありえないことだけど、いまやいろんな事務所のスカウトたち、客席にもいるもんね。(『お笑い実力刃』テレビ朝日系、2022年2月23日)

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■”芸人”になる前の芸人たちの選択

 お笑い芸人の養成所として最大手のNSC。そこからは毎年多くの芸人たちが生まれている。そして、そのような芸人たちの一部がメディアや舞台で活躍し、笑い声を生んでいる。

 一方、NSCを経由しなかった芸人たちもいる。ある芸人は、戦略的にNSCを選ばなかったと語る。ある芸人は、信念をもって養成所というシステム自体を選ばなかったと語る。またある芸人は、たまたまNSCとは別のルートが目の前にあらわれたと語る。

 ”芸人”になる前の芸人たちの選択、あるいは選択というよりも、なぜかたどり着いてしまったとしかいいようのない状態。それは、戦略と信念と偶然と、そんな要素が織りなす結果だったといえるだろうか。

 もちろん、よゐこが松竹の養成所を戦略的に選んだきっかけが、濱口がたまたま読んだNSCについての新聞記事だったように、それらの要素は複合的なのだろう。たまたまNSCを落ちてしまった、運がよかったと語る大悟の面接での言動にも、いまにつながる彼なりの芸人としてのスタンスのようなものが見え隠れする。

 いずれにせよ、現在テレビで活躍する芸人たちの多くが、芸人になるための入口として少なからずNSCを意識していたことが見てとれる。芸人になるルートとしてNSCが”定番”化する流れ、そして芸人志望者が拡大し、他事務所のリクルート活動もより活発になっていく流れは軌を一にする。テレビや舞台、インターネットなどをとおして多様な笑いが生まれる現在の状況。それは、NSCの存在感が高まるなかで切り開かれてきた面が、少なからずあるのだろう。

 なお、今回紹介したのは近年のテレビで芸人たちが語った内容だ。よって、この記事は結果をのこした芸人たち、いわば生存者たちの声によってなりたっている。それゆえの偏りもあると思われる。

 この声のうしろには、テレビには映らないたくさんの芸人たちがいる。そしてそれ以上に、芸人にならなかった/なれなかったものたちがいる。世間にあまり聞かれない彼ら・彼女らの声。数々の芸能事務所がかかえる養成所は、私たちの笑い声とともにそんな声も毎年大量に生みだし続けている。それもまた、NSCが存在感を高めるなかで拡大してきた、芸人の養成所というシステムが切り開いた景色なのだろう。

テレビウォッチャー

関西在住のテレビウォッチャー。文春オンライン、現代ビジネス、日刊サイゾー、日刊大衆、週刊女性PRIME、電子コラム&レビュー誌『読む余熱』などでテレビに関する文章を執筆。

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