Yahoo!ニュース

メジャーのFAもかつては“自由”に移籍できなかった? MLBに存在した「リエントリー・ドラフト」とは

菊田康彦フリーランスライター
FA元年のヤンキース移籍から47年、現在はアストロズ特別アドバイザーのジャクソン(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 日米ともにプロ野球のシーズンが終了しておよそ1カ月。シーズンオフ真っ只中の今、メジャーリーグではロサンゼルス・エンゼルスからフリーエージェント(FA)となった大谷翔平の去就が大きな注目を集めているだけでなく、日々、選手の移籍、契約が話題に上っている。日本でもこのオフは例年になく選手の動きが活発な印象は受けるが、それでもメジャーには遠く及ばない。

 それは日米でのFA制度の違いによるところが大きい。メジャーではチームに保留権のある選手(原則としてメジャー登録日数が通算6年未満の選手)を除き、契約が満了した選手や契約オプションを破棄した選手はすべからくFA、つまり文字どおり自由契約となる。そして、FAになった選手はポストシーズン終了、すなわちワールドシリーズ終了から5日を過ぎればどの球団とも自由に交渉し、契約できるようになる。

 ところが日本ではFA権を取得していても、これを行使する旨を表明(FA宣言)しなければ他球団との交渉はできない。今年でいえばFA有資格選手は、国内のみ移籍可能な「国内FA」、海外球団にも移籍可能な「海外FA」を合わせて106名(今季限りで引退の選手も含む)。このうちFA宣言をした選手は、その後にオリックス・バファローズへの移籍が決まった西川龍馬(前広島東洋カープ)、北海道日本ハムファイターズと契約を結んだ山﨑福也(前オリックス)など7人しかいなかった。

メジャーのFA制度と共に生まれた「リエントリー・ドラフト」

 もっとも、紆余曲折を経て今から47年前の1976年にFAが制度化されたメジャーリーグでも、FA権を取得した選手が最初から完全に自由に移籍できていたわけではない。当初の制度にはFA選手を対象とした「リエントリー・ドラフト」があって、どの球団もここで指名した選手としか契約ができなかったからだ。

 メジャーのFA元年である1976年オフ、そのリエントリー・ドラフトには当時の全24球団のうち、ワールドシリーズ2連覇を達成したばかりのシンシナティ・レッズを除く23球団が参加した。目玉は1972年からのオークランド・アスレチックスのワールドシリーズ3連覇に主砲として貢献し、この年はボルティモア・オリオールズでプレーしていたレジー・ジャクソン(当時30歳)。上限である13球団から指名を受けたジャクソンは5年総額300万ドル(この年のメジャー平均年俸は約5万ドル)でニューヨーク・ヤンキースと契約し、翌1977年のワールドシリーズ第6戦で“伝説”の3打席連続本塁打を放つなど、名門の15年ぶり王座奪回の立役者となる。

 1978年には、FA選手を獲得した球団から前所属に対してドラフト指名権が譲渡される「補償制度」が誕生し、1981年からは選手のランクに応じた「人的補償」と「ドラフト指名権譲渡」の2本立てとなった。リエントリー・ドラフトはこの年から指名球団数の上限が撤廃されたものの、その後も続いた。

誕生から9年、FAの「人的補償」と同時に撤廃

 1985年8月6日、メジャーリーグ選手会は4年ぶりのストライキに突入したが、2日でこれを解除。前年10月に就任したばかりで、47歳の若さだったピーター・ユベロス新コミッショナーの手腕が脚光を浴びた。この時に労使が合意した内容の中に「リエントリー・ドラフトおよびFA選手の人的補償の撤廃」があり、FA制度発足時からセットとなっていたリエントリー・ドラフトは、メジャーリーグの世界から消滅した。

 なお、「リエントリー・ドラフトおよびFA選手の人的補償」が撤廃されても、「ドラフト指名権の譲渡」は一部のFA移籍選手に対する前所属球団への補償制度として、形を変えながら今も残っている。現在はFA権を持つ選手に対してそれまでの所属球団がクオリファイング・オファー(その年のメジャー年俸上位125選手の平均年俸と同額の1年契約)を提示し、その選手がこれを拒否して他球団と契約した場合は、移籍先の球団からドラフト指名権を譲渡される。

 ちなみにこのオフにFAとなった大谷は、これまで在籍していたエンゼルスからクオリファイング・オファーを受けたものの、今年の規定額は2032万5000ドル(約30億円)。大谷の今年の年俸は3000万ドル(約44億円)であり、これを拒否したのは妥当と言っていいだろう。

 もちろんこれをもって残留の可能性がなくなったわけではないが、仮に他球団と契約した場合、エンゼルスはその球団からドラフト指名権を譲り受けることになる。果たして大谷の去就やいかに……。

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

菊田康彦の最近の記事