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セガサミーの正捕手、U-23の侍だった喜多亮太がBC・石川からNPBに挑戦《2019 ドラフト候補》

土井麻由実フリーアナウンサー、フリーライター
目力は自信の顕れ
なんとしてもNPBに行きたい
なんとしてもNPBに行きたい

 なんとしてもNPBに行きたい―。

 子どものころからの夢は、自分だけのものではない。家族や周りの人々の夢でもある。

 その夢を叶えるためには、このままではダメだ。

 そう決意し、何もかも捨てて、茨の道を選んだ。

 喜多亮太、23歳。人生最大の決断だった。

■敦賀気比高からセガサミーへ

防具を装着!
防具を装着!

 敦賀気比高では2年連続でセンバツ出場し、3年時には甲子園でホームランを放っている。強肩強打の捕手としてNPB数球団から注目をされていた。

 3年で引退したあとは当然のごとくプロ志望届を出した。が、本人はまるで自信がなかったという。

 「通用する気がしなかった。そのレベルじゃなかったんで、社会人でレベルアップしてからプロに行きたいと思った」。

司令塔
司令塔

 念願どおり社会人チームのセガサミーに進んだ。高校から社会人を経ると、ドラフトにかかるのは3年後だ。しかしその3年後、指名はなかった。

 4年目になったが、出番に恵まれなかった。当時6歳上の先輩キャッチャーがいて、実力も信頼もとても敵わなかった。大事な大会でマスクをかぶるのは、決まってそのベテランキャッチャーだった。

侍ジャパンのチームメイト・島田海吏選手(阪神タイガース)と
侍ジャパンのチームメイト・島田海吏選手(阪神タイガース)と

 このままでは…と、一旦は辞めることを心に決めた。しかし、自分が言い出す前にその先輩が辞めることになった。チャンスだと思い、辞めることは踏みとどまった。

 そして5年目の昨年はレギュラーとして活躍し、都市対抗のベスト4までいった。

 さらには「第2回WBSC U―23ワールドカップ」の侍ジャパンメンバーにも選ばれ、銀メダルを手にした。

■このままじゃ自分がダメになる

「このままじゃあかん」と思った
「このままじゃあかん」と思った

 しかしドラフトでは、またもや指名漏れに涙を飲んだ。

 「このままじゃあかん。何かを変えないと」と感じたのと同時に、「来年、このままここにいたら、腐ってしまって野球を辞めてしまう」と自身の行く末が見えた気がした。

 そこで何が一番いいのか考えたときに出た答えが「独立リーグからNPBに行く」ということだった。それが自分自身、もっとも奮起できるだろうと思えたし、後悔しないだろうと考えた選択だった。

 安定よりも退路を断って勝負することこそが、自分が納得できる道だと思えた。

恵まれすぎているセガサミーに甘えていた
恵まれすぎているセガサミーに甘えていた

 社会人野球部といっても、会社によって環境はさまざまだが、喜多選手によると「セガサミーって、環境がものすごくいい。延々と野球ができるし、打ち込める。そこに甘えてた部分があった、環境がよすぎて」という。

 道具など何もかも支給され、寮が完備されている。その寮の中にはジムもあり、ちょっと歩けば室内バッティング場まである。

育成選手でも厭わない
育成選手でも厭わない

 そんな恵まれた環境に身を置きながら、それでも、それを捨ててまで独立リーグに行くことにしたのは、環境を変えたかったことに加えて、独立リーグのほうがよりNPBに行く近道でもあると考えたのもある。

 というのも、社会人から育成指名されることはない。しかし喜多選手にとっては、NPBに行くためには育成指名でも厭わない。とにかく入らないことには勝負はできない。育成指名もと考えると、独立リーグならより指名される確率は上がる。

■石川ミリオンスターズで捕手としてスキルアップ

最初は環境の違いに戸惑った
最初は環境の違いに戸惑った

 そこで一念発起してセガサミーを辞め、BCリーグの石川ミリオンスターズに入団した。

 最初は社会人時代と比べてしまい、「選手個々の能力がまだ全然わからないし、環境も悪いし、『大丈夫なんかな』と不安が大きかった」という。

 まず練習環境に驚いた。室内練習場がなく、雨が降ったときの打撃練習場所が狭いブルペンであることには「こんなとこで練習するんや…」と唖然とした。「それが正直、苦しかったというか、しんどかったというのはある」。

 初めてのひとり暮しにも戸惑った。とくに食事面には苦労したという。

チームワークのいい石川ミリオンスターズ
チームワークのいい石川ミリオンスターズ

 しかしシーズンが始まると、徐々に慣れていった。なにより試合を重ねていくうちに、チームとしてまとまってきたことが、そのほかの不安を払拭してくれた。

 「個人プレーして輪を乱す選手がひとりもいないし。そこは勝さん(武田勝監督)のおかげであると思うけど。社会人と似たような一体感というか、みんなで一致団結して勝ちにむかっていく野球ができていて、すごく楽しくなっていった」。

投手の力になりたい
投手の力になりたい

 さらに大きな収穫があった。キャッチャーとしての自身のスキルアップだ。

 石川の投手陣は、「なんでこんな子がここにおるの?」とその力に驚いたというエース・永水豪投手、2年目の内田幸秀投手、元読売ジャイアンツ長谷川潤投手の3本柱にクローザー・矢鋪翼投手の4人が抜きん出ている。

 しかしその一方で、それ以外の投手がいかにレベルアップし、その差を埋めるかが課題だった。

 「正直、社会人のピッチャーと比べると、4人以外はやっぱりレベルが落ちてしまう。そういうピッチャーを配球していく中で勝たせていく、抑えていくっていうのが社会人時代よりも難しい。でも、すごくやりがいがあって、そこで抑えたときの喜びっていうのはすごく大きかった」。

 最初は変な感覚だったという。しかしキャッチャーとして、これほど頭を使うことはない。つまりはキャッチャーとしての醍醐味を大いに味わえるわけだ。

 「このリーグ、一番やりがいがあるんちゃうか」。シーズンが進むにつれ、そのおもしろさが深まっていった。

桑原凌マネージャー
桑原凌マネージャー

 もちろん、序盤からそう捉えることができたわけではない。

 「最初は僕も違う目線で入ってしまっていたところもあったんで、ピッチャー陣に『これくらいやってよ』っていう気持ちはあった」。

 そんなとき、同じように社会人から独立リーグに来た経験のある桑原凌マネージャー三菱自動車岡崎―石川ミリオンスターズ)から「そこは割り切らないと、このリーグではやっていけないよ」と諭された。

 ハッとした。なんのために、何もかも捨ててここに来たのか…。

 そこで、すべてをゼロに戻すことにした。「このリーグから野球を始めたていうくらいに、リセットしてやっていこうと思った」。自分の中で切り替えた。

捕手として頭も体もフル回転
捕手として頭も体もフル回転

 すると、違う景色が広がってきた。

 「あぁ、このピッチャーはこうやって抑えていったら楽しいなとか、答えもいろいろ見えてきて、やっていく中ですんごいやりがいが出てきて。いや〜、頭使うわ〜とか思いながら、楽しくてしかたなくなった」。

 これが捕手の醍醐味というものかと、新たな境地に足を踏み入れた。

鋭い眼光
鋭い眼光

 日々頭をフル回転させた。もちろん常に抑えられるわけではない。打たれるときもある。しかし投手陣との共同作業で相手を攻略する快感はひとしおだった。

 ましてや成績の出なかった投手が成長していく手助けが少しでもできたときには、この上ない喜びを感じた。

 また、そうした投手も決して腐ることはなく、そのひたすら上を目指して努力する姿に自身も刺激を受けた。

■武田勝監督との出会い

トンボで素振り
トンボで素振り

 終わってみたら、あっという間の半年間だった。「めちゃくちゃ楽しかった。野球が楽しかった」。喜多選手は何度も何度も「楽しかった」という言葉を唇に乗せる。

 社会人時代の一発勝負の大会とはまったく違う戦いができたことは、自分の中の新たな引き出しになった。

 「NPBと一緒で、こっちはシーズンずっと試合がある。同じチームと何回も試合する中でデータも取れてくる。同じ攻め方してたら打たれるし、いろんな野球の深みを知れたというか、いろいろ勉強させてもらえた。ある意味、NPBと近い部分もあるので、ここに来て、本当によかったと思う」。

武田勝監督との出会い
武田勝監督との出会い

 さらに武田勝監督との出会いも、この上なく大きかった。とにかく絶大な信頼を寄せられていた。「オマエはこんなところにいちゃいけない。早く抜け出していかないと」とまで言ってもらった。

 武田監督は常々口にしていた。「シーズン当初に掲げた『守備から攻撃に』という野球が実践できたのは、喜多の加入にほかならない」と。

 その要因に、二塁までの送球が最速1.72秒の強肩でランナーを刺すことによって、投手が安心して打者と勝負できるようになったことや、強烈なリーダーシップで投手陣を引っ張ったことなどを挙げている。

(武田監督の喜多評⇒その1 その2 その3 その4

バッティングでも新境地を開拓した
バッティングでも新境地を開拓した

 「勝さんとはちょくちょくお話をさせていただいて、キャッチャーが大事だというのは言われていた。ただ、勝さんはピッチャー出身の方やから、打たれたときに『120%ピッチャーが悪い、キャッチャーは悪くない』ってピッチャー目線で言われる。でも僕は自分が悪いってわかってる。敢えてそう言ってくれる勝さんの気持ちを感じるから、僕はもっと頑張らなあかんなって思っていた」。

 武田監督も「喜多なら本意をわかってくれる」と思うからこそ、そういう言い方をしたのかもしれない。

さあ、こいっ!
さあ、こいっ!

 相通ずる野球観を持つと思える武田監督と一緒に戦えたことは、貴重な財産になった。

 「やっぱ今、こうしてチームがまとまっているのは、すべて勝さんのおかげやなと思う」。

 心から尊敬し、ついていけた監督だった。

■やれることはすべてやった

扇の要
扇の要

 ほとんどの試合でスタメンマスクをかぶり、投手陣を、そしてチーム牽引してきた。故障もなく、完走することができた。

 NPBに行くためにとやって来た独立リーグだが、想像していた以上の収穫が得られた。「石川に来てよかった」と今、心から思える。

 「僕はもうやることはやった。前期の途中、打てない時期もあったけど、キャッチャーって(打つこと以外に)できることあるんで。自分が打てなくてもチームが勝てばいい。個人プレーする場所じゃないと思ってるんで。自分だけ活躍してNPBに行くっていうのは違うかなと思う」。

 NPBを目指す場所ではあるけれど、個の主張よりチームの勝利を優先してきた。スカウトが見ているときも見ていないときも、同じように自分のやるべき仕事は果たせたという自負はある。

サクラ大戦の「檄!帝国華撃団」が流れる中、打席に入る
サクラ大戦の「檄!帝国華撃団」が流れる中、打席に入る
ファンの人たちを喜ばせたい
ファンの人たちを喜ばせたい

 今季、打席に入るときの登場曲には、アニメ「サクラ大戦」の主題歌である「檄!帝国華撃団」を選んだ。これはセガサミーの応援団が得点時に演奏する曲だ。

 「素直にテンションが上がる曲だから」。そう言ったあと、喜多選手はこうも付け加えた。

 「セガサミー時代から応援してくれているファンの人が、石川に応援に来てくれたときに喜ばせたいから」。

 セガサミーを去ってもなお、古巣に気持ちを残してくれていることは、以前からのファンにとっては嬉しくてたまらないだろう。

 ファンに支えられていることをしっかりと自覚するようになった。だからこそ、その応援に応えたい。そのために自分は何をすべきか。

 答えは10月17日、「NBPドラフト会議」で明らかになる。

喜多 亮太(きた りょうた)*プロフィール】

1996年1月5日生(23歳)/大阪府出身

177cm・80kg/右投右打/A型

敦賀気比高校→セガサミー→石川ミリオンスターズ(2019~)

喜多 亮太*今季成績】

70試合 打率.255 235打数 60安打 10二塁打 1三塁打 5本塁打 29打点 47三振 32四球 1死球 2盗塁 7失策 11併殺 出塁率.347 長打率.370 盗塁阻止率.446

(撮影はすべて筆者)

フリーアナウンサー、フリーライター

CS放送「GAORA」「スカイA」の阪神タイガース野球中継番組「Tigersーai」で、ベンチリポーターとして携わったゲームは1000試合近く。2005年の阪神優勝時にはビールかけインタビューも!イベントやパーティーでのプロ野球選手、OBとのトークショーは数100本。サンケイスポーツで阪神タイガース関連のコラム「SMILE♡TIGERS」を連載中。かつては阪神タイガースの公式ホームページや公式携帯サイト、阪神電鉄の機関紙でも執筆。マイクでペンで、硬軟織り交ぜた熱い熱い情報を伝えています!!

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