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北朝鮮は米韓演習に構っていられるのか?――前例なき「既得権益叩き」に忙しい金正恩総書記

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
党地方幹部との記念撮影に臨む金正恩総書記=労働新聞より筆者キャプチャー

 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)総書記が今、前例のない国内改革を進めている。厳しい国連制裁や新型コロナウイルス対策の国境封鎖などによる経済悪化を切り抜けるため、自身の権力基盤に影響を与えかねない「既得権益叩き」に打って出ているのだ。この状況の中で、8日開始の米韓合同軍事演習に対応する余裕があるのか、関係者が注視している。

◇「特殊機関」にも容赦なく

 金総書記は2月の朝鮮労働党中央委員会総会で、次のような発言をした。「単位特殊化と本位主義は、部門と団体の帽子をかぶった、勝手気ままで、重大な反党的、反国家的、反人民的行為だ」

 これを言い換えれば、これまで「特殊機関」と呼ばれる組織が利権を思うままにして国内の経済秩序を乱してきた。これにメスを入れる――となるだろう。

 この特殊機関は、筆者が北京で取材をしていた際、中国駐在の北朝鮮外交官やビジネスマンらから頻繁に聞かされてきた用語だ。

「(北)朝鮮には人民経済、第2経済(兵器開発資金)、特殊経済、闇経済がある。特殊経済とは特殊機関が動かす経済で、特殊機関傘下企業を『特殊商社』と呼ぶ」

「東南アジアの国々に特殊機関がIT(情報技術)部隊を送って作業をやらせている」

「マレーシア駐在の(朝鮮人民軍)偵察総局の知り合いが“勉強に行った”(=特殊機関に入った)ようだ」

 特殊機関の定義ははっきりしないが、情報を総合すると、秘密警察組織の国家保衛省▽朝鮮人民軍の有力組織である総政治局や総参謀部▽工作員の養成・浸透・情報収集・破壊工作などを手掛ける偵察総局▽党で対南関係を中心に工作活動を手掛けてきた統一戦線部――などを指すと考えられる。

 特殊機関で思い出されるのが、日本人拉致問題との関わりだ。拉致問題に関連して「2002年に先代の金正日(キム・ジョンイル)氏が拉致を認めた際、国家安全保衛部(国家保衛省の前身)が、特殊機関に手を突っ込んで拉致被害者を出させ、併せて情報を収集する役割を任された」(日本外務省幹部)という話を聞いたことがある。この場合、特殊機関が特殊機関を取り調べたことになる。

 つまり特殊機関とは、権力維持に不可欠な「特殊な任務」を実行に移す組織と解釈できる。それだけに権限が保障されてきたということだ。

 かつて金正日氏は「先軍政治」(軍優先の方針)を掲げ、軍を優遇してきた。その軍は有力海外商社を優先的に傘下に置いて外貨を稼ぎ、国家経済を潤すことなく独自の利益を追求してきたという流れがある。

 金総書記はこうした特殊機関傘下の企業を問題視し、これらの利権構造にメスを入れて国家経済に組み込むという措置を進めているようだ。

◇経済システムの転換

 併せて金総書記が掲げるのは内閣の機能復元だ。

 2016年5月の党大会で、金総書記は国内経済の現実を直視し、それを踏まえたうえでの制度改善が必要だとの結論に達した。2017年11月に核・ミサイル完成を宣言したあとは経済再建に舵を切り、米国や中国、ロシア、韓国などとの首脳会談を繰り返して、制裁解除・緩和による状況好転を模索した。

 だが2019年2月に米朝首脳会談が決裂し、その後の交渉も不調に終わったため、金総書記は同年12月、制裁が解除されないことを前提に経済再建を図る「正面突破戦」の方針に転じ、自力更生に加えて中国経済を当て込んだ形での経済浮上を試みた。

 それから1年間、金総書記は試行錯誤を繰り返したが、制裁のダメージに加え、新型コロナ対策の国境封鎖、度重なる自然災害によって、経済が浮上するどころか悪化の一歩をたどった。

 このため金総書記は原因をさらに掘り起こし、祖父や父の時代から続けられてきた古いシステムや不合理・非効率的な手法に問題があるのではないかとの結論に至ったとみられ、その象徴である「特殊機関の金脈」に切り込む決断をしたようだ。

 ただ、一方でこの特殊機関こそが、権力基盤になってきたという側面もある。金王朝への忠誠心や恐怖心を背景に特殊機関が体制を下支えし、その傘下企業が外貨を集めて体制をさらに強固にし、自らも潤ってきたためだ。これらが弱体化すれば、金総書記の党や軍の運営に支障が出るのは避けられない。したがって特殊機関や特殊商社は解体ではなく、経済司令塔である内閣がその経営状況や収益を掌握し、国家予算に組み込むという形式にすると考えられる。

 金総書記はクーデターでも起きない限り、今後、何十年も最高指導者として居続けるだろう。体制が内側から崩れ去るのを避けるためには、可能な限り早期に、先代からの悪弊を取り除く必要がある――最近の厳しい経済難の中で、こう痛感したのではないだろうか。

◇経済部長の解任

 加えて、2月の党中央委総会で話題を集めたのが、党書記兼経済部長の電撃的解任だ。金頭日(キム・ドゥイル)氏は1月の党大会でこのポストに就きながら、わずか1カ月で交代させられた。

 原因は、内閣の予算の立て方が党大会の方針を反映せず、旧態依然としていたこと。内閣の政策が不十分だったのに、その矛先が党経済部に向けられたわけだ。ここにも北朝鮮特有の弊害がある。

 電力や資金、人材をはじめとする資源配分は党が取り仕切り、内閣の担当官庁は人民経済計画を主体的に立てられない。金総書記もこれを悪弊ととらえ、2019年12月の段階で「経済は内閣が取り仕切る」よう求め、今年の党大会でも「非常設経済発展委員会」を立ち上げ、経済システムの刷新を図った。

 だが党大会後に内閣が策定した経済計画に、この悪弊が温存されていた。部署によっては、実現不可能なほど高い数字が掲げられていたり、意図的に数字を低く見積もられていたりした。

 金総書記は2月の総会でこの状況を激しく批判し、悪弊を取り除くことができなかった内閣ではなく、むしろ改革に取り組まなかったとして党側を批判、その責任者である金頭日氏を解任した、という流れであったようだ。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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