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建築設計技術者は、マンションの床衝撃音問題に対する知識と責任を持たなければならない!

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:アフロ)

建築設計技術者は床衝撃音問題を熟知しているのか?

 マンションなどの建築物を設計するのは、勿論、1級建築士である。この建築の専門家が、マンション上階からの足音などの騒音問題、すなわち床衝撃音問題にどれくらいの知識を持っているのかが気にかかる。これまでの記事の中でも、「鉄骨造マンションで起きた悲惨な女子大生殺人事件、鉄筋コンクリート造とは違う上階音性能に要注意」や「上階からの騒音問題に関する隠れ劣悪マンションの恐怖」、「上階からの騒音トラブルについての「大きな誤解」、お子さんのいる家庭はご確認を!」など、何回か床衝撃音問題について書いてきたが、これらはあくまで一般市民を対象とした内容であり、建築士としては当然、ここで書かれている内容などは熟知していなければならない。しかし、現実にはそうでもないようである。

 床衝撃音問題は、生死に係わる問題である。相変わらず、マンションやアパートでの騒音トラブルによる殺傷事件が頻発しているが、毎年、騒音トラブルでの殺人事件が60~70件、傷害事件は千数百件に上り(何れも推定値)、事件の一歩手前のトラブルまで含めると数万件になるのではないかと考えられている。最近のマンション騒音トラブルに関する調査(Albalink実施)でも、騒音に悩んだ経験のある人は何と78%で、その内容の1位は圧倒的に足音であった。以前の調査結果の数値などと較べれば、状況は悪化の一途を辿っているように思える。このように床衝撃音問題は、マンションでの生活の質(QOL)に直結するだけでなく、下手をすれば、人生自体を暗転させかねないような重要な問題なのである。

建築設計における床衝撃音問題のウエイト

 床衝撃音問題に係わる要因は、大きく分けて2つあり、一つは当事者の心理状態や人間関係の問題である。そしてもう一つは床衝撃音の建築的な遮断性能の問題である。後者に関係するのが1級建築士などの建築設計者であり、彼らは良質な建築物を設計して社会に提供する責任がある。では、建築設計者にはどの程度の床衝撃音問題の専門知識が求められているのであろうか。これを調べるため、1級建築士資格試験問題の中で床衝撃音問題がどれくらいの比率で扱われているか、過去10年間の試験問題を調べてみた。試験問題は、(公財)建築技術教育普及センターのホームページに掲載されているため、これを用いて集計を行ったのが以下の結果である。

 まず、1級建築士試験の学科には5つの分野があり、音響や騒音関係は「環境・設備」の分野に含まれる。試験問題は、5つの分野で合計125問であり、そのうち「環境・設備」の問題数は20問である。この20問のうち、毎年2問が音響・騒音関係の問題である。すなわち、1級建築士試験の中で、2問/125問=0.016(1.6%)が音響・騒音関係であると言える。

 結構、大きなウエイトがあると思ってはいけない。この2問の中には聴覚やホール音響、音響材料や音響物理まで関連する全ての内容が含まれているため、床衝撃音関連の設問は更に少なくなる。1級建築士試験問題は、4つの文章から最も不適当なものを1つ選ぶ形式であり、この問題の中で床衝撃音に係わる文章は過去10年間で5つであった。すなわち、音響・騒音関係の問題が10年間で20問、文章数に直せば20×4=80文章、その中で床衝撃音関連が5文章であるから、5/20×4=0.0625となる。つまり、1級建築士試験の学科全体の中での床衝撃音関連の割合は、上記の0.016と0.0625を掛けた0.016×0.0625=0.001となる。大変、切りの良い数値となったことに少し驚いたが、纏めると、1級建築士に求められる専門知識のうち、床衝撃音に関する知識のウエイトは千分の一という結果である。  

 既に述べたように、床衝撃音問題は社会的にも大変重要な問題である。それにも拘らず、建築士の専門知識として求められるものが全体量の僅か千分の一のウエイトしかないのである。建築物は地震が来ても壊れることが無く、安全で快適に過ごせる良質な住居であることが求められるが、床衝撃音性能も耐震性能に準じるような重要な問題であると言えるのではないだろうか。それを考えると千分の一というのはあまりにも小さな数値だと思ってしまう。もちろん、これは1級建築士試験問題の分析によるものであるが、実際の建築設計者の状況も同じようなものではないかと想像される。設計者が十分な知識と関心、判断力をもって、床衝撃音への対処、すなわち建築床構造の設計を行っているかどうか疑問である。

性能予測計算を通して、床衝撃音の問題への理解を深めよう!

 建築技術者から「音の問題は難しい!」という話をよく聞く。確かに、デシベルの定義など何度聞いてもよく分からないかも知れない。そんな音の分野の中でも特に難しいのが床衝撃音である。それは単なる音の問題ではなく、そこに床の振動と音響放射が関係してくるためである。このような現象を通常の音と区別して固体音と呼んでいるが、床衝撃音はこの固体音問題の代表選手といえる存在なのである。

 この床衝撃音問題は、建築技術者にとって大変重要な技術課題である。なぜかと言えば、現在のマンションの床構造は、構造的な強度で決定されるのではなく、必要な床衝撃音遮断性能を満足するかどうかで決定されるからである。すなわち、構造的には床構造の厚み(スラブ厚)が15cmでも大丈夫な場合でも、床衝撃音に関しては20cmのスラブ厚が必要になるというように、床衝撃音面から見た要求条件の方が構造条件より厳しくなっているということである。したがって、床衝撃音の性能評価を含めた構造設計が必要となり、建築技術者が音の問題、それも最も複雑な床衝撃音の予測検討を行わなくてはならないことになる。

 特に重要なのが重量床衝撃音の性能評価である。過去の記事でも示したように、床衝撃音は重量床衝撃音と軽量床衝撃音に分類され、足音などは重量床衝撃音になる。この重量床衝撃音の特徴は、建物が一旦できてしまえば、仮に性能に問題があっても後からの対策が殆どできないことである。したがって、事前に必要な性能を満足するような建築設計になっているかどうかを検討することが必要になる。すなわち、重量床衝撃音の性能予測計算を行う必要があるのだ。 

 建築設計技術者によっては、床衝撃音の問題は床スラブメーカーが専門なので、予測計算はそちらに丸投げするという人もいるかも知れない。しかし、自分で計算を行わなくても、床スラブメーカーが提示してきた床衝撃音計算が妥当かどうかを判断できることは技術者として最低限必要なことであり、そのためには建築技術者もある程度は床衝撃音計算の中身を理解する必要があるはずである。

 床衝撃法性能予測に関しては、「拡散度法」という計算法が提示されている。これは筆者の研究室で開発された手法であり、2008年度の日本建築学会・学会賞を受賞し、床衝撃音の予測計算法としてオーソライズされているものである。エクセル・ソフトの計算シート1枚に必要条件を記入すれば、たちどころに重量床衝撃音遮断性能が計算されて表示される。建築技術者はこの「拡散度法」を用いて性能確認を必ず行い、良質な床衝撃音性能の集合住宅を社会に提供してもらいたいと思う。念のため申し添えるが、この拡散度法は筆者の公式ホームページから誰でも無料でダウンロードして利用できるようになっており、決して商業宣伝を行っているわけではない。このソフトを大いに利用して頂くことにより、床衝撃音という重要問題に対する建築設計技術者としての理解が更に深まるものと考える。マンションの床衝撃音問題は、決して千分の一の些細な問題ではない。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科を末席で卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。近隣トラブル解決センターの設立を目指して活動中。

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