【札幌市中央区】緑生い茂るサッポロファクトリーの横で、消え行くクランクの記録。
有名なクランク。
まずはこのクランクという言葉、日本では自動車教習所で習うので有名な言葉ですが、もしかしたら和製英語かも知れないし、そうでなくても枡形道路を意味する言葉としては海外では日本ほど使われることはないようです。ま、日本の城下町などがクランクだらけというのもあるでしょうが。
イギリスのランカシャーには、クランクロードという有名な曲がりくねった風光明媚な道があるようです。
札幌は、開拓使時代にもちろん人工的に東西南北の道が作られ、それがとても合理的なので、150年ほど経った今でもかなりの部分、その都市計画のベースが使われています。だから本来、あまりクランクは存在しないはず。
しかし、北1条と北2条の間の東4丁目通、ファクトリーの西側、ここだけ少し道が東にずれていて、南北の行き来が少し不便になっていました。札幌では有名なクランクではないでしょうか。
しかしこれを今解消すべく、工事が進んでいます。
北2条側から北1条の方向をみると、ちょうど道幅一本がずれているのがわかります。これが現在工事中で解消されると真っ直ぐなるんですね。
のまち歩きツアーでガイドを務めた時にも、2日に渡って参加者の皆さんにこのクランクを見てもらいました。
このイベントに来てくれた代燃車「まき太郎」に萌え萌え。これはまた記事にします。
しかし!
解消、といっても何か問題があってズレたのが元に戻ったのではなく、いろいろなところで指摘されている通り、ここにはもともと水の流れがあり、(昔の豊平川の流れに深く関係している)それを利用して貯木場が2つあったので、それを避けるために、大通から北2条にかけて、現在の東4丁目線にあたる南北の道が、最初から普通の碁盤の目の間隔より東側に位置していたのです。
そもそも、当時はこの東4丁目よりも東側にはきちんとした南北の通りがなく、碁盤の目が形成されていなかったのです。
東西だけではなく、上下にもズレていた。
大通と北一条通の間には小さな崖線があり、ここで少し地面は高低差がありました。この上下(高低)のずれは、今でも残っています。
ここの湧水(あるいは豊平川からの導水)の流れに落差がありそれを利用して木材を水車を応用してカットする施設などもあったと言われています。まさに貯木場にはうってつけの場所だったわけですね!
そしておそらくは貯木場が無くなった時、この東4丁目通の大通から北1条の区間は先んじて碁盤の目の間隔に整えられるため、道を少し西にずらしました。
それからかなりの時間が経ち、まさに今、北1条と北2条の間もちょうど碁盤の目間隔にそろえられようとしているというわけで、解消ではなく、長い長い道路移設の歴史なのでしょう。
クランク発生の影には、水流あり。
古地図を見ていると、ほぼ、どの地図でもこの地域には3本ほどの小さい流れが集まり、貯木場を潤して、その後北の方面に流れて蛇行し、現在のJRをくぐって東に蛇行し、やがて現在の伏籠川につながるわけです。
しかし、事はそう単純でもなく、クランクから大通方面に向かい崖線が由来である坂を登ると、現在今年の11月の移転に向けて北海道新聞社本社ビルが建設中なのですが、この辺りに来ると、かつてのこの辺りは豊平川本流が蛇行して流れていたようでした。さらに遡ると江戸中期まで豊平川は伏籠川の流路でしたので、貯木場に繋がる流れはまさにかつての本流だったわけです。
したがって建設中の新しい道新本社社屋あたりは、果たして単に蛇行した豊平川があって、それ関連の湧水があったのか、それともまだ川みたいのが流れていたのか、湿地みたいだったのか、それはこれから調べて行きたいと思います。
水流の地下には地下水あり。
この過去の水の流れの近くにはもちろん地下水の流れがあり、それゆえにサッポロビールが20世紀後半までここでビールを醸造でき、向かいの岩佐ビルはもともとラムネ工場でしたが、その水源ともなったわけです。今でも水は地下を流れているそうです。
というわけで、クランクが長い年月をかけて移動する歴史は、さらに昔の豊平川の水流の歴史に結びついて行きそうです。
★創成イーストのクランク
場所: 札幌市中央区 北1条通と北2条通り の間の東4丁目通
こちらの記事に色々エッセンスが書かれています。(創成イースト 街づくりと再開発の軌跡)