クロースの引退。モドリッチと形成された「黄金の中盤」にマドリーの絶妙なバランス。
早過ぎる引退だ、と感じるかもしれない。
トニ・クロースが、今季限りでの引退を発表した。チャンピオンズリーグ決勝、ドイツ代表として臨むEURO2024でのプレーを終えて、彼は現役から退くことになる。
■若くしてデビュー
クロースは16歳でバイエルン・ミュンヘンのカンテラ(下部組織)に入団。そして、2007−08シーズン、17歳8ヶ月2日で、トップデビューを飾っている。当時、クラブ史上最年少デビューだった。
その後、レヴァークーゼンへのレンタル移籍を経て、バイエルンに復帰したクロースは、不動の地位を確立した。バイエルンで10個のタイトルを獲得し、2014年夏に移籍金2500万ユーロ(約41億円)でマドリーに移籍した。
ただ、クロースとマドリーの“邂逅”は少し前に遡る。
2011−12シーズン、バイエルンはチャンピオンズリーグ準決勝でマドリーと対戦している。PK戦の末に、激闘を制したバイエルンが、決勝へと駒を進めた。この試合を見ていたビセンテ・デル・ボスケ当時スペイン代表監督は「バイエルンに、ベストプレーヤーがいた。我々(スペイン代表)と似たようなスタイルでプレーしていた選手だ」と語っていた。
「大衆の注意を喚起したかと言えば、そうではないだろう。しかし、彼はまったくボールを失わず、常に良いプレーをしていた。誰だか分かるかい? 39番の選手。トニ・クロースだよ」
無論、最終的にフロレンティーノ・ペレス会長の獲得の決め手になったのは2014年のワールドカップ制覇だ。だがマドリディスタに大きなインパクトを残した2011−12シーズンというのは、クロースにとって大きかった。
■黄金時代の到来
クロースの加入後、マドリーにエポカ・ドラーダ(黄金時代)が到来する。
マドリーは「BBC」を攻撃の中心に据え、スペインと欧州で猛威を振るった。カリム・ベンゼマ、ガレス・ベイル、クリスティアーノ・ロナウドの3トップは圧倒的な破壊力で相手守備陣を切り裂き続けた。
だが真に重要だったのは前線ではなく、中盤だった。カゼミーロ、ルカ・モドリッチ、クロース。「CMK」と称された3選手が、攻守において躍動した。
マドリーは、2000年代後半、長い間スペインと欧州でバルセロナに主導権を明け渡していた。
ペップ・チーム(2008−2012)を打ち破るのに、非常に苦労していた。そのペップ・チームには、セルヒオ・ブスケッツ、シャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタという選手たちが中盤に揃っていた。ペレスは分かっていたのだ。第一次政権でクロード・マケレレを放出して崩壊が始まったという教訓から、学んだのかも知れない。中盤に良い選手を置かなければ、勝てなくなるというフットボールの原則を、である。
「トニが、ゆっくりとプレーした方が良いと判断すれば、チーム全体がゆっくりとプレーする。逆に、スピーディーなプレーが必要となれば、そうする。そのリズムを決めていたのは、彼なんだ」
カゼミーロは以前、そのように語っていた。
■パウサと均衡性
カゼミーロが語るように、クロースは、チームにパウサ(休止)をもたらす選手だ。攻撃と守備の繋ぎ役で、冷静な判断と正確なキックで試合をコントロールする。
カゼミーロがクロースとモドリッチの背後をカバーして、クロースとモドリッチがゲームメイクを行う。細かく言えば、後ろからの構築、ビルドアップをクロースが担当して、ファイナルサードで、アシスト等の仕上げをモドリッチが請け負う。いずれにせよ、そのバランスが、マドリーに安定感をもたらしていた。
カゼミーロの退団後、一時は苦しんだが、フィジカルベースの高い若い選手が重宝されるようになり、クロースやモドリッチは再生した。マドリーの若い選手たちがクロースやモドリッチの「寿命を長くした」と言え、またクロースやモドリッチがピッチ内外の言動で若い選手たちの成長を促して「世代交代」に貢献した、とも言える。
「今後、数年、トニ・クロースという選手について思い返す時、自分がどういう選手だったかを考えて欲しかった。レアル・マドリーを退団する時は、引退する時だと決めていた」
「周囲の人々は『あと数年プレーできる』と言うかも知れない。たぶん、そうなのだろう。だけど、僕はマドリーでプレーするレベルにないところまで、行くのが嫌だった。最高の時期に、辞めたかった。それが、今だと思ったんだ」
これはクロースの言葉だ。
最高の時期に、最高の状態で、引退するーー。それがクロースの考え方だった。
カイザー(皇帝)は、去り際まで美しく。マドリディスタはクロースの引退を惜しんでいるが、その美学は敬意をもって受け入れられるはずだ。