日本は木材輸出国になった!
たまたまフェリーで鹿児島県の志布志港に上陸する機会があった。
そこで目に止まったのが、巨大な丸太の山の列。はるか遠くまで続き、それこそ埠頭を埋めつくさんばかりに並んでいる。
これほどたくさんの丸太を港で見るとは思わなかった。樹種はおそらく全部スギだろう。ただ太さは千差万別で、よく見ると傷も多いし、曲がりのあるものも少なくない。
これまで港で木材を見かけたら、それは外材だった。港は木材の水揚げ場所でもあった。日本は木材輸入大国なのだ。
が、志布志港に集められているのは国産材だ。おそらく大半が輸出されるのだと思う。行き先は、中国か韓国、そして台湾だろう。今や日本は木材輸出国への道を歩みだしている。
私は、10数年前に日本の木材輸出の試みを取材したことがある。その頃を思い出して懐かしい気分になった。そこで、少し日本の木材輸出について振り返りたい。
戦前戦後、散発的な木材輸出はあったが、基本的に日本は木材不足であり、木材は輸入するものだった。東南アジアはもちろん、アメリカ、カナダ、ソ連(ロシア)、そしてアフリカやニュージーランド、南米……と世界中から輸入していた。その量たるや世界の木材貿易量の何割かを占め、まぎれもなく世界最大の木材輸入国だったのだ。
だからこそ、日本は世界中の森を食いつぶす、と環境団体から批判を浴びた。大々的なキャンペーンを張られたこともある。
だがバブル崩壊後の日本は、不況などの影響から木材需要がじりじりと減り、一方で国産材の消費が増えて輸入は減少傾向にある。ところが中国は、経済発展とともに必要な木材を輸入で賄う方針に転換した。そして爆発的に増やしている。すでに1998年には、中国が日本を抜いて世界一の木材輸入国の座に就いた。
そこで、日本からも木材を輸出しようという動きが起き始めた。
その先鞭を付けたのが、宮崎県の相互造林株式会社である。宮崎県とともに中国の市場調査を行い、幾度かの試験出荷の後、2003年から本格的な輸出を始めた。
その最初の船は、宮崎県の日向港から出た。丸太2万5000本、約3500立方メートルのスギとヒノキを実施したのである。私も、その現場に立ち会い、丸太を積んだ貨物船にも乗せてもらった。
「5年後には年間100万立方メートルの輸出をめざす」
意気軒昂だったことを思い出す。
その後、第2陣、3陣と木材は中国に送られた。宮崎だけでなく、島根や秋田、高知、北海道……と全国から輸出に取り組み始めた。
まさに木材輸出国への歩みが始まった……かのように見えた。
残念ながら、そうはならなかった。その理由は一口には言えないが、政治的な問題も絡んだうえに、ロシア材など他国の木材と価格競争に陥ったこと、日本の木材になじみのない中国の業者がそっぽを向いたこと……何より中国ビジネスの難しさが露呈したのである。
そのうち国内でも合板の原料などに国産材が大量に使われ始め、あえて難しい輸出に挑む動きはしぼんでしまうのである。
だが、深く静かに木材輸出は続けられた。とくに九州勢は熱心だった。
取引内容を見直し、輸出のための地道な努力が続けられたのだ。韓国の市場を開拓したり、台湾へも行われた。しかし圧倒的な市場はやはり中国だ。
その甲斐あって、ここ2,3年は、爆発的に木材輸出量が増えている。毎年、倍々ゲームと言ってもよい。
金額ベースで、2012年は前年比113%だったが、13年は237%、13年は198%である。とくに中国は、13年に892%と驚異的な伸びを見せた。そして輸出量の4割近くを占めている。
輸出量は、昨年で51万8239立方メートル。かつて夢見た年間100万立方メートル輸出時代に少しずつ近づいているようだ。
とはいえ、まだ輸出量は、国産材生産量の約2%にすぎない。金額では178億円だ。
それに輸出されているのは、金額的に安いBC材が多い。日本国内なら合板用かチップにするような丸太なのだ。これでは、あまり山元に利益は出ないだろう。しかも大量に伐りだせば、山は荒れる。
木材輸出が林業、そして山村地域の振興に寄与するには、もっと木材の付加価値を高める工夫がいるだろう。
そうはいっても、日本が木材輸出国になりつつあることは、林業界のパラダイム転換だ。今後の推移を期待と不安を持って追いたい。