あの芸人はなぜNSCに行かなかったのか? 芸人が”芸人”になるまでの戦略と信念と偶然
現在メディアで活躍する人気芸人のうち、もっとも多くを占めるであろう吉本興業の芸人たち。その多くは、吉本興業が運営するタレント養成所である吉本総合芸能学院、いわゆるNSC(New Star Creation)の出身者である。
もちろん、芸人の養成所をもうけている芸能事務所はほかにもある。養成所にかよわなくても芸人にはなれる。最近だと、大学のお笑いサークルを経由して芸人になったケースが注目されている。
しかし、NSCはあたかも、芸人の卵がとおる”定番”のルートになっているようにも見える。メディアで活躍するNSC卒の芸人の多さや、彼ら・彼女らから語られるNSCに関するエピソードの豊富さも、そんな”定番”化を推し進めているのだろう。
では、逆にNSCに入らなかった芸人たちは、なぜそういう選択をしたのだろうか。この記事では、いわば”芸人”になる前の芸人たちの選択について、テレビで当人たちが語った内容を中心にまとめてみたい。
■競争を避けるため
NSCを選ばなかった芸人からしばしば聞かれるのは、「競争を避けるために別ルートを選択した」といった理由だ。たとえば、芸人になるために日本映画学校(現・日本映画大学)に入学したバカリズム。同校を選んだのは、卒業生であるウッチャンナンチャンへの憧れもあるという。ただ、別の理由もあったようだ。
競争を避けるためにNSCに行くのをやめたケースとしては、松竹芸能のよゐこがよく知られているかもしれない。濱口優は振り返る。
NSCを選ばないことは、NSCを意識しないことではない。バカリズムやよゐこのエピソードからは、NSCが存在感を高め、芸人志望者が増えるなかで、芸人になるための入口選びがより戦略的になっていく様子がみてとれるだろう。
また、現在サンミュージックプロダクションに所属しているカズレーザー(メイプル超合金)も、競争を避けるといった理由でNSCを避けた芸人のひとりだ。彼も最初は、NSCを選択肢にいれていたという。
ただ、カズレーザーはサンミュージックの養成所に入るまえに、東ブクロ(現・さらば青春の光)とのコンビで活動していた時期がある。彼らは、ワタナベエンターテインメントの養成所のオーディションを兼ねたコンテストに参加した。
しかし、そこで優勝したのは当時高校生のハライチだった。結果、ハライチはワタナベの養成所に特待生で入り、カズレーザーらはコンビを解散。東ブクロはその経緯を次のように語る。
では、そんなハライチはなぜワタナベの養成所のオーディションを受けたのか? 岩井勇気はいう。
競争を避けてサンミュージックの養成所に入ったカズレーザー。その選択にいたる背景は、ハライチの存在があったのかもしれない。そしてそのハライチにもまた、大勢との競争のなかで埋もれることを避けるという戦略があったのだ。
■入らなかったのではなく、入れなかった
NSCに入りたかったのだが、入ることができなかった、というパターンもある。たとえば三四郎の小宮浩信は、NSCに入ろうと事務所まで願書をもらいに行ったらしい。だが、まだ願書は配布前だった。願書の送付をお願いしてその場を去った小宮。しかしその後、願書が送られてくることはなかった。
「ルーズ」だったのは、はたして事務所側だけなのか。そんな疑問もあるが、いずれにしても、すこし珍しいパターンかもしれない。もともと2004年のアンタッチャブルのM-1優勝を見て芸人を志したという小宮。彼はその後、相方の相田とともにアンタッチャブルが所属する人力舎の養成所に入った(現在はマセキ芸能社に所属)。
NSCに入りたかったが入れなかった、という人のなかには、受験をしたが落ちてしまった、というケースもある。
たとえば、ホリプロにオーディションで入った永野(現在はグレープカンパニー所属)も、もともとNSCに入ろうとしたらしい。しかし、面接で落とされてしまったという。どこまで真に受けるかはともかく、当人は次のように語る。
また、千鳥の大悟もNSCに落ちた芸人の1人だ。なぜ落ちたのか。その理由はやはり面接時の態度にあったようだ。彼は何か奇抜なことをしなければ受からないと考えた結果、面接官に対し「さっきからお前ら偉そうにしてるけど、ワシよりおもろいんか」と啖呵を切った。
大悟いわく、NSCで落ちる人数は少ない。大悟はその少数の1人になってしまった。不運に見える結果。しかし当人は、それを「運がよかった」と振り返る。
■笑いは教わるものではないから
そもそも、笑いは教わるものなのか。そんな理由から、そもそも養成所に行くという選択をとらない芸人たちもいる。
たとえば、カミナリの場合。おさななじみのコンビである石田たくみと竹内まなぶは、「養成所がある事務所は、絶対行かないようにしよう」と決めていたという。たくみは語る。
あるいは、ANZEN漫才の場合。彼らは18歳でフリーの芸人になった。その”天然”っぷりでブレイクしたみやぞんは、「ホントはNSCさんとか、憧れのそういうところに入りたかった」とふりかえる。そんなみやぞんを翻意させたのは、大衆演劇の舞台に立っていたこともある彼の母親だったという。
そこから彼らはフリーの芸人となった。芸の指針は母からいわれた「落ちている笑いを探す」こと。それは、彼らの地元である足立区を”再発見”することでもあった。のちに”天然”が発見されるみやぞんが最初にテレビに出たきっかけは、足立区の”あるある”を弾き語るネタだった。
■他事務所からのスカウト
他事務所からのスカウトがあったためNSCには行かなかった、という芸人たちも多い。ここでは、吉本の”お膝元”である大阪で、松竹芸能からスカウトを受けた芸人を2組紹介しよう。
現在はワタナベエンターテインメントに所属するAマッソは、はじめ松竹芸能にいた。大阪で生まれ育った加納と村上からなるこのコンビも、例にもれず、はじめは吉本のNSCに行く予定だったという。しかし、インディーズライブでネタを披露していた彼女たちに声をかけたのは、松竹の関係者だった。「そんとき、松竹がタダで入れたるよキャンペーンをやってたんですよ」と加納はふりかえる。
ヒコロヒーの場合も、スカウトだった。近畿大学に在学していた彼女は、大学のお笑いサークルに所属。学祭で開催されていたお笑いの大会でネタを披露していたところ、松竹芸能の関係者から名刺をもらったらしい。彼女の次のような証言は、推測が入ってはいるものの、関西における養成所事情の一端を示しているのかもしれない。
■学生お笑いサークルというルート
もちろん、スカウトをしているのは他事務所だけではない。吉本興業もまた、芸人の卵やフリーで活動している芸人に声をかけることがある。そして、先のヒコロヒーもそうだが、スカウトの対象は大学生だったりもする。
たとえば、学生お笑いサークルの世界で有名になっていたラランドは、吉本から声をかけられたことがあるという。在学時、ラランドが所属する上智大学のお笑いサークルが、吉本が主催する大学お笑いサークルの大会で団体優勝したといった経緯があったからだ。
こういった芸能事務所が関係する学生対象のお笑いコンテストで結果をのこすことは、養成所に入るルートのひとつである。たとえばハナコの岡部大は当時組んでいたコンビでワタナベエンターテインメントが主催する大会で優勝し、特待生としてワタナベの養成所に入った。
ラランドもその後、吉本興業にスカウトされた。が、断ったようだ。そこにあったのは、差異化をはかる戦略か、芸人のありかたを広げたいという信念か、はたまた別の理由か。サーヤは語る。
昨今、しばしば大学のお笑いサークルが話題になる。ミルクボーイやマヂカルラブリーの村上、空気階段の鈴木もぐらなど、賞レースで結果を残すサークル出身の芸人が少なくないというのも大きいだろう。学生お笑いサークルへの注目は、芸人へのルートの拡張を意味するひとつの事象なのかもしれない。
学生お笑いサークルの舞台にも足を運ぶ伊集院光は、芸人になる道の変遷を次のように跡づける。
■”芸人”になる前の芸人たちの選択
お笑い芸人の養成所として最大手のNSC。そこからは毎年多くの芸人たちが生まれている。そして、そのような芸人たちの一部がメディアや舞台で活躍し、笑い声を生んでいる。
一方、NSCを経由しなかった芸人たちもいる。ある芸人は、戦略的にNSCを選ばなかったと語る。ある芸人は、信念をもって養成所というシステム自体を選ばなかったと語る。またある芸人は、たまたまNSCとは別のルートが目の前にあらわれたと語る。
”芸人”になる前の芸人たちの選択、あるいは選択というよりも、なぜかたどり着いてしまったとしかいいようのない状態。それは、戦略と信念と偶然と、そんな要素が織りなす結果だったといえるだろうか。
もちろん、よゐこが松竹の養成所を戦略的に選んだきっかけが、濱口がたまたま読んだNSCについての新聞記事だったように、それらの要素は複合的なのだろう。たまたまNSCを落ちてしまった、運がよかったと語る大悟の面接での言動にも、いまにつながる彼なりの芸人としてのスタンスのようなものが見え隠れする。
いずれにせよ、現在テレビで活躍する芸人たちの多くが、芸人になるための入口として少なからずNSCを意識していたことが見てとれる。芸人になるルートとしてNSCが”定番”化する流れ、そして芸人志望者が拡大し、他事務所のリクルート活動もより活発になっていく流れは軌を一にする。テレビや舞台、インターネットなどをとおして多様な笑いが生まれる現在の状況。それは、NSCの存在感が高まるなかで切り開かれてきた面が、少なからずあるのだろう。
なお、今回紹介したのは近年のテレビで芸人たちが語った内容だ。よって、この記事は結果をのこした芸人たち、いわば生存者たちの声によってなりたっている。それゆえの偏りもあると思われる。
この声のうしろには、テレビには映らないたくさんの芸人たちがいる。そしてそれ以上に、芸人にならなかった/なれなかったものたちがいる。世間にあまり聞かれない彼ら・彼女らの声。数々の芸能事務所がかかえる養成所は、私たちの笑い声とともにそんな声も毎年大量に生みだし続けている。それもまた、NSCが存在感を高めるなかで拡大してきた、芸人の養成所というシステムが切り開いた景色なのだろう。