【過去の教訓を未来につなぐ】津波だけじゃなかった東日本大震災
東日本大震災から7年
東日本大震災から7年が経ちます。2011年3月11日、金曜日の14時46分18.1秒に、日本海溝沿いのプレート境界でマグニチュード9.0の地震が起きました。大船渡に最大津波が到達したのは31分後でした。その間、どんなことが起きていたのか思い出してみたいと思います。
緊急地震速報が役立った
地震発生直後に報じられたのは緊急地震速報です。22秒後の14時46分40.2秒に石巻大瓜観測点でP波を検知し、27秒後の45.6秒に第1報が出ました。このときの推定マグニチュードは4.3でした。その後、マグニチュードは、46.7秒に5.9、47.7秒に6.8、48.8秒に7.2と育ち、最大震度 5程度以上の揺れが推定され、一般向けの緊急地震速報(警報)として、宮城、岩手、秋田、山形、福島の5県に第4報が発表されました。地震発生30秒後です。東北の被災地では、強い揺れ(S波)までに15~20秒くらいの猶予時間がありました。
東北新幹線は、牡鹿半島の金華山に設置された地震計で揺れをキャッチし、早期地震検知システムによってブレーキが作動し、事故を防ぐことができました。
ただし、マグニチュードの過小評価で緊急地震速報で予想された震度が小さかったこと、連続する余震で誤報が多く出たことなど、反省すべき点もあり、巨大地震や連続地震に対する改善が、震災後、検討されました。
マグニチュードと震度
地震のマグニチュードは、14時49分に速報値としてマグニチュード7.9と発表され、16時00分に暫定値として8.4、17時30分に8.8、13日12時55分に確定値として9.0とされました。津波到達時点でのマグニチュードは8以下で、このことが津波の高さの過小評価にもつながりました。巨大地震のマグニチュードを地震後に即座かつ正確に把握することの重要性が指摘されました。
震度は、宮城県栗原市で震度7となり、震度6強は仙台市宮城野区など宮城県、福島県、茨城県、栃木県で観測されました。津波被害が甚大だった岩手県の最大震度は震度6弱でした。日本海溝沿いの震源域はやや陸から離れていることもあり、津波に襲われた地域の震度は概ね震度6弱以下でした。このため、揺れによる家屋倒壊は多くは無かったと思われ、津波避難の上では幸いしました。
長く続く揺れで高層ビルが大きく揺れた
東京が揺れ始めたのは地震発生1分後で、震度は5強でした。東京では湾岸の高層ビルを中心に強い揺れに見舞われました。長く続く揺れのため、地盤の揺れが収まった後も、高層ビルは揺れ続けました。
この地震で最も大きく揺れた高層ビルは震源から700kmも離れた大阪湾岸のビルでした。大阪が揺れ始めたのは3分後で震度は3でしたが、大阪湾岸の高さ256mのビルは、共振現象で揺れが大きく増幅され、往復2.7mもの強い揺れになり、内装材や防火戸が破損したり、エレベーターの緊急停止で5人が閉じ込められるなどしました。
巨大地震が発生すると長時間にわたって長周期地震動が放出されます。長周期の地震波は遠くまで伝わりやすく、大規模な堆積平野に立地する東京・大阪・名古屋などは長周期地震動が増幅・伸長しやすい場所です。そこに、長周期地震動が苦手な高層ビルや免震ビルが多数建設されています。
天井の落下や家具の転倒
茨城空港や、九段会館、ミューザ川崎シンフォニーホールなど、で大規模に天井が落下しました。九段会館では専門学校の卒業式が行われており、教員が犠牲になりました。ミューザ川崎は幸いに公演中でなかったのでけが人は出ませんでした。また、多くの工場やビルで天井や2次部材が落下・脱落し、什器や機器の転倒・移動も発生しました。自動車用半導体工場の停止など部品工場の被災と物流の途絶によって自動車産業など全国の製造業が製造停止に追い込まれました。震災後、国土交通省は天井脱落防止に関する規定を定めています。
液状化の大量発生
震源に近い東北地方の太平洋岸に加え、関東地方で広域に液状化が発生しました。関東平野は沖積低地や埋立地が広がっており、浦安市から千葉市にかけての埋立地・干拓地や利根川沿いの内陸の旧河道や霞ケ浦周辺の潮来などで地盤が液状化し、沈下や側方流動などが生じました。東京湾岸での液状化の映像を見ると、強い揺れが収まった後に液状化したように見られ、さらに、余震で液状化が拡大したようです。
液状化すると、地盤が大きく動き、砂が大量に吹き出し、一面が水に浸かります。このため、車両通行が困難になり避難・救助にも支障が生じます。地盤変状で、道路、堤防、港湾施設などのインフラ設備や農業施設・農地が被害を受けます。住宅地では家屋の沈下・傾斜、ガス・上下水道などの埋設管損傷、マンホール浮上による道路障害などの被害が発生します。杭基礎や地盤改良が稀な戸建住宅は沈下・傾斜しやすいため、千葉県を中心に27千棟もの被害が出ました。杭で支持されたビルや橋梁も構造物被害は無いものの、地盤との間に段差が生じました。このような結果、長期間、生活・生産・交通・物流に影響が出ました。
ため池決壊や土砂災害
福島県須賀川市にある藤沼湖が決壊し、150万トンの水が下流を襲いました。藤沼湖は1949年に建設された灌漑用のダム湖で、高さ17.5m程度の盛り土したアースフィルダムでした。震度6弱程度の揺れで、盛り土に亀裂ができたようです。ため池は管理主体の問題もあり、耐震性の不足する堤体が多くあります。ため池の下流部の宅地造成は避けたいものです。
また、仙台郊外の丘陵地を中心に谷部を埋めて盛り土した宅地造成地で地盤が移動し、住宅に大きな被害が出ました。1978年宮城県沖地震でも見られた被害で、過去の教訓が活かされませんでした。谷埋め盛土造成地は、強い揺れや大雨により被害を受けやすいので、注意が必要です。
大規模停電
地震による強い揺れで、送電線や変電所の碍子などに損傷が生じ、地絡や短絡が起きて、東北地方の北部地域に電気が送れなくなりました。青森県、岩手県、秋田県では全域が停電、宮城県、山形県でも広く停電しました。福島第一原発では、敷地内の送電鉄塔が土砂崩れで転倒し、外部からの送電がストップしたため、津波襲来前に外部電源を喪失しました。電気を失うと、災害情報の伝達や様々な災害対応の支障になりますので、津波来襲への避難行動にも齟齬が生じたと思われます。
湾岸のLPGタンクの爆発
千葉県市原市コスモ石油の製油所では、地震による震度5弱の揺れで、検査のために空気を抜いて水を入れていたLPGタンクの支柱が座屈で壊れました。注水により通常の倍の重さだったことが原因したと思われます。その後、15時15分に発生した茨城県沖の余震による震度4の揺れでタンクが転がって周辺の配管を切断したため、大量のガスが漏れ引火し、周辺のLPGタンクが爆発しました。全部で5回の爆発があり、周辺に爆風が襲いました。幸い、隣接する石油タンク群への延焼は免れました。
着陸できなかった飛行機
強い揺れで、直後に成田、羽田という我が国を代表する2つの国際空港が閉鎖されました。両空港に向かっていた航空機86機が着陸できなくなり、14機が燃料不足で「緊急事態宣言」を出すことになりました。多くが長い滑走路が必要な大型航空機だったため、中部国際空港や関西国際空港などを頼ることになりました。南海トラフ地震が起きて、関西、中部、羽田が閉鎖になったときのことを想像すると、ぞっとします。
プロ野球オープン戦の打ち切り
当日、横浜スタジアムで行われていた横浜ベイスターズ対ヤクルトスワローズ戦は、照明塔などが大きく揺れ危険なため、スタンドの観客をフィールドに避難させるなどして中止になりました。その他にも、種々のスポーツイベントや演劇場など多くのイベントが途中中止になりました。
急落した株式市場
当日の東京証券取引所は、地震発生14分後、津波襲来前の15時にひけましたが、地震の影響を受けて179円安となりました。さらに、翌週月曜の14日は633円安となり、東京電力は福島原発事故の影響でストップ安となり取引が成立しませんでした。火曜の15日には1015円安となりました。
このように、津波襲来前にも様々なことがあったことを忘れないでおきたいと思います。